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まず、僕自身は、表現力の点が優れてるとは思っていない。 それに、今日のブログはいつもより増して、意味不明なことが多い。 いつも、素晴らしい個性を表現してる様々なものを見聞きする度に、痛切に自身を適切に表現できる力が欠けていると反省する。 難しいことをすること、複雑なものだけが優れているというのも違う。 それは、スキルや、テクニックの類であり、限られた中で 最大限の表現をする、いわゆる、ある種のフォーマットの形成というものが必須かとも思う。 僕はギターを弾いてる(練習生)だから、音楽の話でいうと、ジャンルだ。 J-POP、フォーク、ボッサ、ブルース、JAZZ… いろんなジャンルがあるけども、リズムやら、繰り返しやら、コード進行、使われてる楽器や構成、それぞれに特色があることがわかる。 よく、You Tubeで、色々なアーティストの演奏を目にする。 『この人らしさ』という事を、つい気になって探すというか、アナライズするけど、最初の頃は全くわからなかった。 それを分かったところで、同じようにできるとは全く異質だが、少しは進歩したのだろう。 個人的に、PCをよく使う機会があるので、特にデザインに関しては、 パッと見ると、似たようなものは作れる。(作る作業は地味なので、時間はかかりますが…) でも、全く独学なので、それ以上にはならない。 最近、一般より格安で講座が受講できるチャンスがあって、そういう制度を使わせていただいて、 一から学びたいとも思ったが、本格的なものはとても高くて… それに、初歩から学び直して、それに見合った効果があるとは言い切れない。 何も、すべて揃ってることが、表現力に直結するわけではないのだ。 まず、原点に立ち戻ってみると、僕が人生を賭けて表現したいものがあるのだろうか? 自分の譲れないもの、どうしても、これだけは伝えたいことなどあるのか? 僕は、どうしても、自分が最もやりたい事、一番に思ってることを言えないできた。 何回か、自分の表現したいことを口にしたことがあるが、コンサバな人が多いのか、それ以上に僕の実力、行動が伴ってなかったからだろう。 「へー、ふーん」で流されてしまった。 でも、それでも、僕はどうしても捨てきれない、衝動がある。 その強い衝動のおかげで、僕は独りだと落ち込んで、塞ぎこんでも、生きてこれた。 最近の僕は、やっと、名前負けしない、充実した感覚を味わって、今までの人生を、やっと肯定できるようになった。 そんな気持ちを、今までの僕の気持ちと併せて表現できないものか。 言葉でも、音でも色でも、空間、広がりを持たせることはできる。 日常の些細な出来事、言葉、音、景色、それぞれ、それ以上の意味や感情が付随しているように思うけど、やっぱり何か表現したい。 もちろん、人は生きるだけでも、ただ息をするだけでも、十分に表現をしている。 でも、なぜ、形ある表現物があるのだろう。 それは、きっと自分の心の動きをずっと、なるべく長い時間とっておいて、 できるだけ多くの人と共有したいという、幸せな気持ちからきているんじゃないだろうか。 ※とりとめのない文章だけど、今というか、最近、すごく涙もろいです。 辛い涙と、嬉しい涙。 どちらの感情も、どうにか表現できるような、自分なりの方法論を見つけたい。 もっと、僕は何枚も素になることがきっと重要だと思う。 この文章を書いてる間も、書きたいことが現実に近くなるので、避けて書いてる。 ひとつ自分に言えることは、 「もっと精一杯になれ、躊躇してると幸せを逃すぞ。」 といったとこだろうか。 確実に自分の世界です…。
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