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ゆめ


大切な人がいます

その人を想って泣きました



大切にしたかった家族がいます

もう、もとには戻せません



大切だった感情がありました

涙と共にスッと消えていきました



時々ゆめをみます

涙が溢れて止まらない心に響くゆめを



悔しいのだろうか

悲しいのだろうか

僕にはわかりません



なんで泣いてしまうのか

なぜ止まらないのか

わからないまま涙が止まりません



泣いて目覚めたとき

頑張ろうと思えます

なんか心が強くなった気がします




なんであのとき

あのひとに

あんなふうに

できなかったとか




なんで僕にはこれができないとか

あんな風にしたいけど難しいとか

思うのは悲しくありません




それはただの自分の希望であって

僕だけの問題です

だからいいんです




一番かなしいのは

僕のせいであの時

誰かがどうなってしまった




これからどうしてしまう

不自由させてしまうとか

悲しませるかもという予測のことです




どうしょもないことだから

でも自分じゃないから

相手があることだから

すごく悔しくてかなしいです




友達でも恋人でも家族でも

僕はみんな大好きなんです

厳しいことはいいたくないし

お別れなんかしたくなかった




でも絶対はないと誰かが言ってました

すごく大切なひとです

その人にも僕は何一つできていない

とても優しくて素敵な人です




こんな僕でもずっと見捨てない家族がいます

すごく優しくていい人達だと思います

僕はなんにもできやしないのに

やさしいし真剣に考えてくれます



でもそれが面倒でいやで

拒んだりもしました

でも僕がもし

もし僕の命が終わるなら




そんな時にはきっと家族の顔を思い浮かべるでしょう

そしてたくさんのごめんなさいとありがとうを

なんかいも

なんかいも

心のなかで叫ぶでしょう




大切なものは心のなかにあるのは知ってます

わかってるし言いたい言葉も全部もう心のなかにあるのに

すごく簡単なことなのに

僕はちゃんと言えません




たった一言

すごくシンプルな言葉



ありがとう


今まで本当にありがとう



いつか言える日がくるかな…


表現力の前に。


まず、僕自身は、表現力の点が優れてるとは思っていない。

それに、今日のブログはいつもより増して、意味不明なことが多い。

いつも、素晴らしい個性を表現してる様々なものを見聞きする度に、痛切に自身を適切に表現できる力が欠けていると反省する。

難しいことをすること、複雑なものだけが優れているというのも違う。





それは、スキルや、テクニックの類であり、限られた中で

最大限の表現をする、いわゆる、ある種のフォーマットの形成というものが必須かとも思う。

僕はギターを弾いてる(練習生)だから、音楽の話でいうと、ジャンルだ。





J-POP、フォーク、ボッサ、ブルース、JAZZ…

いろんなジャンルがあるけども、リズムやら、繰り返しやら、コード進行、使われてる楽器や構成、それぞれに特色があることがわかる。

よく、You Tubeで、色々なアーティストの演奏を目にする。

『この人らしさ』という事を、つい気になって探すというか、アナライズするけど、最初の頃は全くわからなかった。

それを分かったところで、同じようにできるとは全く異質だが、少しは進歩したのだろう。





個人的に、PCをよく使う機会があるので、特にデザインに関しては、

パッと見ると、似たようなものは作れる。(作る作業は地味なので、時間はかかりますが…)

でも、全く独学なので、それ以上にはならない。

最近、一般より格安で講座が受講できるチャンスがあって、そういう制度を使わせていただいて、

一から学びたいとも思ったが、本格的なものはとても高くて…

それに、初歩から学び直して、それに見合った効果があるとは言い切れない。

何も、すべて揃ってることが、表現力に直結するわけではないのだ。





まず、原点に立ち戻ってみると、僕が人生を賭けて表現したいものがあるのだろうか?

自分の譲れないもの、どうしても、これだけは伝えたいことなどあるのか?

僕は、どうしても、自分が最もやりたい事、一番に思ってることを言えないできた。

何回か、自分の表現したいことを口にしたことがあるが、コンサバな人が多いのか、それ以上に僕の実力、行動が伴ってなかったからだろう。

「へー、ふーん」で流されてしまった。





でも、それでも、僕はどうしても捨てきれない、衝動がある。

その強い衝動のおかげで、僕は独りだと落ち込んで、塞ぎこんでも、生きてこれた。

最近の僕は、やっと、名前負けしない、充実した感覚を味わって、今までの人生を、やっと肯定できるようになった。

そんな気持ちを、今までの僕の気持ちと併せて表現できないものか。





言葉でも、音でも色でも、空間、広がりを持たせることはできる。

日常の些細な出来事、言葉、音、景色、それぞれ、それ以上の意味や感情が付随しているように思うけど、やっぱり何か表現したい。

もちろん、人は生きるだけでも、ただ息をするだけでも、十分に表現をしている。





でも、なぜ、形ある表現物があるのだろう。

それは、きっと自分の心の動きをずっと、なるべく長い時間とっておいて、

できるだけ多くの人と共有したいという、幸せな気持ちからきているんじゃないだろうか。


※とりとめのない文章だけど、今というか、最近、すごく涙もろいです。

 辛い涙と、嬉しい涙。

 どちらの感情も、どうにか表現できるような、自分なりの方法論を見つけたい。

 もっと、僕は何枚も素になることがきっと重要だと思う。

 この文章を書いてる間も、書きたいことが現実に近くなるので、避けて書いてる。

 ひとつ自分に言えることは、

 「もっと精一杯になれ、躊躇してると幸せを逃すぞ。」

 といったとこだろうか。

 確実に自分の世界です…。

美しさ?


「キレイだ・・・」

「可愛い・・・」

「いいなー」

いろんな風に形容される美しいもの。

でも、当たり前だけど、それには飽きというか、慣れというのがついてきます。





最近、オシャレなものが子供時代に比べ増えたように思います。

建物も、着る服も、目に映るものすべてが。

でも、どこへ行っても、何をしても、昔オシャレと言われたものに溢れすぎてる。

個性がないというか。

じゃあ、『オシャレ』ってなんなんだろう ――





昔、オシャレなモノがたくさん載ってる雑誌なんかを愛読してました。

よく美容室にあるような雑誌です。

ある時期(3年ほど前)から買うのも、読むのもやめました。

どんどんプロダクトデザインにもオシャレって要素が入ってきて、最近は結構オシャレな家電が多いです。





こうなると、美しいという定義も難しく、ちょっとやそっとじゃ感じません。

本当に心を揺さぶられる、そんなものにしか、その言葉は使わないのです。

美しいとか、オシャレだという言葉を安易に欲しがる人を知ってます。

自分もそんな人でした。





身体を鍛えて、洒落た服を着て、洒落た店で洒落たご飯を食べ、洒落た言葉を使い・・・

ハイハイ、洒落をおっかけっこしてる時点で洒落てません。

しゃれにならない。

実は、洒落た、美しいものは身近に、すぐ目の前に当たり前にあるものだってことを気がつかなかった。

他のなにより、目の前の当たり前が、この時間、この場所、あなたと私が一番大切。

優劣をつけた時点で、無駄な時間と人生を過ごしてるんじゃないかな。

僕はそう思うし、実際、そういう経験があります。





ぜひ、感動したら、心が動いたらもちろん、そうでなくとも、当たり前の今に、目の前に広がるすべてにありがとうを・・・

これは、僕が未熟だから、気がつくのが遅かったのですが・・・

まだ、当たり前に美しさを感じられないひとは、ありがとうの一言はじめてみてください。。。



※これは、僕は常日頃、話していることです。

 友達に、知り合いに、いろんな人に。

 でも決して、僕はえらそうにしたいのでなく、そう感じたから、こう言うのです。

 なかなか難しいですね・・・

本物・・・・ か。


本物ってなんなんだろうな。

少なくとも、自ら、本物宣言するようなのは、きっとイミテーション。

ちょっと、難しく考えると、きっと、自分の中で疑った瞬間、本物すらイミテーション。





心に決めたあの人は、君と僕との境界線


ブログをずっと前に、停滞させた時の恋で、学んだ一節。

本当なんて、きっと無かったかもしれないし、見失ってたのかもしれないし、わからない。

でも、きっと、相手との距離を感じたのは、こういう事なんだろう。





僕には、ずっと想って、忘れられない恋があった。

今まで、それなりに恋愛をしてきて、愛してる、好きだの言葉を投げ交わし、過ごしてきた。

それでも、一度足りとも忘れられなかった、そんな恋が、僕の中には、大切な感情として残ってる。





話は変わりますが、恋をして、男女が付き合って、何もないということは余り無いでしょう。

僕は、ずっと目をそらしてきた、あるものを受けました。

性病検査なのですが、もう、できれば、あんなのは受けたくない。

一応、今度また受けることがあると思うけど、あんな雰囲気、味わいたくない。





病院で自費だと、即日検査というのもありますが、保健所なら、無料だそうです。

しっかりプライバシーが守られてるようで、番号によって、受付され、氏名は言う必要がありません。

しかし、問診票には、居住地域、年齢、性別があるので、完全に個人が特定できない訳ではないでしょうが…





待合い室のソファには、エイズの危険を知らせるリーフレットがたくさん。

しかも、ポスターが掲示してあり、

彼女の元彼の元カノを知ってますか?

なんて、早口言葉みたいな、ゾッとする標語が書いてあるし…





今までの、本物の愛を確かめた時間に、自信をなくしました。。。

というより、全く相手が自分以外と関係してない証拠がどこにある?

自分が相手以外に関係してない証拠も、どこにもない。

あるのは、不確実な、見えない、信頼という謎のベール。





こういうことを書くと、なんか、すごく気が引けますが…

怖い、後悔、、、、

そんな感情になったのは、明らかに、自分の行動に依るところが大きいです。

僕は、弱い。

とても、とても弱い。

だから、いろんな人と、いろんな付き合い方をして、紛らわした。

すべて忘れるために、自分なんてなかったことにするために。





でも、僕は変に真面目なのか、どうしてもライトになりきれなくて、気を許すことができずに…

ただただ、疲弊し、むなしくなって、気がつけば、病気のこと以上に自分の恋愛が嫌になった。





さて、性病検査のことですが、検査自体は非常に簡単で、採血と問診で終了。

後日、また数字のみを言い、結果を聞きに行くのですが、それもまた怖い。

椅子に座って、封筒から出された結果を見る。

陰性って問題なしってことなのに、怖くて、陰性と陽性の意味を確認して、やっと落ち着いた。





なんか、恋愛したり、その確認の行為が、スキンシップが二度としたくないくらいの感覚。

僕にとって、その行為、時間は、唯一、自分が肯定されたと実感できた時間でした。

でも、怖いから、すごく気をつかって、手も石鹸で念入りに洗って…

リラックスできたことなど、なかったんじゃないかな…





本当に好きな人を、粗末に僕はできない。

というと、じゃあ、そうじゃない人はどうかとなる。

表現を変えれば、奥手になってしまうのが、ホントの恋。

そうじゃないのは、その場限りか、もしかして、愛にはならない恋。





ともかく、僕は、最低です。

病気は治らないけど、こういう病気は救いようがない。


誠実って、なんなんでしょう。

僕には似つかわしくない言葉。

どこにもない言葉。

でも、それでも、僕は誠実を望んでる。


※投げやりが一番よくない。

 昔、本当に死んでもいいと、思ってた。

 だから、遊んで、自分を忘れて、一瞬でも楽になりたかった。

 でも、楽というのは、苦のあとにしかないと、小学校で習った通りだった。

 もし、僕がずっと、ずっと、本物を信じ、行動したら、きっと今は違った未来だったんだろうな。

 今の僕は、今まで楽ではなかったけど、楽だった時間と同じか、それ以上、苦しむ時期です。

 その先に、本物が、自分も含めて、存在するかは、関係がなくて、そういうモノなのかもしれません。

かっこいいよ


家には、過去に機種変更したもの、現在使ってる機種、合計三台のケータイがある。

たまに、過去のメールのやりとりを見返すことがあるのだけど、今回、また忘れかけてたことを思い出した。

僕などは、単純なので、毎回、恋愛が終わるパターンというのがあって、何かしらのキーワードがあるようで…




恋人から、自分の容姿、性格などを褒められるということは、誰しもあるだろう。

褒められることに不慣れな人、不器用な人は、そこで否定に入るのだけど、それが適度でない場合は…



…。



僕のようになります...




過去のメールのやり取りを見てみると、

(僕だって割りと仲良い関係を築いてるじゃないか?)

(あ〜、このときは、まだ互いに同じものを感じてたんだろうな〜)

(これは、どう見ても、ハットトリックだろ!!)←後述。

そんなことを、ふと思うのです。




僕は付き合う女性には、割と、思ったことをダイレクトに、いい事も悪い事も言うタイプ。

よく、嫌われるスレスレの事でも、相手を思うが故に、若さゆえのお節介で言っていました。

踏み込んだ会話は、信頼があって、ゆるぎなくなった段階では許されるときもある。

でも、同時に、関係を壊すリスクも、その後の強靭な関係の継続と同様にあるんだな…




僕は、それなりに女性と付き合ったり、仲良くさせていただきますが、こちらが向こうを信用(信頼)した事があまりないと気がつきました。

どこかのタイミングで、こちらの勝手な解釈で相手を量り、自分のモノサシで見てました。

Wikipediaで、信頼について調べました。

信頼(しんらい)とは、相手を信用し、頼りにすること。信用が、「悪いようにはしないだろう」程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがある。

乳児期・幼児期の発達課題に、信頼の獲得があり、これに失敗すると、生涯他者を信用することを躊躇するという。(Wikipedia 信頼の項より抜粋)





うーん、なんとも言えない、ドンピシャな内容。

確かに、僕にも当てはまってるし、毎回、何かしら、躊躇してます。

ただ、これからの自分を変えるには、自分を変えないと。




先日、僕を信頼してると、真顔で言ってくれた人がいました。

でも、僕は、やはり、それを突き放し、「人を簡単に信用しないほうがいい」、なんて言ってしまって。

本人はどう思ったでしょう。

僕は、このブログの最初に、推測についての内容を書いた事がありますが、忘れてしまってた。。




昔、僕を好きになってくれた人たちから、「かっこいいよ。」という言葉をよく受けましたが、それも信じなかった。

僕を信頼してると言ってくれた人は、僕を受け入れてくれてるような、気がします。

あくまで知り合いとしてでも、その言葉には、感謝しないといけないし、僕の対応はすべて違っていました。




女性を信用できなくなった僕にとって、長い間、彼女だけは特別でした。

その人に、僕は恩返しをしたい。

そんな気持ちすら、無くなってしまうような発言をしてしまう、自分が嫌です。


※自分を吐露するのも久しぶりです。

 最近、古内東子さんという方が歌ってる、パンテーンのCMの歌がお気に入りです。

 CASHMERE MUSICというアルバムに入ってる、Beautiful Daysという曲なのですが。。。

 ちょうど、結婚式へ向けたヘアケアをする女性のドキュメントを15秒で、この曲をバックに流してて、すごく気に入りました。

 心から、幸せでありたいと望む、最近です。

 いくら恋愛をしても、埋まらないもの、それは、自分で気がつくしかないのでしょう。

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