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3月8日は、4年にわたった成田市での笑医塾のプロジェクトが終わりました。
講演会を2年にわたり行った後、180人の成田市民を笑医プロデューサーとして、育てました。
多くの受講希望者があり、やはりメンタルな面での住民の関心は高いと思われました。笑医プロデューサーの実際の体験談はそれぞれ非常に聴きごたえがありました。実際の日常生活の中での体験談は聞きに来た市民にとっても身近なものであり、会場全員が聞き入っていました。
涙ぐむ人もいました。そして、会場一体となった笑いの渦。 これこそ、行政だけではできない、住民との協働事業の利点であると行政も認めた成田市の事業でした。 最終日の3月8日の市民大会です。朝のリハーサルでは、上手な司会者がペラペラしゃべるので、途中で遮って、みんなに言いました。
「そんなのでは、人の心は打ちません。みんな、自分の言葉で、本当のことを言いなさい。真実が一番、人の心を打つのです」
そうしたらどうです。とつぜん、みんなが次々と告白大会になりました。
彼らのうちの何人かが、このプロジェクトにかかわってこんなに変わりましたとカミングアウトしました。
・私は乳がんで一昨年手術、抗がん剤、放射線治療を受けました。治療は終わったけど、再発が怖くて、不安で、くらい日々を過ごしていました。それがこの笑医に出会って、今は毎日が、楽しくて、生きています。
・営業の仕事もなかなかうまくいかなくて、鬱になり、職場にも何か月もいけなかった。屋上で、ここから飛び降りたら楽になると思ったこともありました。でも、何か、かわれないかとこの笑医塾にきたら、その日から、「ほほえみの太陽」が理解でき、いまは、何とか、やっていけると自信ができています。笑医を伝えることで、本当に自分が生きている実感を感じています。
・介護のために仕事を辞めたのに、嫁姑問題で、毎日暗―い生活でした。くらくらの生活。何のために行きているのかとさえ思った。主人も二人の間に挟まれて、大変だったと思う。笑医塾に来て、私が変わろうと伝えると、なんと、お姑さんが、変わってきたんです。今は、主人が長期出張なのですが、姑と二人で、心を寄せ合って、生きています。
・20年前に主人が亡くなってから何のために生きているのかわからなくて、毎日、いつ死んでもよいと思っていた。笑医塾に来て、初めて、生きて私は役に立っているんだてわかりました。
・こう見えて、私は、15分、心臓が止まりました。運動訓練をしている仕事なのに、ストレスがたまり、心筋梗塞になったのです。68日間入院しました。よく助かったものです。病院で初めて広報に乗っていた笑医塾の記事を読みました。これだ、これでもう心臓は止まらないぞと思いました。
・今まで定年になった旦那と二人、文句も多くて、やっとやっと生活していました。それがこの笑医塾に来てから、主人に笑顔で相対するようになり、主人も変わりました。二人で楽しく過ごしています。
などなど、すごいですね。皆さんが、口々に笑医の効果を話してくださったのです。
笑いの講習って、ほほえみの太陽をしっかりお伝えしただけなのに、こんなに人生が変わった人が出てくるなんで本当にうれしいです。笑医プロデューサーがほかの人に伝えるのも、気が入って、本当に楽しみながらやっていました。成田市が変わってくれることを楽しみにしています。これからは、東京の笑医塾にいらしてください。
■112人の笑医プロデューサーを認定しました。
■成田市の橘昌孝医師が笑いの協議会相談役として大サポート
■笑いプロデューサはみんなを巻き込みます
■パーキンソン病の方も、元気に積極的になり皆を指導しました。
■笑いの大切さがわかった人、はーい。
■笑医プロデューサーの皆さんから
成田市からお礼を言っていただきました。 |

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