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■昨冬、昭和40年代のスナップ写真を貼り付けたノートを2冊手に入れました。
1冊は昭和46年10月の熊野路旅行、もう1冊は昭和47年3月の鹿児島県志布志・大隅ほかの南九州旅行のものです。 撮影者(昨年他界)は民俗学に興味のあつた人らしく、その手の対象を主に撮影してをります。 中でも楠に関心があつたやうで、寺社境内にある大きな楠をしばしば撮影してゐます。 ただ、熊野路の旅には田辺の闘鶏神社や蟻通神社まで参りながら、徒歩10分程度のところにある南方熊楠邸には行かなかつたみたいです。 門前の写真くらゐ撮つてくれればよかつたのですがね。 ■さて、この写真帖には各ページに新聞紙(読売新聞)の合紙が挿んであります。 昨夜、よくよくそれらの記事を読んでゐると面白くなつて、ついつい明け方まで読み入つてしまひました。 やはり歴史の本やテレビ番組で知るよりも、当時の生の資料に接するはうが生々しさが違ひます。 ■中でも、昭和47年3月14日の夕刊記事の連合赤軍の山岳ベース事件(連合赤軍リンチ事件)関連記事が衝撃的でした。
この事件の生き残りがあさま山荘に逃れ、かの大事件が起こるわけです。 本記事はそれから約2週間後の記事となります。 下記のサイトが詳しくまとめてあるやうなので、興味のある方は御参照ください。 http://yabusaka.moo.jp/sekigunjiken.htm 当該記事はこの事件後逃亡してゐた中村愛子の自供内容をまとめたものです。
山本保子(夫の順一は殺害され、赤ん坊は取り上げられてゐた)はベースから逃亡、その間、中村愛子が赤ん坊の世話をしてゐた様子が記されてゐます。 なほ、この子の名前の由来については次のやうな説明が見えます。
「アラブゲリラのハイジャックの女闘士ライラ・ハレドにあやかり、男なら「よりよし」女なら「らいら」と読ませるよう夫婦で決めていたという(同日「よみうり寸評」)。
今日のいはゆるキラキラネームとは次元が違ひます。
■擬似科学的俗信 「 先日、道を歩いていると小雨が降ってきた。すると、前から小雨に追い立てられるように二人の小さな子供がかけてきた。すれちがいに、その子たちはこんな話をしていた。「こんな雨に負けるものか」「ハゲになっちゃうよ」「ハゲたっていいよ」。 私はこのさりげない話を聞いて、幼いころのことを思い出した。私の小さいころ、雨にぬれるとハゲになると本気で信じていた。核実験の放射能が雨に含まれていて、それにぬれるとハゲになるというのである。それから一体、何年たつというのだろうか。いまだ人類はこの愚かしさに気がついていない。」(昭和47年3月30日・16歳高校生の投書) ※90年代には、酸性雨によつて禿げるといふことが言はれてゐましたが、今はどうなんでせう。 ■俗語
【オヤカマ氏】 「私の父はなかなかのオヤカマ氏。それだけに、私が選んだ結婚相手に“待った”をかけるのではないかと心配でした」(昭和46年10月8日) やかましい人の意味ですが、人気作品に由来するもののやうです。
今ではまつたく聞かれなくなりました。
■東ドイツから泳いで亡命
「西ドイツ国境警備警察当局者は十九日、東ドイツの四百メートル自由形選手権保持者、アグゼル・ミトバウアー君(一九)が十八日朝、バルチック海の東ドイツ領メクレンブルグ海岸から、西ドイツのシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の海岸へ二十二キロを泳ぎ着いたと語った。」(昭和44年8月下旬某日) ■『帰ってきたウルトラマン』「この一発で地獄へ行け!」(昭和46年10月8日)。
第27話です。怪獣はグロンケン。 ■当時のテレビ番組には落語家がたくさん出てゐたんですね。「桂小金治アフタヌーンショー」など。
■ラジオ番組には「歌謡曲」の語がおびただしく見えます。
今は死語となつた「電話リクエスト」といふ言葉もあります。
略して「電リク」。子供の頃、よく使はれてゐました。懐かしいw
■週刊誌の広告を見ると、今と変はらず有名人の結婚・離婚・不倫といつたゴシップ中心。
この他にも台湾情勢や米軍基地問題、環境問題など興味深い記事がいろいろありましたが、これ以上とりとめのない内容になるのも何ですので、ここで擱筆します。 |
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