穴あき日記〜奈良漬のブログ

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近年、鳥山石燕の妖怪画の再評価が著しい。すでに90年代から小説、マンガ、ゲーム等のクリエーターたちがこれを用いる機会が増えてきた。これは1992年刊行の国書刊行会本と、2005年以降、版を重ねている角川ソフィア文庫本、さらにウィキペディアの拠るところが大きいだろう。
ところがよくよく本文を検証してみると、単純な翻刻ミスから内容的に看過できない誤読までいくつか散見される。管見では23ヶ所に修正の必要を覚えた。以下に具体的に指摘していくことにしたい。
※田中→田中初夫編『画図百鬼夜行』渡辺書店、1967年 (本文は目次ページにあり。また『画図百器徒然袋』未収録)
 国書→稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会、1992年
 角川→『鳥山石燕画 図百鬼夜行全画集』角川ソフィア文庫、2005年(使用本=第24版、2014年)
※引用本文中の( )は直前の漢字に付いている振り仮名を示す。
※ウィキペディア所引の本文もおよそかくのごとし。要注意。

1. 人魂(田中105/国書139/角川99)

  魂(こん)気(き)の如きはゆかざることなし。
  魂(こん)気(き)の如きはゆかざるなし

「こと」の部分は欠損があり、判読がむつかしいが、補正してみると「事」の崩し字であることが知られる。
イメージ 2
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2. 大首(田中130/国書168/角川124)

  おそろしなんもおろか也。
  おそろしなんもおろか也。

釈文で「おそろし。」と文を処理している点に問題がある。たとえば下のような事例を見てみよう。
  凡そあたりをはらつてぞ見えたりける。おそろしなんどもをろか也。(『平家物語』「能登殿最期」)
  いとゞ恐しなんども云ばかりなし。(『源平盛衰記』巻六「丹波少将被二召捕一附謀叛人被二召捕一事」)
このように、「おろか」は相手を侮蔑する表現ではない。
そもそも、そうであれば、一体、石燕は誰を誹謗しているのだろうか。
大首だろうか、それとも、不運にも大首に出くわしてしまった人だろうか。
どちらに対してでもない。
闇夜に突如現れた大首を前にして、「恐ろしなんど言ふもおろかなり」ということで、つまり、「恐ろしい」という言葉にもならないということである。
このような釈文の誤りを踏襲し、英訳本では「How ridiculous !」(p.146)としてしまっている。

3. 百々爺(田中131/国書169/角川125)

  もゝんぐはとがごとふたつのものを合せて、
  もゝんぐはとがごとふたつのものを合せて、

濁点を打ち損じ。

4. 天逆毎(田中133/国書171/角川127)

  或書ニ云フ。(下略)
  (省略)

他の項の画中詞を見る限りでは、漢文体の本文は原文のままというのが釈文の基本姿勢のようである。しかし、本項目では書き下し文に改められている。

5. 彭侯(田中154/国書194/角川142)

  千歳(ざい)のには精(せい)あり。
  千歳(ざい)の木(き)には精(せい)あり。

単純に、振り仮名を落としている。

6. 白粉婆(田中160/国書200/角川148)

  おしろいばは此神の侍女(ぢぢよ)なるべし。
  おしろいばは此神の侍女(ぢぢよ)なるべし。

濁点を打ち損じ。

7. 蛇骨婆(田中161/国書201/角川149)

  蛇(じや)骨(こつ)婆(ば)は此の国の人か。(中略)訛(あやまり)りて蛇(じや)骨(こつ)婆(ば)といふと。
  蛇(じや)骨(こつ)婆(ば)は此の国の人か。(中略)訛(あやまり)りて蛇(じや)骨(こつ)婆(ば)といふと。

白粉婆と同じく、濁点を落としている。

8. 倩兮女(角川151)

  一(ひと)たびへば、(角川)
  一(ひと)たび笑(わら)へば、(国書)

田中本(163)・国書本(203)では原本通り「一(ひと)たび笑(わら)へば、」と振り仮名を付けているが、角川本ではこれを落としている。

9. 屏風闚(田中190/国書238/角川178)

  枝(だ)をつらね
  枝(だ)をつらね

原本では「枝」に「ゑだ」と振り仮名を付けている。

10. 目競(角川182)

  大(だい)政(ぜう)(にう)道(だう)清盛(きよもり)
  大(だい)政(ぜう)(にう)道(だう)清盛(きよもり)

田中本(194)・国書本(242)では原本通りに「大(だい)政(ぜう)(にう)道(だう)清盛(きよもり)」であるが、角川本では「入」を「人」に誤っている。

11. 否哉(角川184)

  怪(くはい)(さい)(中略)この否(いや)哉(ゝ)も
  怪(くはい)(さい)(中略)今(いま)この否(いや)哉(ゝ)も

田中本(196)・国書本(244)では原文通り「怪(くはい)哉(さい)(中略)今(いま)この否(いや)哉(ゝ)も」と記している。角川本は「怪哉」を「怪我」とし、また「今」の振り仮名を落としている。

12. 滝霊王(田中198/国書246/角川186)

  滝(たき)つぼより
  つぼより

原本では振り仮名が付いていないのに、翻刻では付けている。

13. 文車妖妃(国書266/角川198)

  文車妖(ふぐうまよう)妃(ひ)
  文車妖(ふぐるまよう)妃(び)
  Fuguruma-yōhi (英訳本)

国書本は釈文の見出しを原本通り「文車妖(ふぐるまよう)妃(び)」とするが、ページの見出しを「文車妖(ふぐうまよう)妃(ひ)」としてしまった。恐らく角川本は後者を継承した結果、「文車妖(ふぐうまよう)妃(ひ)」としてしまったようだ。その結果、これを受けた英訳本でもyōhiと、清音になっている。

14. 長冠(国書268/角川200)

  このがしはの
  このがしはの

原文は「手」という漢字を用いているが、これを平仮名に翻刻している。

15. 沓頬(国書269/角川201)

  瓜(うり)を喰(くろ)ふ霊隠(れいいん)寺(じ)の僧(そう)(中略)瓜田にくに
  瓜(うり)を喰(くろ)ふ霊隠(れいいん)寺(じ)の僧(そう)(中略)瓜田にくに

「鄭瓜州の瓜田に怪がある」「瓜を食べる」「霊隠寺の僧」「これを聞いて符を与える」という4つのセンテンスに分けられる。
問題は「瓜を食べる」という部分だ。
釈文では「霊隠寺の僧」に修飾し、「瓜を食べる霊隠寺の僧」という主語を作っている。
しかし、そうすると、「鄭瓜州の瓜田に怪がある」の「怪」が何か説明されないまま、霊隠寺の僧は瓜を食べながら護符を与えたことになる。これはおかしい。
何者かが瓜田で盗み食らうことが「怪」であり、それを防ぐ相談を受けた霊隠寺の僧が護符を与えたと解すべきだろう。
したがって、
  鄭瓜州の瓜田に怪ありて、瓜を喰ふ。
  霊隠寺の僧、これをきゝて、符を与ふ。
とするのが正しいと思われる。
また、護符を「瓜田にかくに」は「瓜田におくに」の誤りである。
内容的にも護符を瓜田に置いたのであって、瓜田に書いたとするのはおかしい。
また「書くに」を「掛(懸)くに」と解すのであれば、「掛(懸)くるに」としなければ、文法的に誤りである。
文語文が文章作成の基本である石燕がこのような基本的な誤りを犯していると解するのは強引すぎるというものだろう。
英訳本も注意が必要。

16. 払子守(国書277/角川209)

  仏性(ぶつしやう)ありけり
  仏性(ぶつしやう)ありやと

「則」とは公案、いわゆる禅問答で用いる問題である。
したがってその文は問い掛けの形式を採っている。
「狗子にさへ仏性ありけり」としてしまうと、犬に仏性があることを既成事実として語るだけで、質問になっていない。まるで「昔、男ありけり」ではじまる『伊勢物語』のようだ。
これは文末の「やと」を誤って「けり」と翻刻してしまった結果である。
ここは「狗子にさへ仏性ありや」と、問うているのである。

17. 禅釜尚(角川212)

  文福(ぶく)茶釜(ちやがま)のためしも
  文福(ぶく)茶釜(ちやがま)のためしも

16と同様、「と」を誤っている。国書本(285)では正しく翻刻されていたものを改悪してしまった。

18. 鞍野郎(国書286/角川214)

  おし
  おしかへし

国書・角川両本及びウィキペディアでは「『保元の夜軍に(中略)気も魂もきへぎへとなりし』とおしみて唄ふ声」と翻刻している。
鞍野郎は『保元物語』に取材した物語歌を語る妖怪として描かれている。
琵琶法師の平家語り、あるいは浄瑠璃語りを想像すればよいのだろうか。
その歌は巧みで聴くものに興を覚えさせるものであった。
「惜しみて」歌う声とはどういうものであろうか。ちょっと解しかねる。
ここは歌うのを惜しむということではなく、「おしかへして」歌う、つまり鎌田正清のエピソードを繰り返し繰り返し歌う声に興があると説いているのである。
「おしみて」の「み」と解した部分は、「か(可)へ」の連綿と「し」から成っている(下図参照)。
英訳本も注意。
イメージ 3









19. 琵琶牧々(国書295/角川223)

  そのぼく馬のびはのにして
  そのぼく馬のびはのにして

原文に「精」とあるのを、「轉」と読み誤ったものだろう。
これと同じ漢字はたとえば「三味長老」にも見える。
そちらでは「精(せい)」と振り仮名が付してあるから間違いない。

20. 襟立衣(国書297/角川225)

  彦(ひこ)山の豊(ぶ)前(ぜん)坊(う)
  彦(ひこ)山の豊(ぶ)前(ぜん)坊(う)

歴史的仮名遣いの表記として、「坊」は「ばう」とするのが正しい。
しかし、ここでは「ぼう」と記されている。
一見すると「ば」に見えなくもないが、よく見ると「者」ではなく、「本」を母字とする「ぼ」の変体仮名を用いていることに気付く。
すなわち「者」を母字とする仮名の場合、右下に下がるだけだが、「本」の場合は一旦右上に上げてから右下に筆を持っていくのである。
ここでは後者の筆遣いが確認できる。

21. 乳鉢坊(国書299/角川227)

  乳ばち坊のばちのおと
   乳ばち坊のばちのおと

この箇所は原本が極めて不鮮明であるため、判読のむつかしいものであった。
もとより「泉ばち」なる語句は他の文献に見出されず、また文意が不通であったし、そもそも筆遣いが「泉」のくずし字とかけ離れている上、「乳」に酷似しているから素直に「乳」とするほうが良いと考えていた。
この推測は、摺の良いスミソニアン・ミュージアム所蔵本がウェブ上で公開されるに及んで確実なものとなった。
重要なことは、この誤字の訂正によって、内容の解釈に変化が生まれたことである。
すなわち、
  乳ばちばうの乳ばち((夕だち))のおとにゆめさめぬ
と、言葉を掛けているわけである。
そう解すると、乳鉢(夕立)の大きな音に驚いて夢から覚めたということになる。
英訳本も注意。

22. 瀬戸大将(国書317/角川241)

  からつやき
  から津やき

「つ」は仮名ではなく漢字と見るべきである。
「油赤子」に「大津」という地名が出てくるが、この「津」は「瀬戸大将」に見える「津」よりもくずれている。
それでも漢字として記されている。
これよりもより原形をとどめる文字がここでは用いられているのであるから、「津」と記すのが適切だろう。

23. 山颪(国書320/角川244


  山おやじ(中略)はりめぐら

  山おろし(中略)はりのごとし


この項目には2ヶ所問題がある。一つは「山おやじ」であり、もう一つは「そう身の毛はりめぐらし」である。
それらの部分を拡大したのが下の画像である。
イメージ 5











まず、「山おやじ」と翻刻した部分を見てみよう。
「山」は問題ない。
続く「お」も問題ない。
しかし次の「や」と読んだ部分であるが、これは「ろ」に「し」を続けたものに見えないだろうか。
本書における「や」の用例は随所に見られるのでご参照願いたい(たとえば「大首」や「目競」)。
ところが「山颪」の文字は違う。
まず左端から筆を入れて右に動かしている。
そして最後の一画は右下から左へ真っ直ぐに引くか、横棒の上から下に緩やかな曲線を引いている。
これに対して「山おろし」の事例はどちらにも該当しない。
そもそも、一画目が左端から始めるのではなく、「お」の点の延長にして、横棒の上から入っている。
これは「ろ」の筆の入る位置に等しい。
これと類似する事例は「天井下」にあるのでご参照願いたい。
イメージ 4












これは「おそろしきめを」と読むべきものである。
その34文字目「ろし」の「ろ」の一画目と「山おろし」のそれとを見比べていただきたい。
入り方が同じであることが分かるであろう。
さらに、「し」が「ろ」の曲線の内側から下に直線を引くように記している点も同じである。
以上のことから、「山おやし」と翻字し、これを「山おやじ」と解釈するのは誤りであり、正しくは「山おろし」とすべきであることは明らかだろう。
内容的にみても、この山颪という妖怪が豪猪、すなわちヤマアラシに似ているから名づけられたので、冒頭に「豪猪といへる獣あり」の一文を配しているのだろう。
しかし、問題はここだけではない。
「山おろしと言ひて、そう身の毛はりめぐらし、此妖怪も名とかたちの似たるゆへにかく言ふならん」としたところで、まだ文意が通じにくい。
「そう身の毛はりめぐらし、此妖怪も名とかたちの似たるゆへ」というところが不自然である。
実はここにも誤字があると考えられるのだ。
「そう身の毛」に問題はない。続く「はり」もそうとしか読めない。
しかし、「めぐらし」とした部分が明らかにおかしい。
類似する文は「骨傘」に見られる「のごとく」であるから、ご参照願う。
また、スミソニアン本は摺りが良いので、大いに参考になる。
その前に、角川本で「め」とした文字であるが、原本紙面の損傷もしくは版木の欠損により「め」の一画目が読めない状態になっていると判断したらしい。
それで「め」としたのだろうが、しかし、本書に記される「め」は円が大きくない。
先に掲げた「天井下」中の「おろそしきめを」の「め」から分かるように、円の部分を細いのである。
それに対して「の」は右の「骨傘」の「の」のように円が半月状になっている。
ひるがえって「山颪」の「はり」の下の文字はどうかというと、明らかに「の」と同じく半月状の円である。
したがって、これは「め」ではなく「の」と読むべき文字である。
ついでその下は「骨傘」の「の」の下にある「ごと」の合字と同じと見るべきだろう。
濁点の位置も同じだ。
内容面から見るとどうか。
「針のごとし」と解することによって、前後の文意が通じる。
つまり、「総身の毛、針のごとし。」、これに続いて「此の妖怪も名とかたちの似たるゆへ」この名が付いたとなる。
「此の妖怪」という主語の「この」は上の文を受けた語であるから、「ごとし」で文を止めたほうが適切である。
以上を整理すると、次のように釈文を修正する必要がある。

  山(やま)颪(おろし)
  豪(がう)猪(ちよ)といへる獣(けもの)あり。
  山おろしと言ひて、そう身の毛、針のごとし。
  此妖怪(ようくわい)も名とかたちの似たるゆへにかく言ふならんと、夢心におもひぬ。

国書刊行会本(1992年刊)および角川ソフィア文庫本(2005年刊)の普及率は高い。
そのためにわずかの間に「山おやじ」なる誤った別名もまた流布するようになってしまった。
ウィキペディアは今後修正することができるが、書籍として流布したものは中々むつかしい。
たとえば水木しげる『図説 日本妖怪大鑑』では
  別名を「山おやじ」といい、深山に住んで群れをつくって害を為すことがあるといわれているが、
と記している。
他にも類似する説明をした文献が散見される。

※以上は2017年12月9日の異類の会での報告をまとめたものである。

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