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応仁の乱と男色

15世紀の男色文献に「若気勧進帳(にゃくけかんじんちょう)」という詩文があります。
古くから知られているから男色研究の書に言及されることがあると思いますが、そのへんの書物には暗いのでどういう評価が与えられているのかよく知りません。
僕はそれよりも勧進帳というものに関心があって、いろいろ集めては読んでいます。
勧進帳とは弁慶が出てくる芝居のアレと同じです。
つまり人々から寺社の再建や修理の費用や資材の寄付を募る行為(勧進)の趣旨をつづり、あわせて喜捨を願う文言を付したものです。
だいたい巻物の形で伝わってます。

「若気勧進帳」と題するのは、男色の再興を願ったものですが、お金を募るものではありません。
勧進帳の体裁をとった一種の戯文です。
とはいえ、よく勧進帳の文章構成に従っており、なかなか立派な出来です。
結構な文章を書けるのに、こういうどうでもいい(?)文章を書いて楽しむ、戯作者のような遊び心をもった人はとても懐かしい気がして、僕は好きですね。

これが書かれたのは、奥書が正しければ文明14年(1482)。
将軍義政が銀閣寺を造営したころのこと。
僕の手もとにあるのは続群書類従本。
これは享禄5年(1532)の古写本を校本に使用。
また京都の、とある真宗系の大学図書館所蔵の江戸後期写本も見ました。
成立はさだかではありませんが、室町期の漢詩文とみていいと考えます。

この中にはさまざなな故事が短いフレーズに凝縮して散りばめられています。
文覚上人×六代御前、弁慶×義経のCLや聖徳太子の故事などなど。

で、気になるのは、男色史的に応仁の乱を位置づけていることです。
つまりこうです。
かつては貴賤や貧福を問わず、志によって比翼連理の契りをなしていました。
しかし、応仁・文正の頃より志の浅深にかかわらず、金に物をいわせ、酒を仲立ちとするようになりました。
そういう風潮だから関係が軽薄となったというのでしょう。
これでは義経のために命を捨てた弁慶の志には到底及びません。
著者はこのような世相になったことを批判し、改めて応仁の乱以前の深い若道を復興したいと願っていたわけです。
もっともこれを戯文とみなせば、どこまで本気の文章なのかは知れないのがもどかしいところ。
応仁の乱前後で男色にどう変化したのか、ウラの取れる史料があると面白いんですけどね。

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聖徳太子にも男色の故事があるのですか?山岸涼子氏のコミック『日出ずる処の天子』はそういう感じで描かれていましたが、故事に基づいていたということですね^^ 知らなかった〜〜。
現代の“男色”に対する考え方(印象)というのが、いつ頃から出来てきたのでしょうか。儒教の影響とかがありそうですが・・・。

2009/12/15(火) 午前 0:06 ibiza_wine 返信する

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太子説話の出所は今わかりませんが(調べれば難なく見つかると思いますけど)、本文に次のようにあります。
本朝山城州太秦之太子、現小人姿叶法師望。
是亦非慈深乎。
太秦寺(広隆寺)の聖徳太子は少年の姿に現じて、法師の望みを叶えたということで、これを太子の慈悲深さを示すエピソードとして取り上げています。
今の廃れた世ではありえないことだが、一つの理想的関係として示しているようです。

現代の男色観というのは、正直よくわからないところですorz
男女差、世代差がかなりありますし、二次元オンリー、三次元オンリー、どちらもあり/なし、対象年齢、ホントいろいろじゃないかと思うんです。
で、そういうのは昔もあったんでしょうが、基本的に美少年好きが昔も今も主流じゃないでしょうか。
それと並行して男色批判をする人は中世にも近世にもいたわけです。
近代化によって何が変わったのか、たぶん専門書には書かれているんでしょうけれども、不学にしてちょっとわからないんですよねー。
すみません(T.T)

2009/12/15(火) 午前 0:44 [ 奈良漬 ] 返信する

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