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狐火の話
妖怪・怪異
[ たっかん2 ]
2019/1/29(火) 午前 11:50
私の祖父が住んでいたのは新潟県南魚沼市なのですが、私が幼少期に夏休みを利用して遊びに行っていた時の話しです。
19時位だったと記憶しているのですが、祖父が「○○、外に出てごらん。狐の嫁入りが見れるよ」と私を外に呼び出したのです。
私は外に出て見ると向こうの山に灯りが20個程列をなして見えたのです。
そこで祖父が【狐の窓】の組み方を教えてくれ、その中央から息を吹いてごらんと言われたので、息を吹いてみると その狐火がポッポッと順番に消えたのです。
何故かその不思議な出来事は鮮明に覚えていました。
2年前に母親と墓参りに行った時にその話しを母にした所、母もやはり幼少期に祖父に教えてもらい息を吹いた事があると言っていました。
今では祖父も他界してしまい真相を聞く事はできません。
日夏耿之介の書斎
近代文化人
[ floraamica ]
2019/1/1(火) 午前 8:57
嘉吉の乱にまつわる軍記物
和本・古本
[ 歴史の真実を世紀ごと学ぶ ]
2018/9/2(日) 午前 11:00
嘉吉の乱 戦後 赤松氏のその後
脱出した教康は義父の大河内顕雅を頼るが拒まれて自害し、満祐が擁立した義尊も討たれている。満祐の弟の義雅は一族である満政の陣に出頭して切腹し、息子千代丸(後の赤松時勝)の育成を託した。
またもう一人の弟である則繁は九州に逃亡し、一時は朝鮮に渡るなど活躍したが文安5年(1448年)に河内で討たれている。
享徳3年(1454年)に満祐の甥の赤松則尚が赤松氏再興を掲げて播磨に侵入したが、敗れて持豊に討ち取られた。
分家の有馬氏出身の有馬持家・元家父子は8代将軍足利義政の側近として活動していたが、それぞれ満政、則尚の反乱に連座して隠居に追い込まれた。
嘉吉3年(1443年)9月、後南朝勢力が御所に乱入し、三種の神器のうちの神璽が奪われる事件が発生した(禁闕の変)。
赤松氏の遺臣は後南朝勢力に潜入し、長禄元年(1457年)12月に神璽を奪還して後南朝の後裔を殺害した(長禄の変)。
この功により時勝の子赤松政則は赤松氏の再興を認められ、加賀半国守護に任ぜられた。応仁の乱では旧領の三国をめぐって山名氏と争い、三国守護の座を奪還した。
大正期兵庫の文芸誌『憧憬(あこがれ)』
和本・古本
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2018/6/11(月) 午前 10:53
擬人化という語(1)
伊藤慎吾の仕事
[ 奈良漬 ]
2017/12/28(木) 午前 0:30
擬人化という語(1)
伊藤慎吾の仕事
[ 森 洋介 ]
2017/10/14(土) 午後 11:53
エストニアの小龍、もしくはゴブリン、エルフ
妖怪・怪異
[ 奈良漬 ]
2017/8/29(火) 午後 9:24
エストニアの小龍、もしくはゴブリン、エルフ
妖怪・怪異
[ hirota ]
2017/8/22(火) 午前 0:52
エストニアの小龍、もしくはゴブリン、エルフ
妖怪・怪異
[ hirota ]
2017/8/22(火) 午前 0:51
こちらで失礼します。
Wikipediaの件の記事の編集者はドラゴン関係をたくさん作成した方なのですが、問題のある編集が多く、10年ほど前、批判がありました。なのでけっこう用語法とか適当だと思います。
キャロル・ローズの事典を見てみると、文献としてA dictionary of fabulous beastsが挙げられています。で、それを見てみるとPukやTulihändは載っていてPisuhändは見つからなかったのですが、たどってみるとFunk & Wagnalls standard dictionary of folklore, mythology, and legendに行きつきます。この本のpukにpisuhändが言及されています。ローズの事典の参考文献にも同書は載っているので、どこかで混同したのでしょう。Standard Dictionaryの項目を見てみると、バルト地方のpukやpūkisなどはゲルマン系のpukが由来なのは間違いないと書いてあって、それで「ドイツでは」という書き方になったのでしょう。




