穴あき日記〜奈良漬のブログ

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先日、室町時代の文人貴族や歌人の伝記記事を辞典用に執筆することになりました。
恐ろしくむつかしい(資料的に)人物についても書くことになってしまいましたが、その一方で、前々から伝記を調べていきたいと思っていた人物もいます。
たとえばこんな人々。

・東坊城秀長(ひがしぼうじょう・ひでなが)
東坊城家は菅原家の一つ。
この人は室町初期の学者で、朝廷の文書作成のほか、足利将軍義満に『孟子』などの漢籍を教えたりもしていました。
室町期の菅原家の礎を築いた人物といって過言ではないでしょう。

・東坊城和長(ひがしぼうじょう・かずなが)
秀長の子孫です。
応仁文明の大乱を経て都は混乱。
公家衆の多くが都を離れる中、朝廷にとどまり、衰微する朝廷の儀礼や故実の復興に努めました。
戦国期の菅原家を支え、散乱した文書を編纂して文章道の維持に貢献した優れた人物でした。
詳しくは拙稿「東坊城和長の文筆活動」(『国語と国文学』82−6)参照。

・五条為学(ごじょう・ためざね)
菅原家の一流です。
和長の弟分といった感じでしょうか。
和長没後の菅原家を支えた人物です。
とはいえ、学問的功績はあまり残っていません。
『拾芥記』という短い日記が現存するのみ。
ですが、戦国時代の菅原家はこの人抜きに語れません。
その後の展開を見ると、五条家が大きいものとなっているようです。

・中原康富(なかはら・やすとみ)
15世紀中葉の文人です。
今風にいえば、書記官僚といったところでしょうか。
身分的にはあまり高くないのですが、その分、武家や町衆との交流も盛んで、彼の日記(『康富記』)は重要な史料となっています。
それをみると、歌や連歌の場を通して他の身分の人々と交流する様がよくわかります。
また文書作成の過程がよくわかる記録ともなっています。
筆まめで学問を好む人でした。
上記菅原家に対して明経道の清原家のもとにありましたから、清原家について知る上でも貴重な存在。


まだまだ担当分はけっこうあるんですが、とりあえず興味ある人物を何人か挙げるなら、上記の人々ですかね。
しかし問題が、彼らの伝記を書くのが和歌文学の辞典だということ。
みなさん、文章や学問の家の人々ですので、和歌はあんまし力入れてないんですね。
和歌文学史の観点から彼らを扱うのはちょっと大変かもです。


ともあれ、ときどき関連記事をここにも挙げていくつもりです。

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