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源頼朝に平家を打倒するように勧めた僧がいます。
文覚上人(もんがく・しょうにん)です。
この人の修行は凄まじく、とりわけ熊野での荒行は後世よく知られるところとなりました。
また、京都北部の真言宗寺院神護寺を再興した人物としても知られています。
その神護寺再興のために費用を工面しなくてはならないわけです。
権門勢家には大口の喜捨(寄付)を、一般庶民には一紙半銭、すなわち僅かばかりの志を募るべく歩いて回りました。
これを勧進といいます。
文覚が勧進活動の一環として後白河上皇の御所に参りました。
アポ無しの推参です。
時に、御所の方々は還元の遊びに興じておられました。
それとは対照的な大音声の文覚の声。
これによって、管絃の遊びは調子が崩れたし、拍子も乱れたし、散々なことになってしまいました。
そのあとの文覚の振る舞いも奇怪なものと見え、その結果、流罪に処されることになりました。
この一件を描いたのがここに挙げた絵です。
これは江戸前期の狩野洞雲の絵巻の粉本を模写したものです。
ところどころに記された文字は絵の具の指示です。
たとえば屋敷の床に「六」と記されていますが、これは緑青(ろくしょう)の「ろく」の当て字です。
つまり畳敷きであることを表しているわけです。
左上に書かれた説明文を下記に記しておきます。
ご参照ください。
* * *
文覚高雄勧進。
或ル時、院御所法住寺ニ参リテ御奉加の由、言上ス。
御遊ノ折節ナルニ依ツテ、奏者、この由ヲ申シ入レズ。
文覚、無骨ナリトテ常ノ御所ノ御坪ノ方ヘ進ミ参リテ
勧進帳ヲサツトヒロゲ、調子モ知ラズ大音声ヲ上ゲテ、コレヲ読ム。
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2011年01月28日
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