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室町初期の公家東坊城秀長(ひがしぼうじょう・ひでなが)の日記を『迎陽記(こうようき)』といいます。
今日、南北朝〜室町初期の歴史資料として重要なものです。
公家の日記というのは、近代人とは違って、他人に見せられないような個人的な事柄はあまり書かれません。
後世の記録、直接的には息子や孫が朝廷の職務を滞りなく遂行できるように作法などをしっかり記述しておくことが多いのです。
ここに記述されたことに違わないように行えば先例通りにスムーズに仕事を果たせるわけです。
ともかく、先例を重んじる社会ですから、それに反するような所作をアドリブでやったりすると、その行事に参加した他の公家衆から批判されかねません。
実際、日記の中で、あの人の所作は間違ってる、あの者の作法は正しくない、言語道断だといった文言はしばしば見受けられるものです。
作法というのはそれぞれの家で違うように伝えることも多く、どれが先例として正しいかもはや不明のものもあるほどです。
それはともかく、記録書として重んじられた日記としては、古くは『中右記』『小右記』『台記』などありますが、室町貴族にとって、ごく近しい時代の『迎陽記』もまた重宝がられました。
そういうわけで後人でこれを書き写す人が多くあり、また必要な部分だけ抜書する人もいました。
江戸時代になりますと、日本の通史を編もうという人物が出てきます。
その一人に儒学者林鵞峰がいます。
『本朝通鑑』という大著を編纂しました。
鵞峰は本書について、次のように述べています(『国史館日録』・原漢文)。
五条家に向陽記あり。
彼の祖秀長の日記也。
是、義満之時に当たる。
此の二書出づれば則ち編輯に便有り。
五条家とは菅原家の一流です。
東坊城家は秀長の父の代に五条家から派生した家です。
その五条家に秀長の日記『向陽記(迎陽記)』があって、時代でいうと、足利将軍義満の時に当たります。
この二書というのは『迎陽記』と洞院公賢の日記『園太暦(えんたいりゃく)』を指します。
鵞峰はこの二つの日記があれば、室町初期の歴史が記せると判断しているのです。
『迎陽記』を公事の記録としてではなく、歴史書として捉えるようになるのは、あるいは鵞峰の頃からなのかも知れません。
今日、本書は『大日本史料』に抜粋された記事で読まれることが多いと思います。
しかしまだ全体は翻刻、公刊されておりません。
『園太暦』が戦前にすでに活字出版されているのとは対照的です。
そろそろ出てもいいのではないかと思われます。
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2011年03月13日
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