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ひさびさに無題随筆を更新します。
45
武田信玄、その父を逐つてののち、『論語』を読む事を廃す。
46
台徳君、恭謹尤もいたれり。
知命の頃、藤堂高虎曰く、
「何ぞ少しく逸遊せざるや」
曰く、
「我、台室にあり。民つぶさにそれを瞻る」
と云ふ。
終身逸すべからず。
47
板倉周防守重宗、京都諸司の時、その弟内膳正重昌、嶋原の役に死す。
家臣を召して曰く、
「汝等慶すべき事あり」
因つて人をして訃書を読ましむ。
臣みな涙を垂る。
重宗曰く、
「我が家在しより、いまだ忠死するものあらず。
今、重昌、かくの如く慶さるべけんや」
言ひおはりて、涙下る事、雨のごとし。
メモ
45
信玄が父信虎を追放したのは天文10年(1541)のこと。
46
台徳君とは徳川2代目の将軍秀忠。
47
原文「諸司」は正しくは「所司」
板倉重宗が京都所司代のとき(1620-1656)の出来事。
弟重昌は寛永15年(1638)に島原の役で戦死。
二人の父は寛永文化の重要人物勝重。
弟の死を名誉あるものとたたえながら、その悲しみを堪え切れない心情を吐露する様子はドラマになりますね。
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2011年05月19日
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