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51
唐の段成式が『酉陽雑俎』に曰く、 「厠上に杜鵑を聞事、不祥なり。
まさに大声もて応ずべし。」
*『酉陽雑俎(ゆうよう・ざっそ)』は日本でもよく読まれた漢籍です。
和刻本も出ました。
現代なら、平凡社東洋文庫で読めます。
が。
小生は不所持のため、この記事の存否を確認できませぬ…。
ホトトギスが厠(かわや)つまり便所の上で鳴くのは不吉だという迷信ですね。
これに対しては大声を出すことで災いをまぬかれることができるようです。
しかし大声でなんて応じればよいのでしょう。
52
諸州の士、老臣の己れをすすむるものを呼びて依親とす。 依親、もし君に背く事あれば、多くは依親に党す。
*依親は大漢和辞典に載っていないので漢語ではなく、「よりおや」と読むべきなのでしょう。
戦国期の武家社会で使われた言葉で、「寄親」とも表記されます。
本来、親族関係にない他人同士が親子の契りを結ぶことで結束を強めることをしました。
主君に対しては忠、親に対しては孝。
戦国大名は忠孝の精神に基づいて結束力を得たのかも知れません。
では忠と孝、どちらを重んじるべきかという話が出てきます。
この記事の場合は、親が主君に背いた場合、多く、その子は謀反を起こした親の側に与するものだと述べています。
江戸初期の、まだ戦国期の精神の息づいていた頃、『犬枕』という『枕の草子』風の作品が生まれました。
その中の「頼もしき物」の段に、「より親の威勢の増したる」という一文が見えます。
威勢の増したより親は頼もしいというわけですが、それはより子にとって頼もしいものの、主君から見れば脅威にもなったものと思われます。
53
漢景帝、太子たりし時、上の左右の臣を召して飲ましむ。 衛綰、独り、疾と称して行かず。
即位に及びて、綰を待して加禄あり。
*前漢の景帝が即位前に家臣を招いて酒宴を開いたところ、衛綰(えいわん)だけ、病気だといって欠席しました。
即位後、景帝は衛綰を取り立てたということ。
媚び諂うことのない家臣がいるかどうか試したのでしょう。
その後、綰は帝の信任を得て、側近として仕えることになりました。
原拠は『漢書』。
54
凶歳、人多く其の児を棄つ。 洛四条のうすき空木屋氏、数人を養ひ、みな成人す。
*飢饉の年はたくさんの捨て子が出たそうです。
京都四条に店を構える空木屋(うつぎや)亭主はそのうちの何人かを育てて、ちゃんと大人にしたとのこと。
美談ですね。
文中の「うすき」はよく分かりませんが、「臼杵」でしょうか。
さだかではありません。
ちなみに、前回紹介の第50話、北条高時が宴会ごとに酒九献肴九種を出すことを聞いた楠正成が近く滅びるだろうと予言したというエピソードについて付言します。
『太平記』をひっくり返してみたところ、そのようなエピソードは載っていませんでした。
ただ、内田魯庵もこれを取り上げています。
明治34年(1901)の『犬物語』がそれで、次のような一節が見られます(青空文庫より)。
「楠殿が高時の酒九献肴九種を用ゆるを聞いて驕奢の甚だしいのを慨嘆したといふは、失敬ながら田舎侍の野暮な過言だネ。天下の執権ともある者が酒九献肴九種ぐらゐ気張つたツて驕奢の沙汰でもあるまいと、俺は思ふナ。」
たぶん、江戸時代の戦記物か、随筆のたぐいを漁れば見つかりそうですけど、まだ出所が確認できないでいます。
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2011年09月17日
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