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『徒然草』に5月5日の賀茂の競馬(くらべうま)のエピソードがあります。
兼好法師が競馬の見物に行きました。
沢山の人で混み合っていて競馬の様子が分かりません。 どこかにいい場所がないものかと探してみたところ、向かいの樗(おうち)の木に法師が一人登って木の股に座って見ています。
しかし、眠気におそわれたようで、次第に舟を漕ぎだしました。 落ちそうになると目が覚め、またウトウトしだすと元に戻るという始末。 はたから見る人たちの中には、ハラハラする人もいるし、バカだなあと思う人もいます。 「なんとたわけた者よ。あんな危ない枝の上で安心しきって眠っているわい」 そんな言葉を耳にして、兼好は反射的に思ったことを口にしました。 「自分たちに死が訪れるのが今この瞬間かも知れないのに、それを忘れて見物などにうつつを抜かす。そのほうがよっぽど愚かしいことじゃないか」 これを聴いた見物の人たちは、その通りと感心したようで、後に立っていた兼好を迎え入れたのでした。 さて、この法師が登っていた樗ですが、今、特定できるのでしょうか。
それはまあ、『徒然草』に正確に記録したわけではないから見付けようがありません。 しかし詮索好きの人はいつの時代にもいるもので、いつしか誰かが
「あれが競馬見物の法師が居眠りしていた樗だ」 などと言い出し、周囲も次第にそう思うようになり、結果、一本の樗に伝説の木となったようです。 これについて、伊勢の神宮文庫というところに、江戸時代の上賀茂神社の社家が著したと思われる写本が残っております。
それを読むと、次のようなエピソードが記されています(表記は読みやすく改めています)。
乳母木(うばき)と申すは二の鳥居の前、御所の屋の辺りにある大木をいへり。
榎なり。 その前に樗の木あり。 かの大木、この木をいだくに似たるゆへに乳母木と名付けたり。 かの榎の囲み二丈ばかり有りしが、樹の根朽ちて延宝年中に倒れけり。 今の木はその跡のしるしなり。 昔くらべ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ちて見えざれば、むかひなる樗の木に法師のぼりて木の股につい居てねぶりて落ちぬべき時に、目を覚まし侍ると、『つれづれ』とやらんに書きたる木はこれなりとぞ。 上賀茂神社の二の鳥居の前に乳母木という大きな榎がありました(二の鳥居は下記境内図中央)。
それに寄り添うように立っていた樗こそ、『徒然』とやらに書いてある木なんだそうです。
江戸時代にはそういう伝承があったようですね。 しかし残念なことに延宝年中に枯れて倒れてしまったようです。 記事は恐らく榎が倒れたのだといいたいのでしょうけど、樗のその後について言及していないので、これもまた運命を共にしたのかも知れません。 昔ノートに書き留めておいたものを読み返して面白いと思ったので、時期外れの記事ですが紹介しておきます。
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2012年09月17日
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