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■ここに大正4年(1915)の作文ノートがあります。
鳥取県師範学校1年生の秋本義道君が口語文体の常体(デアル調)といふ条件で、5月28日に書いたものです。 教師が添削して朱が訂正されてゐる箇所が散見されます。 この中に「矢野動物園」と題する一文があります。 評価は甲。
気になる内容なので、全文紹介したいと思ひます。
なほ、読みやすくするために、訂正箇所は訂正後の表現を採り、適宜段落を改め、明らかな誤字も改め、濁点や文末の句点を補ひました(原文に付けてある文とない文とがあります)。
「矢野動物園」
去る廿四日本校生徒は諸先生に引率されて矢野動物園に動物を見に行つた。園の位置は四通八達して居る菊橋向の繁華な所を前にした草地に設けられて居た。以前来た時の当園よりは甚だ規模が大きくなつてゐる感があつた。観覧者は絡繹して押し合ふ程でその中には中小学校生徒も多く行てゐた(*「来てゐた」の誤りか)。 先づ入口に嬉戯してゐる猿は観る子供を相手の様にして遊んでゐた。 次に目についたのは印度産の大虎で年令は四才にて体重は四十八貫と説明した。体構へは猫に良く似てゐるが一度怒れば人をして凛乎とさせる程鋭き聲を出し頸毛を一本立てとし鋭利なる歯をむき出す。 之に隣り居る獅子は獨乙領東部アフリカの産にて年令六才、体重五十六貫と云つて居た。「能ある鷹は爪隠す」と云つてゐる様に人が竹にて觸れても泰然自若としてゐたが一度食糧の肉を之に見せた所が獰猛な聲で呼んだ途端我等を始め附近の諸動物もおののき顫つた。 日本産の狼は深く裂けた恐しい口を開けしきりに出處をあさるかの様で絶えず動いてゐた。 猩々は黒毛褐色の毛を以て被つて居た。丈は二尺に足らない位であつたが年令は九十才に達してゐると聞いては驚いた。然して此の一生は百五十才位だから之は未だ壮年時代である。 之に竝んで熊、山猫等が居たが、之等は珍しき或は威がなかつたが大層人に馴れて甘藷を食べたりしてゐた。 今度は牝の大獅子で前に劣り無く威風堂々たる貌流石に百獣に王としての物凄い様を具備してゐた。 駱駝は丈高く稍馬に似てゐるが性質優しく足は蹄大きく口は兎の如く三つに裂けて全身は古綿のやうな毛以て包んでゐた。 鷲は未だ子であつたが其の勇悍なる性は既に動作に現してゐた。 途中に孔雀、駝鳥、鰐、カンガルウが竝んで居たが之は書物で見たると甚だ異つてゐなかつた。 次に丈高く大きな間を占めてゐる象は此處に繋がれ細い目を観客に注いでゐた。体は運動不充分な故が皺で畳まれて居た。然し、之の象の体重は一万余りあつて丈は一丈余、長さは二丈に余るとの事で一日の食糧三、四十貫の藁、水、其他の食物を食べて居るとの事で有つた。 概して云へば珍しき動物を直観し新知識を得ることが出来ると共に、昂然たる気象を養ふに大に効果有る事と自分は思つた。 ■この動物園に飼育されてゐる動物を整理すると、次のものが挙げられます。
サル
トラ(ベンガルトラ)
ライオン(ドイツ領東アフリカ(=タンザニア・ルワンダ・ブルンジ)産) オオカミ(日本産?) 猩々(ゴリラ) クマ ヤマネコ ラクダ
ワシ ダチョウ ワニ カンガルー 秋本君の関心外のために記されなかつたものも他にゐると思ひます。
全部でどのくらゐ飼つてゐたんでせうね。 ■ところで秋本君が学校行事として行つた動物園は矢野動物園といふ名のところでした。
一寸調べてみた限りでは、鳥取県下にそのやうな動物園があつたか確認できませんでした。 本文をよくよく読んでみますと次のやうにあります。 園の位置は四通八達して居る菊橋向の繁華な所を前にした草地に設けられて居た。
以前来た時の当園よりは甚だ規模が大きくなつてゐる感があつた。
これによると、動物園は草地に仮設されたもののやうです。
さうすると、巡回する型の動物園ではなかつたかと思はれます。 丁度これに当てはまるかなと思ふものに、矢野巡回動物園があります。 http://www2.otani.ac.jp/~tmatsu/2002bunka/0012203/chapter03.html 上記のサイトによると、明治40年(1907)にドイツから来たライオンによつて全国的な人気を獲得したとのことです。 上記見学記にも「獨乙領東部アフリカの産」の大獅子として取り上げられてゐます。 本巡回動物園の詳細な記録が残つてゐれば、はつきりとしますが、おそらく大正4年5月前後には鳥取市内で興行を続けてゐたのだらうと思はれます。 ■この中で特に気になつたのは、「日本産の狼」といふ箇所です。 ニホンオオカミはすでに絶滅して久しいものですが、とりあへずウィキペディアで確認してみますと、明治38年(1905)に奈良の山間部で捕獲されたものが最後の生息情報だとのことです。 本見学記が大正4年(1915)。 最後の記録から10年後のものですが、なほ動物園にゐたことになるわけです。 単純に記主秋本君が勘違ひしただけなのか、動物園側が虚偽情報で話題作りを狙つたのかといふ可能性もなくはありません。 しかし、素直に受け入れるならば、結構面白い記録になるわけです。 当動物園の飼育してゐた動物の履歴が残つてゐればその点判明すると思ひますが、どうでせうか。 ニホンオオカミは絶滅したといはれてからも、目撃情報は散発的に出てゐるやうです。 菱川晶子『狼の民俗学』には、昭和7年頃に和歌山県本宮町の山中での目撃談が紹介されてゐます(266ページ)。 同書によると、動物園での飼育記録として上野動物園で、明治21年当時、ニホンオオカミを飼育してゐたこと、その後、朝鮮産、満州産、シベリア産のオオカミが飼育されてゐたことが記されてゐます(275ページ)。 かうしてみると、矢野動物園で飼育されてゐたオオカミはニホンオオカミではなく、日韓併合後に渡来した朝鮮産の可能性もあるのではないかと思ひます。 ともかく、記録を探してみないと判然としませんね。 気になりますが、このへんで擱筆。 |
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2014年01月15日
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