|
■先日、中山太郎(1876-1947)の『日本盲人史』正続2冊(昭和9年及び11年、昭和書房)を手に入れました。
本書は盲人史研究の先駆的業績として名高い著作です。 中山は『土俗私考』『日本若者史』『日本婚姻史』『日本巫女史』『祭礼と風俗』『学界偉人 南方熊楠』『日本民
俗学論考』『民俗点描』『伝統と民俗』『歴史と民俗』『生活と民俗』『国体と民俗』『信仰と民俗』『日本民俗学辞典』その他、数多くの著作を残しました。
また『梅こよみ・春告鳥(帝国文庫)』『校註 諸国風俗問状答』などの校訂本も出してゐます。 ただ、『愛慾三千年史』『売笑三千年史』などタイトル的にも一寸となあといふ領域にも手を染めてゐて、常に胡散臭さが付いて回る人文学者でした。 さういふわけで、中山の記述は話半分で読むのが丁度いいのかなと思ひます。 上記の諸編は『南方熊楠』や『日本巫女史』など幾つかを除けば、今日殆ど読まれなくなつてしまつたものですが、その点を了解して読めば充分楽しいと思ひますがね。
■さて、入手した『日本盲人史』が得難い価値があるのは、中山自身によつて献本されたものであるからです。
それは遊紙に墨書されてゐます。 ■献呈された阿部吟次郎といふ人物については寡聞にして知りませんが、『角』(昭和14年、私家版?)なる著作があります。
どうやら角のコレクターだつたやうです。 ・阿部の著述として夙くに見えるのは、横浜貿易新報社といふ出版社が大正5年に刊行した『横浜市振興策(懸賞論文五篇)』です。
これに最優秀論文として掲載されてゐます。 本稿を読むと、横浜市を「我愛する郷土」「我市」などと書いてあるので、阿部は横浜出身で、当時なほ在住してゐたかと思はれます。 ・また大正9年、雑誌『銃猟界』4月号に「サンダーバンス地方鰐魚狩日誌」を寄稿。 サンダーバンス地方はバングラデシュ(当時、英国領)にあります。 ・翌年5月にも「鰐魚狩日誌」を寄稿。 ・同年9月号には「野牛狩の記」を寄稿。 ・昭和7年には『比島ト日本 モツト比島ニ注目ヲ望ムタメニ』といふガリ版刷の私家版を出しました。
比島とはフィリピン(当時、米国領)のこと。 表紙には著者名の端に「比島在任五年半」と記されてゐます。 昭和2年からフィリピンに滞在してゐたことが知られますが、奥付には福岡県門司市(現・北九州市門司区)の住所が載つてゐます。 実家でせうか。 ・また昭和10年の大阪毎日新聞社編『南支南洋を国策的に観る』に「日本人はかうして食ひ込め」といふ論文を寄稿してゐます。
この時の肩書は三井物産株式会社台北支店長。 ・昭和9年から10年にかけては台湾倉庫株式会社の監察人も務めてゐます(『台湾倉庫株式会社二十年史』昭和11年)。 この職は1年任期で三井物産から出向するのが恒例となつてゐたやうです。 なほ、11年には台北支店長は廣岡信三郎に代はつてゐるから、阿部は内地に戻つてゐたと思はれます。 ・また昭和14年1月刊行の雑誌『経済市場』に三井物産の新小樽支店長として紹介されてゐます。 ・更に翌年4月の同誌には三井物産新庶務部長として紹介されてゐます。 ・ついで昭和15年8月28日の『大阪毎日新聞』の「指導者原理で一貫経済団体を再編成」といふ記事によると、三井物産業務部長として名前が挙がつてゐます。中央物価統制協議会議に出席したとのこと。 ■かうして見ると、阿部吟次郎といふ人は戦前の経済界で活躍し、とくにアジア貿易に造詣が深く、一方で狩猟の趣味を持つた人物であつたことが知られます。
狩猟趣味が昂じて角コレクターともなつたのでせう。 恐らく東南アジアで獲つた獣の角が自慢であつたのではないかと察せられます。 ■中山太郎が阿部に献本したのは、書入が正編にだけ見られることから、正続2冊併せてのことだつたと思はれます。
数ある著作の中で、阿部の専門外の著作を献本したことからすれば、新刊として続編が出たばかりの頃だつたのではないかと想像されます。 つまり続編は昭和11年8月刊行だから、それよりもさほど遠からぬ頃のことかと思はれます。 阿部は前年、三井物産の台北支店に赴任していましたが、11年に内地勤務に転勤していた可能性が高いので、中山は国内の阿部宅に送付したものでせうか。 ■結局、中山太郎との接点が那辺にあるのか、今回は分かりませんでしたが、どちらも幅広い人脈があつた人物だつたでせう。
あるいは中山が世話役をしてゐて、『明るい家』といふ雑誌を刊行してゐた社交クラブ同人談話会あたりがからんでゐるのかも知れません。
気になるところです。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




