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須磨のあたりは源平の合戦でよく知られたところです。
奈良漬は神戸までは行ったことがあるものの、須磨に足を運んだことはまだありません。
一の谷の戦いが行われた場所くらいは見物してみたものです。
さて、ここは平家随一の美男子平敦盛が亡くなった場所であり、敦盛塚というものもあります。
そこの前には敦盛そばという蕎麦屋があるそうです。
この店は古くからあるようで、大正15年に出た本にも(敦盛の)「塔の前に蕎麦屋がある」と記述されています。
この本は渋谷吾往斎『我が郷土の史蹟と伝説』というものです。
誤字だらけの悪本ですけど、中々面白いことも随所に書かれています。
その中に敦盛蕎麦の売り文句らしいものが掲載されております。
著者が何に拠ったものか、出所不詳ですが、こんな文句です。
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そばはあつ盛、
あんばいはよし経、
大茶碗に鉄拐(てつかい)山盛、
それを知りつつ九郎判官、
うどんは色の白い玉織姫、
酒は一の谷、
源平躑躅のもろはく、
三浦の大杯で一杯飲めば、
顔は弁慶、
座敷は千畳敷、
水は帆掛け船、
紀州熊野浦までやりっぱなし、
お茶は接待、
薩摩守ただのみ、
御遠慮の御方は悪七兵衛、
食ひ逃げしたら後に平山、
草鞋は熊谷の陣屋、
破れるまで受け合ひに候(そろ)。
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誰が作ったのか、面白い口上です。
文意の分からないところもありますけど、おおむね源平の主要人物の名前をもじったものになっています。
この中に「薩摩守ただのみ」とありますが、これは平忠度(ただのり)をかけたもの。
狂言に「さつまのかみ」というのがあり、これは舟を「ただのり」するというものです。
つまり「薩摩守」とは「タダ乗り」の隠語なんですな。
これは近代まで使われていたようです。
それを踏まえて、ここでは「薩摩守ただのみ」としたのでしょう。
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古典的奈良漬
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京都の名刹東福寺に、室町時代、東庵少室という住持がいました。
応永16年(1409)9月29日に寂滅しました。
時代的にいうと、前年に足利義満が没したころで、室町幕府としては絶大なカリスマ性をもった将軍が亡くなりながらも、おおよそ安定した国家運営ができていた頃です。
また都では曲舞(くせまい)が流行し、北陸は加賀国から女舞も京にのぼって話題になっていました。
さて、少室和尚はどこかひょうきんな気性だったようで、後世の伝記には
常に調戯を以て衆心を開発す。
と見え、人々に対して愉快な言動をしながら、教え導いていたようです。
ある時、この和尚が尼舞なるものを作りました。
相国寺の瑞渓周鳳(ずいけい・しゅうほう)がその歌を記録しておいてくれました。
尼之勝而尊者釈迦牟尼仲尼摩尼陀羅尼
漢字ではよく分かりません。
書き下してみましょう。
尼の勝れて 尊きは 釈迦牟尼(しゃかむに) 仲尼(ちゅうに) 摩尼(まに) 陀羅尼(だらに)
これは7・5・7・5の音から成っている歌です。
尼僧が優れているというのではなく、「尼」の付くもので尊いものをあげているんですね。
一種に物尽くしの歌です。
周鳳は少室の人となりを「滑稽多智」だと述べています。
臨機応変に諧謔の舞を舞える人柄には感心させられますね。
文学史にはほとんど登場しない人物ですが、こういう人材は見逃してはいけないだろうと、ふと思うのでした。
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『源氏物語』は、本来、声に出して読まれる物語であった――という考えかた。
魅力的ですね。
玉上琢弥氏が提唱した物語音読論。
いわく、
「『源氏物語』全編、古女房のものがたりの録音としての創作であって、これを女房が読みあげれば、直ちに、古女房の物語りとして、再生するのである。」
女房が語る物語を聴いたのは権門の姫君。
それも最上の姫君たち。
『更級日記』の作者、菅原孝標女レベルではなく、もっと上の品の姫君です。
いわく、
「一生を通じて物語の世界に生きつづけて、しかも何らの破綻を感じない人々こそ、物語の真の享受者であった。(中略)かかる物語の真の読者は、一時に五人とは数え得なかったろう、皇室ともで三四の家庭にしかいなかったろう、とわたくしは思う。」
ほんのわずかな姫君に聴かせるために、かの大作が作られたのかと思うと興奮しますね。
思えば当時は不特定多数の人々に本を読んでもらうという読書習慣がないから、読まれるとすればごく限られた人間関係の中での書物の貸借が想像されます。
そこから突き詰めて、玉上氏は考えを膨らませたのでしょうか。
とても魅力的です。
氏はまた物語を読み聴かせる行為を演劇論的に捉えます。
いわく、
「作中人物の詞を自ら口にし、地の文に述べる動作を行ない、心とされるところを「思い入れ」する、――観客がいつか舞台に立ち、女房に読ませて耳から入る物語りが、プロンプターの役を勤め、現実の世界と物語の世界とを混同するに至るのではなかろうか。」
ついには、作者(=読み手)たる女房及び聴き手(=読み手)たる姫君に自己投影します。
いわく、
「常に心すべきは、千年まえの女流の心、それも知と才とを自負した女房の心になって読み、さらに進んでは、物語世界と現実世界とを混同して一生うたがうことのなかった姫君の心になって、読まねばならぬことである。」
かくまで一つの物語作品に思い入れをする読み手(=玉上琢弥氏)を尊敬しないわけにいきません。
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源義経の従者武蔵坊弁慶が書いた手紙というのがあります。
『利根川図志』の著者赤松宗旦が銚子に旅行をした時の日記に、こんな記事が出てきます。
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延方村諸星彦兵衛、弁慶肉筆の状、亀井六郎へ遣はしたる書翰一通所持。
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ふむふむ。
弁慶自筆の亀井六郎(義経家臣)宛の手紙を持っているそうな。
内容が気になりますが、今となっては所在不明です。
昔、奈良漬が北関東の山村に行った時、やはり弁慶の書状というのを見たことがあります。
素人目に江戸後期ごろかな?と思う手跡でした。
宗旦も旅先で目にした「弁慶肉筆の状」について、とくに驚きを示していないところから邪推すると、
「贋作だな」
という感想を抱きつつも、所蔵者の気持ちをおもんぱかってネガティブなコメントは控えたのかも知れません。
実は弁慶の書状は通称「弁慶状」といって広く流布しました。
手習いの手本として扱われることが多かったのです。
下記の広島大学附属図書館所蔵本は欄外の書入れから、そうした手習いの教本として扱われたものだったことが察せられます。
ちなみに見出しの「弁慶状・義経貧状」の「貧状」は「含状(ふくみじょう)」の誤り。
含状は中世以来よく知られているものです。
『塵塚物語』という室町戦国期の話をいろいろ載せた随筆に、将軍足利義政が様々な道具や古筆を集めていたということが記されています。
その中に
「武蔵坊弁慶が手跡と文二十通ばかり、あなたこなたよりあつまれり」
という一節が見えます。
このうち、どれだけ真蹟があったのでしょうか。
これほどの量の弁慶の書状が集まるというのはさすが天下人にして天下の文化人です。
事実ならば、当時から弁慶状の贋作が作られていたのかも知れません。
このうちの一通でも現代に残っているものがあればいいのですが…。
***メディアコンテンツ研究会―活動報告***
トナカイっていますか?/悪魔っているんですか?
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近頃、折につけて古浄瑠璃を読んでいます。
古浄瑠璃とは一言でいえば近松門左衛門と組んだ竹本義太夫の義太夫節以前の浄瑠璃を指します。
専門外ながら、昔からけっこう読んでいるほうでしたが、ただ事例探しのための資料として読むという傾向が強く、楽しんで読むということはあまりなかったかと思います。
とくに表現面では諺・慣用句が豊富であり、また口語特有のものが多く見出され、その意味で面白いのです。
たとえば、こんな諺があります。
・是を兎兵法(うさぎひやうほふ)陰の舞と、下劣の言葉に申しならはしたり(『四天王高名物語』)。
「兎兵法」とはつまらない策を弄して失敗すること。
「陰の舞」は「陰の舞の奉公」ともいって骨を折りながらも誰にも認められないこと。
・侍(さぶらひ)は互ひ事。自害遂げさせてたまはれと仔細ありのままにぞ申しける(同)。
「侍は互い事」は「武士は相見互い」と同じで、武士同士思いやって助け合うこと。
後者は古典落語などでも使われます。
・人は神の徳によつて聡明叡智の気質を受け、繁栄子孫に伝ふとかや(『玉津島の御本地』)。
これは『御成敗式目』第一条から派生した表現みたいです。
・愚人夏の虫、おのれと飛んで入る男かな(『四天王大田合戦』)。
今なら「飛んで火に入る夏の虫」というところ。
・ただ一人来たつて我を引つ立てゆかんとは、鷲と雀がすね押しするに似たるべし(同)。
「鷲と雀がすね押しするに似たるべし」というのは慣用表現でしょうか。可尋。
・いらざる忠を励み、犬骨折つて鷹に取られな(『津戸三郎』)。
今なら「骨折り損の草臥れもうけ」というところ。
犬が骨を折ることだから「いぬ、ほねおって」と言うかと思えば、「いぬぼね」というみたいですね。
慣用されていくうちに二語意識が失われてしまったもののようです。
・一疋の馬が狂へば千疋の馬を狂はすとは御辺が事よ(同)。
「付和雷同」「雁立てば鳩も立つ」の類ですな。
・やあ、犬の逃げ吠えせずとも、帰す時にはやく帰れ(『義経追善女舞』)。
「負け犬の遠吠え」みたいなものですね。
口語的な表現としては、会話文中に豊富ですが、地の文でも例えば
・大軍の催して河内の国金剛山に君を移し(『頼義金剛山合戦』)、
のように格助詞「を」を連声で「の」とするごとき例は枚挙に遑ありません。
まだまだ色々面白い諺が拾いだせます。
切りがないのでこのへんで。
古浄瑠璃作品は、内容的にもじっくり読むと、実に面白い作品が多くあります。
今回は本当はそういうものを取り上げようと思ったのですが、ついつい諺の抜書に精を出してしまいました。
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