穴あき日記〜奈良漬のブログ

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斎藤昌三の書斎

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蔵書家で明治文化の考証家。
それだけならまだいいですが、猥褻な内容の発禁本などにも暁通した才人。
斎藤昌三の関心は多岐にわたり、また筆まめな人でした。

蔵書家にとってつらい出来事といえば、その蔵書が焼失してしまうことでしょう。
関東大震災では多くの蔵書家にとって試練であったはず。
一切の蔵書を失くした人々のその後の人生をまとめた本があったら読んでみたいものです。

僕は明日引越をするのですが、いまだに荷詰めが終わりません。
終わらないのに、こうしてブログを書いています(汗)

今日、箱詰めしていた中に戦前のスクラップブックが2冊あります。
昭和9年から10年にかけての新聞や雑誌記事を切り張りしています。
内容は本や文学に関するものばかりなので、きっと愛書家の作ったものなのでしょう。

その中に斎藤昌三の談話が載っています。
『国民新聞』昭和9年10月1日号で「趣味を語る」シリーズの一環として掲載されています。
タイトルは「十五銭の太平記 又愛書狂へ逆転」。
これで内容は察しがつきますねw
斎藤は震災ですっかり蔵書を焼いてしまったそうです。
しかし…
「もうやめようと、決心だけはしたんだがね、ハハハハハ、
 或る晩神田の夜店をひやかしてると
 帝国文庫の「太平記」が一冊たつた十五銭で出てゐるんだよ、
 あんまり安いから買つて帰つたンだがね、
 それが君また病みつきになつて、
 前より一層ひどくなつちやつたンだから、困つたものだよ、ハハ……」

懲りない人というか、逆境に負けない人だなあと感心します。
僕などは、もしそうなったら一切の本を避けて清貧の生活でもしようと思ったりもするわけですが、そういう状況になってみないと分からないですね…。

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去年の9月、お伽草子の文章表現についてちょっと書き物をしていました。
「お伽草子における物尽し」と題するものです。
そこで手もとにある資料を引用するつもりでした。
『増補 大和詞大全』という歌語集で、延宝9年(1681)に京都の永原屋(中村孫兵衛)が出版したものです(ただし後摺本)。
ところがいくら探しても見当たらない!
こういうものは、欲しいときに見つからず、必要なくなったころにヒョイと出てくるもので、実に性悪です。
ないならないで結構!と怒りながら、記憶を頼りに使いました。
その後、頭を冷やして古本屋で別の本をゲット。
高い買い物でしたorz
書き物のほうはこれでなんとかなりましたが、やはり蔵書の和本が紛失した事実は変わらず…。
部屋から持ち出していないのだから、どこかにあるという確信はあるものの、こういう状態は気持ち悪いものです。

ところで来月半ば転居するのですが、それに先だって一週間ほど旅に出ます。
なので早めに準備をしなくてはならないのですが、その手始めに和本の箱詰めをはじめました。
運悪く花粉症の症状がはっきり出てシンドイことこの上ない作業でした。
が、そのうち、紛失した『大和詞大全』が出てきました(>ワ<)b
案の定、積読本の中に紛れてました。
ともかく、よかったよかったwww

というわけで、記念に2種の『大和詞大全』を並べてみます。
下がしばらく行方不明だったもの。

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国学思想が台頭する以前の神道は、仏教と親密な関係を持っていたわけですが、仏教の中にも宗派、さらに流派が多岐にわたったのと同様に、神道の流派もたくさんありました。
その中で真言系の一派に三輪流というものがあります。
正直なところ、宗教思想史は難解この上ない領域なので、深入りするつもりは毛頭ありません。
とはいえ、手もとに幕末の三輪流伝書がありますので、ちょっと紹介します。

幕末といえば、すでに近代神道の礎になる国学が成熟し、仏教色濃厚な神道など時代遅れではなかったかと思いますが、どうなんでしょう。
それでも寺院の中では伝統的に相承されていったんですね。

『神道三輪流伝授聴聞記』と題するこの本は、嘉永7年(1854)3月5日〜19日にかけて、佐渡島の下久知にある正覚寺というお寺での伝授記録です。
同じく佐渡の大和田宝蔵坊の住持寛伝という大阿闍梨が海宣恵照という僧に授与したとあります。

内容はむつかしい教義に関することもありますが、概して断片的で意味が取りにくいものです。
たとえばこんな感じ。

 ○ソサノヲノ尊大悪ノ事
 ○ウカト申ハ財ノ集ル処也
 ○隠形印ノ事 下ツケ国山寺ノ事
 ○男女交合道ハ此イシタヽキヨリ始也

「ソサノヲ」は「スサノオ」のこと。
中世では「ソ〜」が主流でした。
原文では「ス」を改め「ソ」にしているのが面白いです。
幕末では「ス〜」が一般化していたことを示すのでしょうか。
しかし伝授には古来の読み方「ソ〜」に訂正したということかな。
「ウカ」は「ウガ」つまり「宇賀神」のことでしょう。
中世に白蛇のことを宇賀神という例がありますが、要するに福をもたらす神様ですね。
「隠形(おんぎょう)の印」が下野国の山寺にかかわることとして伝授されたようです。
気になります。
マスターしたいですねw
最後のは『日本書紀』に載っている例の記事ですね。
『日本書紀』では鶺鴒(ニワクナブリ)のこととしてあります。
鶺鴒(セキレイ)をイシタタキと呼ぶのは中世からのことですが、佐渡の方言でもそう言ったんですかね。

この伝授記録に書かれていることは随分と簡略で、上記のように単なる備忘録としか見えないものです。
大切な内容は書かずに頭の中にとどめて他人に知られないようにしたのでしょうか。
神道の伝授とは不可思議で神秘的なものです。

新相馬四国霊場

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下総で巡礼というと、昨日の記事に挙げた坂東三十三ヶ所のほかに、新相馬四国霊場が知られています。
相馬郡(我孫子・取手近辺)の寺院を四国八十八ヶ所になぞらえて作られました。
安永8年(1779)、取手長禅寺の光音禅師が移したもので、今でも巡礼者がいます。

僕の手もとにこの霊場にかかわる明治17年(1884)の資料があります。
前々回の記事に紹介した道中記の一種です。
『相馬郡四国霊場記』と題するもので、発行者については

  北相馬郡井野村
   施主 稲葉岩蔵

と記されています。
井野村は今の取手市井野。
おそらく地元の信者が作って周囲に配ったものではないかと想像します。
調べれば、施主の墓が見つかるかも!
要確認ですなwww

画像に挙げたのは我孫子市内の寺院です。
27番の高野山(こうのやま)最勝院は一茶の『七番日記』にも出てきます。
文化7年(1810)3月29日の記事。

  高之山に四国廿七番の観音うつして参詣有。
  是を新四国道場といふ。
  庭に桜有。

『霊場記』に載るご詠歌を挙げておきます。

  三仏のちかいのこゝろ かうのみね
   やいばのぢごく たとへありとも

西国順礼の道中記

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西国順礼(観音霊場三十三ヶ所)の道中記の一例をあげましょう。
あいにくタイトルを逸していて、正確な名称は不明ですけど…。

まず装束や札の書き方など図説されています。
ついで
「道中用意の覚え」
「順礼の縁起」
「ご詠歌」
があります。
ここまでが序の段といえます。
ついで
「西国順礼八鬼山越(やきやまごえ)」
といって、伊勢山田から熊野へのコースが記されます。
(画像参照)
最初の観音のある那智山からはじまり、美濃国谷汲寺(たにぐみでら)に至る観音の起源、本尊等の解説などがごくごく簡単に記されています。
ついで「熊野権現御誓願」
「西国順礼十三ヶ条」
が掲示され、最後に
「木曾道中付」とて、伊勢に戻り、
「伊勢山田より京大坂へみちのり」
で〆ます。

出版したのは伊勢と京寺町にある本屋なので、伊勢や京大坂の人々がターゲットだったのでしょう。
刊年は宝暦5年(1755)。
しかし本文中にいたるところに「享保十二年まで○○年」とみえるから、初版は享保12年(1727)だったと思われます。

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