穴あき日記〜奈良漬のブログ

『熊楠と猫』発売中!/ツイッターID:@NarazakeMiwa

和本・古本

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

昭和29年、時枝誠記監修の国語辞書の編集に携わった人の業務日誌から、面白い記事を拾ってみました。
前々回の続きです。

「本日の読売紙に中学生その他の漢字の筆順のでたらめなことを指摘、(投書欄)、
 この投書は日本全国の小、中、高、大学の国語教師、その他、国立国語研究所、文部省、その他国語関係者のおそらく全部の目に触れることは確かであらう、
 漢字の筆順についての注意を喚起したところで、機を逸せず、当社の漢字辞典には「正しい筆順」が載つてゐることをうたつて広告をすれば相当の効果があると考へられる、
 それも時期的にはできないならば、次回の広告には、「正しい筆順」を特にうたふ必要があらう、
 広告もいつも同じでなく、時により全点的に扱ふことも効果があると私考する」

昭和29年11月16日の記事です。
この日の読売新聞に漢字の書き方の乱れに関する投書が載っているようですね。
気になる・・・。
で、この編集者はその投書から辞書販売促進のアイデアを導き出しているわけです。
この記事をチェックした上司は末尾に赤鉛筆で次のようなコメントを書き添えています。

「営業部長も一考すること」

この日誌は営業部長の目にも触れるものだったらしいです。

昭和29年の今日、つまり46年前の11月29日も月曜日でした。
その日の記事は至ってシンプル。

「国語辞典原稿整備「え」終り」

12月16日に忘年会がありましたが・・・。

「編集部部課長並びに各科主任は忘年会で酒を飲みに行つたらしい
 自分は主事でも仲間はづれ、
 七時半まで残業」

この記事、冗談交じりなのか、本心なのか、ちょっと汲み取れません。
20日にはもう一度忘年会があり、そちらには参加しています。

「定時後神保町菊水にて社長以下主事まで全員の忘年会あり」

神田神保町の菊水という店は、探してみると健在でした!
http://www.jimbocho.com/S30293.html
今度、是非行ってみたいと思いますwww

国語辞典の編集部日誌を読んでいると、記主の健康状態や環境についての不満などがときどき書かれています。
前回の記事の画像にも見られますが、
「痔出欠のため欠勤」
という記事が散見されます。
このほかに
「腰痛ひどし」
というのも見えます。
編集作業をしながら、苦労していた様子が窺われます。

また、こんな記事もあります。

「香川県琴林中学細川○○先生宛手紙認む
 文法 語幹 語尾に関する質問への答へなり
 時枝先生宛直接の質問なれど、時枝先生より拙者に通す
 よろしくたのむと廻し来れるなり」

つまり時枝誠記氏に香川の中学教師から質問状がありました。
しかし、時枝氏はそれを編集者に代わりに回答を書いて送るように依頼しているのです。
編集者はそこまでやらされてたんですね。

それから職場環境についての不満も書いています。

「編輯部は床が板張りのため靴音が騒々しくてかなはぬ、
 何んとかならぬものか
 各自か自覚して往来を歩くやうな歩き方は、職場殊に編輯部内ではせぬやうに望む」

けっこう神経質な人だったのかも知れません。

またこんなのもあります。

「気にかかること一つ、
 昼休みの時間になると、受付の女の子が退いて、代りに便所掃除のおばさん(小林さん)が出てゐること
 掃除のおばさんが受付に出て悪いことはないが、客との応対電話の取り次ぎなどを注意して見てゐると全くはらはらする
 言葉の使い方が全然駄目です
 受付は社の玄関であり、大切な場所である、
 受付には特別に教育した(客との応対、言葉づかひ、敬語など)感じのよい女子職員を置くのが普通の常識だと私考する」

職場の問題まで踏み込んでおり、もはや国語辞書の編集日誌の域を越えているのが面白いです。

イメージ 1

ちょっと珍しいノートがあります。
表紙に『日誌』と手書きで書かれています。

「二十九年
 自九月十六日
 至

  ○○○○・・・氏名略
 (編輯部第四科) 」

ペン書きです。
どこかの出版社の編集部の編集日誌です。
よく見ると、国語辞書の編集の様子が書かれています。
画像で掲げたところには関係人物の名前が載っています。
このうち特徴的なのが「時枝先生」というもの。

10月14日の条をみると、
「時枝先生他の慰労会に出席」
とあります。
この先生が中心人物なんですね。
この先生は時枝誠記氏とみて間違いないでしょう。

昭和29年に時枝氏が編集した辞書は出ていませんが、それから2年後の31年には『例解国語辞書』という国語辞典が出版されました。
出版社は中教出版。
たぶん、このノートはそのときの編集部が書いていた記録なんだと思います。
もう故人になり、僕のところに来たのかなと思います。
大切に保存したいと思います。

イメージ 1

イメージ 2

手品師はかつて手妻使いと呼ばれました。
手妻使い同士が鳥や鼠に変身して化けくらべをした話も伝わっています。
そんな超人的な技の出来るものもあれば、手品ともいえないものをやったものもいたのでしょう。

ここに挙げた絵のタイトルは「手づまつかい」。
でも手品ではなく、曲芸ですね。
これもまた手妻使いの職分だったのでしょう。

この絵は幕末明治期頃に描かれた素描集に収録されています。

もう一枚は母衣(ほろ)を背につけた武者の絵です。
こちらは表紙に使われているのでちょっと痛みが目立ちますが、悪い絵ではないですよね。
出典は定かではないですが、『平家物語』にありそうな感じです。

伊勢暦のこと

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

江戸時代に流布した暦に伊勢暦があります。
細長い形をしたもので、折本装(ほりほんそう)という書型をとっています。
いろいろなサイズがあり、表紙や題簽(だいせん/タイトルの書かれた小紙)のデザインもまちまちです。
それらは時期や製作の場の違いを反映してもいるでしょうが、サイズや紙質、表紙の質などは値段の違いでもあるのでしょう。
僕の手もとには万字繋ぎに牡丹の空押し模様のある紺紙表紙から、無地の黒紙の表紙まで何種類かあります。

ここに紹介したのはちょっと珍しいものです。
それは御覧の通り、包み紙の付いた状態なのです。
包み紙など、普通は捨てられてしまうものです。
それを本体とともに保管している几帳面さは驚きです。
が、よくよく見ると、どうも使った形跡がありません。
もしかしたら、毎年使う暦は別にあって、これらは使わずに仕舞い込んでいたものかも知れません。
ともあれ、そのおかげで、暦がどうやって贈られるのかがわかります。
(もちろん、こういう贈り方ばかりではないでしょうけど)

毎年、同じ書面で、下のように書かれています。

「進上       御師
           鳥羽大夫
 来暦              」

御師とは伊勢の御師のこと。
彼らは庶民を伊勢に案内する先導役を勤めたり、暦を頒布したりしておりました。
ここに挙げた暦は鳥羽大夫という御師からもらったというわけです。
「来暦」というのは、来年度の暦ということですね。
一番手前にあるのは嘉永3年(1850)のものなので、実際配られたのは嘉永2年だったということになります。

またそれよりも早い享和3年(1803)の暦をその下に挙げましたが、これには書入れが見られます。
大豆や小豆、大根を蒔くとか、田植のことなどが上下の欄外に書き入れられているのを見ると、持ち主は農家だったことが窺われます。
また、
「四月中旬より麻疹(はしか)流行」などともあり、流行り病に注意していたことも知られます。

暦は農作業をする上で大切な目安を与えてくれるものだったのでしょう。

ちなみに享和3年の暦の丈夫の損傷は鼠にかじられた跡です。
鼠のかじった跡は細かいミシン目が出来ます。


.
奈良漬
奈良漬
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
友だち(2)
  • 太陽求めポチが行く
  • トーヤ
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事