穴あき日記〜奈良漬のブログ

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和本・古本

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『人倫訓蒙図彙(じんりん・きんもう・ずい)』は今日読了しました。
今回通読してなんと見過ごしてきたことが多かったか痛感しました。

さて、「表紙屋」という項目があります。
表紙屋は本屋の名として江戸前期から見られますが、もともとは本の販売ではなく、表紙を扱う店だったようです。
表紙を扱うとはどういうことでしょうか。
『人倫訓蒙図彙』の「表紙屋」には次のようにあります。

 * * *

書き本、板本、白紙、品々を本屋より受け取りかけるなり。
昔は一枚紙にて有り。
中ごろ、裏打いたし表紙といふなり。

 * * *

「書き本」とは手書きの本(写本)のこと。
表紙屋は本屋から写本・版本・未使用の白紙本などを渡されて、それに糸を綴じ掛けることを職とするもののようです。
表紙は昔は一枚の紙を二つ折りにして本文料紙の上に綴じたものだったとのこと。
いわゆる共紙表紙(ともがみ・びょうし)というものですね。
それがレベルアップして表紙と見返し(表紙裏)との間に紙を挟んで厚手のものになったといいます。

表紙屋と前回取り上げた経師屋との関係について考えられるのは、経師屋が表紙を製作し、それを本屋に納めます。
それを本屋が表紙屋に渡して製本させます。
本屋を通して表紙屋と経師屋が間接的に結びついているということではないかと思われます。

表紙屋による製本によって思い当たる節があります。
料紙に書かれた文字の端が裁断されていることがあります。
それは文字を書いた後に紙が裁断されて整えられたことを意味するのでしょう。
その裁断がいつおこなわれるのかよく分からないのですが、どうも表紙屋に表紙とともに預けて糸で綴じ掛ける段階で本の天地が裁断されたのでしょう。
『人倫訓蒙図彙』ではちょうど裁断している場面が描かれています。

考えられる作業過程を整理しておきます。

1経師屋から紙や表紙を仕入れる

2その紙に筆功が本文を書写する
 その紙に絵師が絵を描く

3本文料紙と挿絵料紙と表紙を表紙屋に預ける

4表紙屋が糸を綴じ、天地を裁断して形を整える

5本屋に納める

こんな感じでしょうかね。
私案でした。

世に源義経が伝えたという兵法の伝書があります。
その名も『虎ノ巻』といいます。
手もとにあるのは昭和39年にガリ版刷りの冊子として発行された私家版です。

この秘伝の源を遡ると大日如来にたどり着きます。
そこからインドの高僧の手に渡り、ついで中国に至ります。
日本から中国に留学に行っていた吉備真備(きびのまきび)が入手して日本に持ち帰りました。
吉備大臣はかの地で鬼神から授かったのでした。
この鬼神は実は住吉明神の化身でした。
帰朝後、住吉大社に参った吉備大臣の前に明神が現じてしかとそのことを伝えたのです。
加えて、大臣の寿命が88歳で尽きること、死ぬ前に鞍馬寺に納めることを仰いました。
大臣は住吉明神との約束通り、臨終に際してこの一巻の書を鞍馬山の宝蔵に納めました。

さて、時代はくだり、平清盛が国を掌握しているころ、源義経は鞍馬山で修行をしておりました。
この秘伝書の存在を知っていたのでしょう。
各地の源氏方が反乱をおこす中で、義経はこれを携え数々の勲功を立てました。
しかしそれが仇となり、兄頼朝の恨みを買い、また頼朝配下の武将梶原景時などのねたみもあって、逃亡の身となってしまいました。
わずかな忠臣と諸国を潜み、歩き続け、ついに奥州にたどりついたところで最後の戦いの臨むことになります。
衣川(ころもがわ)の合戦です。
文治5年(1189)閏4月30日についに討ち取られたのでした。

しかし、義経は死期が近いことを感じとっていたのでしょうか。
九日前の21日に鞍馬寺から持ち出した秘伝の巻物を写し置きました。
そして原本は鞍馬に帰したのです。
そしてそれは今も伝わっているとのこと。

まことに神秘の書というべきでしょう。


この秘伝は文体が漢文体であり、また梵語も随所に使われているのでむつかしいこと、この上ないのですが、内容について素人目にも面白いなあというのがいろいろ書かれています。
この点についてはまた機会があれば書きたいと思います。

イメージ 1

嘉吉の乱(1441)といえば、足利将軍義教公を赤松満祐が弑殺した大事件で、高校の歴史の教科書にも出てくるくらいですね。
赤松満祐については、以前、『醍醐随筆』収録の珍しいエピソードをこのブログでも紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/16340665.html

さて、この乱の顛末については群書類従に『嘉吉記』という記録が収録されていて、一般に読むことができます。
江戸時代前期、これに加えて読み物化した『嘉吉軍記』という本も出版されました。
これは比較的流布したもののようですが、残念ながら活字で読むことができません。
僕もまだ読んだことがないのですが、ただ、これを批判的に継承した本が後世作られました。
それは『播州嘉吉軍記大全』と題する本です。
写本で現在1冊しか確認できないものなので、珍書といっていいでしょう。

明和元年(1764)、播磨の後藤基邑という人が著しました。
後書に「先に嘉吉軍記有りといへども、詳らかならざる故に、改めて事跡を正し委しく是を記し侍る」とあり、さらに「吾が国の昔語りを後の人にしらしめむ」とあるから、その執筆目的は歴然としています。

この本を5年後の明和6年に小松重利という人が写し、さらに2年後の明和8年に赤松義資という人がこれを写しています。
赤松義資という人は明らかに本軍記の赤松家とゆかりのある人物なのでしょう。
ただ室町時代の名家の赤松家は信長の時代に消えてしまうと思うので(このへん、曖昧orz)、少なくとも義資の家は庶流の流れを汲んでいるのでないかと想像します。
ちょっと調べてみます。
(この書では赤松・足利両家のことも多少言及しているので、これから読んでみます。)

画像は赤松家の城山城(きやまじょう)攻めの場面に描かれた図です。
右下に名所の人丸塚や明石の浦が見えます。
本文中には出てきませんが。

以前の記事で心極流の剣術・柔術について少し記事にしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/13663716.html
印旛沼の近くの旧家に伝わる文書の中に「心極流」とあるのですが、少なくとも同名の流派は3つありました。
そのうち、長谷川宗喜を祖とするものや真極夢仁斎(宮川秀政)を祖とするものについて言及しました。
すると、訪問したМ・Sさんから、

>印旛沼あたりの旧家でしたら、真極夢仁斎の心極流ではなく、関戸政七の心極流ではないでしょうか?

というご教示を得ました。

そこで、一昨日、そのお宅にお邪魔して、いろいろ文書類を見せていただきました。
剣術の伝書の類はまったくありませんでしたが、「起請文前書之事(きしょうもん・まえがきのこと)」と題するものが何枚も保存されていました。
そのうちの何枚かの宛名に
「関戸政七郎次手
    ○○○○」
とはっきり記されていました。
つまりこの家のご先祖は関戸政七(郎)の心極流であったことが確認できました。

さて、この「起請文前書之事」はほぼ書式が決まっております。
漢文体の文章を平易に改めますと、次のようになります。

 * * *

一 心極流剱体の両術、御免許御座無き内は、
  親子・兄弟たりといへども、聊かも他言仕るまじき事
一 御流儀の善悪、申すまじき事
一 他流、譏るまじき事
一 家業、惰怠申すまじき事
一 此の方より押して試合置き申すまじき事
一 盛り場に於いて喧嘩口論等致さざる様、相慎み申すべき事
一 御流義、相学び候ふに来たつては、大酒仕らざる様に、
  是又、相慎み申すべき事
一 稽古場に於いて諸事争ひがましき儀、決して仕るまじき事

右の条々、相背くに於いては

  梵天、帝釈、四大天王、総じて日本六十余州の大小神祇、
  別しては、鹿嶋・香取両社大明神、摩利支尊、天部類の眷属、
  各々神罰・冥罰、罷り蒙るべきもの也。
  仍て起請文、件の如し。


  文化三丙寅歳六月日

            (起請者10名の名と印)

  ○○殿


 * * *

こんな感じです。
起請文は神に誓う誓約書の一種で、中世からほぼ同じ形式を採っています。
古くはこれを焼いて灰を飲んだりしました。

明治初年の人相書

今日、印旛沼近辺の旧家にお邪魔しました。
江戸時代は地代官(ぢだいかん)を務めていた家柄です。
警察や裁判の職権も持っていたようです。
明治時代になっても、葛飾県の管轄下でしばらくそうした職務を従事していました。

県から来た書類を書写してまとめた本を見せていただいたのですが、その中に「人相書」がありました。
人相書といえば、時代劇でよく出てきますが、それだと似顔絵も一緒に描かれていますね。
しかし、ここに写されているものはただ文字だけでした。

たとえばこんな感じ。

 * * *

    人相書
 帯刀致し居男四人
  内
一 年齢五拾歳位 但し常州言葉
一 丈並にて肥へ候方
一 丸顔にて色黒き方
一 眉毛並にて眼するとき方
一 鼻常体
一 頭惣髪にてまげ後へ通し詰有之
  衣服編八丈綿入羽織黒大羅紗袴浅黄紺立
  編着用之事


 * * *

何をしたのか、刀を腰にした男4人の犯罪者の人相書が送られてきました。
そのうちの一人について、このような記述がされています。
ほかの3人も大同小異です。

まず50歳くらいで、常陸方言で喋る男。
背は普通で、太り気味。
眉毛は普通で、眼が鋭いほう。
鼻は普通。
髪は総髪(月代を剃らない髪)で髷があって、服装については詳しく記されています。

あいにく、これは県から送られてきた人相書の写しではありますが、しかしこういうものは初めてなので、非常に面白く読ませてもらいました。


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