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明日、「〈曾我物語〉の絵画化と文化環境―物語絵・出版・地域社会を手がかりにして」と題する公開研究会があります。
事前申込不要ですので、ご興味のあるかたはご参加ください。
開催日時 2014年3月2日(日)13:00〜17:50
会場 立教大学(池袋) 5号館 5302教室 ◇ プログラム
12:30〜 受付開始 13:00〜13:10 趣旨説明 第1部 物語絵画としての曾我物語 司会 伊藤 慎吾(國學院大學兼任講師)
13:10〜13:55
◆「絵入り版本『曾我物語』の挿絵をめぐって―組み合わせ絵入り古活字版『曾我物語』を中心に―」
出口 久徳(立教新座中学校・高等学校) 13:55〜14:40
◆「『曾我物語絵巻』考―曾我物語絵の展開と享受の諸相―」
宮腰 直人(立教大学・兼/国文学研究資料館客員研究員) 14:40〜15:00 休憩
第2部 富士の巻狩と地域社会 司会 目黒 将史(日本学術振興会特別研究員)
15:00〜15:45
◆「下野狩りにみる『曽我物語』」
斉藤 研一(武蔵大学・非) 15:45〜16:30
◆「南九州における〈富士野の巻狩〉図の受容と再生―二つの神事絵巻をめぐって―」
鈴木 彰(立教大学) 16:30〜16:50 休憩
第3部 共同討議
16:50〜17:50 共同討議
討議参加者 恋田 知子(国文学研究資料館) 黒田 智(金沢大学) 市川 廣太(近世絵手本研究者) 植松 有希(長崎歴史文化博物館) 人間文化研究機構 国文学研究資料館 公募・若手共同研究「語り物文芸の絵画化と享受環境の基礎的研究」研究代表者:宮腰 直人
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絵巻・絵本
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副都心線西早稲田駅のすぐ近くにある学習院女子大学で「文化の華―新収蔵品を中心に―」という小展示会が開催されています。
詳細は下記の公式ページをご覧ください。
初出品の「中国故事図屏風」は非常に見応えのある優品です。
右隻は次の6図から成っています。
第1扇…項羽、最期の合戦
第2扇…越王勾践の敗戦
第3扇…不明
第4扇…咸陽宮
第5扇…秦始皇帝
第6扇…越王勾践、会稽山に籠る
それぞれの絵に仮名書きで絵の題材を記した金紙の題簽が押されているので、何の故事を題材にしたのかは分かります。
しかし第3扇だけはそれが欠損していて、何に取材したのか分かりません。
中国の故事に詳しい方がご覧になれば分かると思います。
(分かった方、ご教示ください)
一方、左隻は次の6図から成っています。
第1扇…荊軻(けいか)、秦舞陽、樊於期の首を斬る
第2扇…項羽、戦に負けて敗走する
第3扇…呉王夫差
第4扇…鴻門の会稽
第5扇…漢高祖、韓信に先手を命じる
第6扇…越王勾践、帰国する
このように、幾つかの故事から抜きだして六曲一双に仕立てた屏風です。
題材ごとにグループ分けしてみましょう。
呉越…右2、右6、左3、左4、左6
秦始皇帝…右4、右5、左1
項羽と劉邦…右1、左2、左5
こう見ると、配列が本来のものであったかは疑いが残るでしょう。
さて、これらの故事は『太平記』をはじめ、日本の物語文学の世界でも好まれたものです。
本屏風とほぼ同時期に作られた『太平記絵巻』や『咸陽宮絵巻』『呉越絵巻』などと関わりがあるかどうか、気になるところです。
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去年の暮に赴いた和歌山で偶目した幕末明治期の絵巻はちょっと面白いものでした。
絵巻といっても素人の手慰みのような作品で、美術的価値などないのですけど、ユニークな題材と作風で惹かれるものがありました。
4つの異なる題材を書き継いだ説話絵巻というべきものです。
その中の1つに白楽天にちなむエピソードが取り上げられています。
謡曲「白楽天」というのがあります。
白楽天が日本人の知恵をはかろうと船に乗ってやってきます。
すると釣りをする漁師の翁がおりました。
翁はやってきた男を白楽天だと見破り、さらに言い負かしてしまいます。
白楽天は上陸もせずに引き返したのでした。
この翁は実は住吉明神でした。
さて、この絵巻には白楽天は出てきません。
が、そのかわりに黒楽天なるものが登場します。
黒楽天は白楽天の息子です。
黒楽天は漁師の翁をすでに住吉明神であることを知ってます。
黒楽天は住吉明神とどう対決するのでしょうか。
このエピソードの図は1図しかありませんので、この後の展開がわかりません。
おそらくまた神が勝つのでしょうが、今度はどんな対決をしたのか、気になるところです。
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日本で古くから読まれてきた漢籍にはいろいろありますが、とりわけ子どもの勉強にも使われた作品に『二十四孝』があります。
その名の通り、24の孝子の行状を取り上げたものです。
これは絵画化され、たとえば屏風や画帖に仕立てられました。
また平易な仮名文に改められ、お伽草子の1編としても読まれました。
さて、この『二十四孝』の中に老莱子という人物が取り上げられています。
老莱子は70歳ですが、老いた両親が健在でした。
親を喜ばせようと、綺麗な衣を着て、幼児の姿となって舞い戯れました。
さらに親に給仕しようとして、わざと転倒して子どものように泣きました。
なぜそんなことをしたかというと、自分の老いた姿を見たら親は悲しく思うだろうと心配したからです。
さらに両親が自身の老いを自覚しないようにとの配慮からでした。
その効果のほどはともかくも、親孝行の鑑だということで、二十四孝の一人に採用されたのでしょう。
老莱子の絵はお伽草子の版本では下に掲げたようなものです。
これに対して、手もとにある老莱子の絵を挙げましょう。
最初見たときは何か中国の故事を描いたものとしか思いませんでしたが、老人が老いた男女の前で舞っているので、老莱子なんだなと気づきました。
江戸中期頃の作かと思います。
画帖か屏風か分かりませんが、二十四孝図の1図が剥がされ、僕の手もとに帰したのでしょう。
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源頼朝に平家を打倒するように勧めた僧がいます。
文覚上人(もんがく・しょうにん)です。
この人の修行は凄まじく、とりわけ熊野での荒行は後世よく知られるところとなりました。
また、京都北部の真言宗寺院神護寺を再興した人物としても知られています。
その神護寺再興のために費用を工面しなくてはならないわけです。
権門勢家には大口の喜捨(寄付)を、一般庶民には一紙半銭、すなわち僅かばかりの志を募るべく歩いて回りました。
これを勧進といいます。
文覚が勧進活動の一環として後白河上皇の御所に参りました。
アポ無しの推参です。
時に、御所の方々は還元の遊びに興じておられました。
それとは対照的な大音声の文覚の声。
これによって、管絃の遊びは調子が崩れたし、拍子も乱れたし、散々なことになってしまいました。
そのあとの文覚の振る舞いも奇怪なものと見え、その結果、流罪に処されることになりました。
この一件を描いたのがここに挙げた絵です。
これは江戸前期の狩野洞雲の絵巻の粉本を模写したものです。
ところどころに記された文字は絵の具の指示です。
たとえば屋敷の床に「六」と記されていますが、これは緑青(ろくしょう)の「ろく」の当て字です。
つまり畳敷きであることを表しているわけです。
左上に書かれた説明文を下記に記しておきます。
ご参照ください。
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文覚高雄勧進。
或ル時、院御所法住寺ニ参リテ御奉加の由、言上ス。
御遊ノ折節ナルニ依ツテ、奏者、この由ヲ申シ入レズ。
文覚、無骨ナリトテ常ノ御所ノ御坪ノ方ヘ進ミ参リテ
勧進帳ヲサツトヒロゲ、調子モ知ラズ大音声ヲ上ゲテ、コレヲ読ム。
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