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神仏を闇雲に信じることなく、とりわけ庶民の熱狂的な行動を冷ややかにみることは、江戸時代の知識人に一般に認められるところです。
江戸前期の作者不詳の仮名草子『大仏物語』にもやはりそうした視点で記したエピソードが載っています。
「このごろ世間を見れば、ある所に不思議なる清水が涌き出で、
人の病は申すにおよばず、かたわなる者までもこの水さへ飲めば、
たちまち平癒するといひふらす故に、
近国遠国の者どもが奇特のおもひをなし、
歴々と生年寄りたる衆が、犬ひきのごとくに竹の筒を持たせ、ひきもちぎらず通り、
過分の路銭を費やしけり。」
ある所に万病に効く霊水が湧き出たというので、全国から病人や年輩の人々が水筒代わりの竹筒を持って惹きも切らずにやってきます。
旅費も馬鹿にならないだろうに。
「その後、宿所に帰りたる者どもをみれば、あるいは道中にて風邪をひき、咳気をする者はあれども、
一人も病の治りたるものをみず候ふ。」
ところが宿に帰った彼らを見れば、一人として治った者などいませんでした。
「又いつぞや、清水坂にてある比丘尼がまじなひをもつて四百四病をたちまち治すると申せし故に、
洛中の者ども、『これこそ不思議なれ』とて、毎日つめかけ、
大事の金銀をいたづらにかの比丘尼に取らするとみえて候ふほどに、
ただ人ほど、たらしよき物はなきとみえて候ふ。」
またいつだったか、清水寺の清水坂で、ある尼がまじないで万病をあっという間に治すという噂がたちました。
そこで京中の人々がこぞってつめかけ、その尼につぎ込みました。
人間ほどだましやすいものはありませんな。
『大仏物語』が出版されたのは寛永21年(1644)。
このころの都市の信仰のありかたが垣間見えます。
人々は病気平癒の噂を信じて遠いところからもやってくるし、出費も厭いません。
冷静に見たら疑わしい霊水の話やいかがわしい宗教者であっても、病が治るという話にすがりたい気持ちがあるのでしょう。
今日、新興宗教にすがる信者たちを見る我々の視点に似ている気がします。
これらは江戸の庶民の間におびただしく生まれる流行り神たちの前段階と見ることもできるかも知れません。
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近世文化人
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合戦に臨むときの兵馬の配置、つまり陣形にはいくつかあります。 |
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江戸前期の医家中山三柳(さんりゅう)が幼年時代を過ごした土地は奈良でした。 |
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中山三柳(さんりゅう)という人について、というより、その著書『醍醐随筆』に関わることを、本ブログでたびたび書いています。 |
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中山三柳(なかやま・さんりゅう)という文人は京都で医業を生業としておりました。 |




