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菅江真澄(すがえ・ますみ)という人物について知っている人は、柳田國男の著作をいろいろ読んだり、民俗学史に関心のある人ではないかと思います。 |
近世文化人
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蕗の薹(フキノトウ)について前々回の記事で取り上げました。 |
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熊本といえば細川家ということになるでしょうけど、もうひとつ加えれば、加藤家でしょう。
加藤清正の築いた熊本城を継いだ人物が、清正の三男忠広です。
その墓碑が清正ゆかりの本妙寺にあります。
ホムペのほうに挙げておきました。
忠広は寛永9年(1632)に改易され、出羽で余生を過ごすことになりました。
この時の改易で文学史的にとくに注目すべきは同族の加藤正方の動向です。
この人は松江城(八代市)の城代家老のときに浪人となりました。
そして京都に上ることになります。
正方と行動を共にした家臣に西山豊一がいます。
これがかの偉大な俳人西山宗因になるわけです。
加藤家改易がなければ宗因による談林派俳諧の隆盛はみられず、西鶴の文学も開花しなかったかも知れません。
まあそれは結果論なわけで、歴史をこういうふうに見るのはいけないかも知れませんが、戦国の世から浮世の文学の生成を体現しているようで、この流れは非常に興味深く思うのでした。
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鳥取の心学者平井洗心の伝記的補足から。 |
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鳥取の心学者平井洗心について前回、前々回と続けて書いてきました。 |




