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近世文化人

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菅江真澄の研究誌

菅江真澄(すがえ・ますみ)という人物について知っている人は、柳田國男の著作をいろいろ読んだり、民俗学史に関心のある人ではないかと思います。
まだまだ知名度という点では一般的に低いと思いますが、どうでしょう。

菅江真澄は近世後期の人。
三河(愛知県)出身で、おもに東北地方を旅して詳細な紀行文を数多く残しました。
それも文章ばかりでなく、豊富な絵も描いており、読んでも見ても楽しいし、記録資料としての価値もきわめて高いものです。

菅江真澄については、上記柳田國男が発掘し、先駆的な研究を残し、その後、わずかな民俗学者や郷土史家が扱う程度でした。
平成3年(1991)、重文に指定され、そのころから多くの人々に注目されるようになってきました。
そして秋田県立博物館に菅江真澄資料センターが創られました。
真澄の紀行文(遊覧記)を講読する会も1つ2つと現れ、論文や一般書も増えてきました。

そういうわけで、真澄に関しては近年充実してきたといえるでしょう。
僕の周囲にも真澄の研究に携わっている人が何人もいます。
秋田県博に資料センターができたことは画期的なことでした。
そこの機関誌が『真澄研究』です。

その新刊第14号が出ました。
次の3種の論考が載っています。

 * * *

・旅文人から久保田住文人へ
  ―菅江真澄遊覧記連想―
・〔講演記録〕菅江真澄と民間説話
・《おがたのつと》と《雪の山越》の執筆年
  〜鳥屋長秋宛書簡の再読を通して〜

 * * *

以上、新刊紹介でした。

貝原益軒雑感

蕗の薹(フキノトウ)について前々回の記事で取り上げました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/11942147.html
その時、貝原益軒の『菜譜』をちょっと引用しました。
益軒については、昨日の『読売新聞』の「よみうり寸評」でもこんなふうに書かれています。

江戸時代の著名な学者、貝原益軒は今風に言うと「現場主義」を大切にしていた。まず足で稼ぐ。実地に見て聞いて試して書く
◆健康について説いた代表作「養生訓」も自らの体験に基づく。植物学の本は自分の家の庭で花や薬草を栽培して著述した。ただ、碩学(せきがく)と言えども時に間違う。桜に関するエピソードはその一つだ(以下略)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20100403-OYT1T00590.htm

この寸評の趣旨は上記引用文の「碩学と言えども」云々にありますが、ここではたまたま益軒ネタが出てたので、何かの縁かなと思って挙げてみました。

 * * *
益軒はここに書かれているように、非常に実用本位に物を考える人であったらしく、服のシミの取り方だの、風呂に入らず頭を清潔にする方法だの、身近な些細なことまでも工夫して考えていました。
深遠な思想的側面は僕の踏みこめるところではありませんが、こういう実生活に役立つ知恵袋のような著作群は読んでいて実に楽しいものです。
 * * *

上記『読売新聞』の寸評には『養生訓』が挙げられてますが、もちろん、これが代表作といえます。
岩波文庫の一冊になっているから、今日でも比較的入手が容易なものです。
でも益軒には面白い本がまだまだあるんですね。
たとえば上に例示した服のシミの取り方やら頭の清潔に仕方やらは『万宝鄙事記』に書かれています。
それから先日フキノトウの記事で挙げた『菜譜』は食べられる植物を取り上げ、簡略ながら栽培法、食べ方などを記述しています。
ちなみに僕はこれを読んで縁日で花柚子の木を買ってきて庭に植え、実を漬け物にして食べました。
美味でした♪
同様に『花譜』も花の特徴とそだて方が書かれています。

これらは今でも有用ですし、そうでなくても読んでいて楽しい本に違いありません。
また再び街の本屋に並ぶようになってもらいたいものです。

熊本といえば細川家ということになるでしょうけど、もうひとつ加えれば、加藤家でしょう。
加藤清正の築いた熊本城を継いだ人物が、清正の三男忠広です。
その墓碑が清正ゆかりの本妙寺にあります。
ホムペのほうに挙げておきました。
 
忠広は寛永9年(1632)に改易され、出羽で余生を過ごすことになりました。
 
この時の改易で文学史的にとくに注目すべきは同族の加藤正方の動向です。
この人は松江城(八代市)の城代家老のときに浪人となりました。
そして京都に上ることになります。
正方と行動を共にした家臣に西山豊一がいます。
これがかの偉大な俳人西山宗因になるわけです。
加藤家改易がなければ宗因による談林派俳諧の隆盛はみられず、西鶴の文学も開花しなかったかも知れません。
まあそれは結果論なわけで、歴史をこういうふうに見るのはいけないかも知れませんが、戦国の世から浮世の文学の生成を体現しているようで、この流れは非常に興味深く思うのでした。

鳥取の心学者平井洗心の伝記的補足から。
『心学無我袋』に「洗心、若年ノ時、江戸相生町参前舎ニオイテ心学道話ノ後デ」云々とみえます。
参前舎は著名な中沢道二の講舎です。
江戸まで出て道二のもとに通っていたことが知られます。
因幡(鳥取)の洗心は、家業の薬商のかたわら、若いころから心学に強い関心があった人のようです。

さて、その講釈の記録『心学無我袋』はかたい内容だということを前の記事で書きました。
しかしその中に親しみやすい話も入っています。

たとえば「仁和寺童事」というのは、『徒然草』に載っている仁和寺法師の話です。
「後醍醐天皇事」という話もあります。
これは日野熊若丸が父日野資朝の仇討を果たす内容で、出所は『太平記』でしょう。
「迷子八蔵事」は故事説話ではなく、どうやら洗心自身の見聞談のようです。
大坂の静安舎にかよう八蔵という子が人買いにかどわかされたが、無事戻ってきたという話です。
静安舎は中井利安という心学者の講舎です。
「舜帝孝ノ事」は中国古代の皇帝舜の孝行話。
これは『二十四孝』が元ネタ。
「信州敵討事」は神谷伊右衛門が出てきます。芝居ネタですね。

意外とよく知られたエピソードをたとえにして、教えていたことがうかがわれます。
しかし、よくわからないものもあります。

「大坂天満ニ親孝行シタ犬モ有リ」
「四五年ノ間、夫ヲ養ツテ居タ蝘蜒(やもり)モ有ツタ」
というのですが、これは元ネタが洗心の見聞なのか書物による知識なのかわかりません。
奇妙な話ではあります。

洗心の著作は『国書総目録』には記載されていません。
その意味でこの『心学無我袋』は貴重な資料でしょう。
しかし本書の中には次のような記述もみえます。

 心学無我袋十二巻、同問答記十二巻。

どうやら現存『心学無我袋』は抄録本か何かのようで、本来、かなり大部の記録が存在したようです。
あるいは今もどこかに眠っていることも考えられます。

鳥取の心学者平井洗心について前回、前々回と続けて書いてきました。
今回もその続きです。

まずは前回の訂正(…汗)
洗心が成教舎を創立したのは天保8年(1837)よりも前のことで、洗心ばかりでなく、2、3の兄弟も一緒に尽力したようです。
これについては『心学無我袋』「舎発之事」に記されています。

 予ガ二三ノ兄弟、相ハカリテ、文政四年(1821)辛巳ト云フ春ノ三月、
 岩井ナル温泉ノ傍ニ草ノ庵ヲ設ケ、則チ文ヲ以テ友ヲ会シ、
 共ニ仁ヲ助クルノ便リトナシケル。

成教舎の所在を整理すると、
 文政4年〜天保8年 岩井温泉(現岩美町)
 天保9年〜?    川端2丁目(現鳥取市川端)
ということです。

「成教」とは「人々ニ無我ナル教ヘを成就セシメ、真(マコト)ノ人ニ成ラシメン」ということ。
「無我ナル教ヘ」の「無我」とは「親ハ子ニ無理ヲ言ハズ、無理ヲセズ。子ハ親ニ無理ヲ言ハズ、無理ヲセズ」ということ。
そこから発して、主従・夫婦・兄弟・朋友をはじめ諸人の交わりにおいて無理を言わない、無理をしないようにすることです。

さて、『心学無我袋』は道話集の中ではやや硬めの内容になっています。
文体も文語文です。
さらに章段も「誠天之道事」「積善之家事」「致知格物事」など抽象的でむつかしい表現が使われています。
そういうわけで、ちょっと、とっつきにくいものですが、しかしそれらに混じって、面白いエピソードが使われています。
奥田頼杖の心学道話と取り上げた記事で紹介した道真の昔話創作の話は洗心も使っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/8455640.html
続いてこんな話をしています。

 蟹ノ一人子ヲ得タリ。
 ソノ子、横バイガ好キデ、道ナラヌ事ヲ好ミ、身ヲ果テタリトナン。
 孫ハ道ヲ以テ業ヲ勤メ、日々ノ衣類三食ニ至ルマデ倹約ヲ守リ、
 何ホド結構ナル美ニモ心ヲ移サズ、敵ヲ討チ、所願成就シタトノ噺ナリトゾ。

蟹に子どもが一人できましたが、その子が横這いが好きで悪さを好んだ結果、身を滅ぼして死んでしまいました。
その遺児はまじめに働き、日々、質素倹約を守って贅沢はせず、ついに敵を討って本懐を遂げました。
蟹の仇討の話ですが、元ネタはなんでしょう。
どうも簡略すぎますね。
極道者の親が死んだことと、その子が仇討をしたこととのつながりが説かれていません。
たぶん、「親は何者かに殺された」というモティーフが欠落しているのでしょう。

この話を筆記した洗信が父洗心の言葉を忠実に写したのならば、当地の人々にとっては自明の話だから省略されたともとれます。
洗信が大雑把に筆記してストーリーの骨子を少し書き損ねてしまったとも考えられます。

ともあれ、こうした子ども向けの動物説話も取り込んでいるところはほかの心学道話と共通し、誰にでもわかるたとえ話を心がけていたことがうかがわれます。

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