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和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰会が発行している機関誌です。
去年暮に初めて訪れた時は入手できませんでしたが(どこに置いてあったのだろう…)、執筆者の一人からいただきました。
熊楠研究の最新情報が詰まっています。
主要内容は下記のごとし。
・自筆資料に見る南方熊楠8
神島産「キノクニスゲ」という名称
・南方熊楠と英国の女性科学者
・リスター父娘宛て南方熊楠書簡の最新状況―ロンドン調査報告
・“キン”を科学的に理解しよう
・南方熊楠「日光山記行」を歩く2
日光山内到着から奥日光、日光下山まで
・南方熊楠が見た『遠野物語』
・資料紹介
2010年度東京古典会 雑賀貞次郎宛書簡
・南方熊楠と牧野富太郎…すれちがう調査
・書簡の杜―南方熊楠を巡る人脈―4 松崎直枝
・「熊楠」生物覚え書13 本州最南端のブナ林
・南方熊楠の伝記を正す3
これだけみても、熊楠の幅の広さがよく分かります。
この中でとくに2010年東京古典会に出た雑賀貞次郎宛書簡については僕もすこ〜し絡んでいるので、ちょっと思い入れがあるものです。
これから丁寧に読んでいきますw
これ、定期購読できるんですかね?
今度問い合わせてみよう…
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近代文化人
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成功した文筆家はさておいて、物書きはおおむね苦労人が多いと思います(笑)
僕のような論文書きなど、書けば書くほど赤字になります。
それは金を費やしても明らかにしたいことがあるからです。
まあ、大学に就職したいから業績稼ぎにがんばるという人もいます。
そういう人はたいてい専任職に就いたら研究意欲を失います。
会議が忙しいとか、大学教育に専念するとか、いろいろ都合のいいことをいって、研究をおろそかにします。
同人作家の場合はどうでしょう。
基本、好きだから書くという人が多いでしょう。
もちろん、アニメイターとか漫画家とか、将来の夢に目指して活動をする人も多いはず。
中にはお金のためと割り切ってる人もいるでしょう。
マンガ『ドージンワーク』はそうした人たちの人間模様が描かれていて面白いです。
実は僕も専門とは別に書きたいことがあって、今度のサンシャインクリエイションに初参加します。
こっちで身を立てるわけでもないし、まず赤字になるから金のためでもないですwww
要するに好きでやるんです。
それはそうと、山浦松太郎『伝説物語 三条左衛門』(昭和6年刊)という本のあとがきは、本書が出版されるまでの苦労が事細かに述べられています。
・自分は印刷工で、月2回しか休みがない。
・工場の昼食時間の30分のうち、13分ばかりを使い、毎日2行3行、たゆまず書いた。
・書き上げた原稿は非常に汚いので、清書で月2回の休日を潰した。
・出版費を工面するために故郷の家を売った。
・自分は短命の家系だから、時間を惜しんで娯楽に興じなかった。
そこまでして出した本だそうです。
『三条左衛門』という作品それ自体もさることながら、このあとがきに胸を打たれました。
著者はいいます。
「志さへあれば、目に見えぬ神の力で、何時かは恵まれた目が来る様であります。
唯人は一時感情に駆られて向上心を持つ丈では駄目であります。
其の心を永く何処までも持続して行く事が肝心であります。
意志の強さが必要となるのであります。」
良い事を言います。
が、中々真似が出来ません。
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戦前の農政家に石黒忠篤という人がいます。
この人は新渡戸稲造や柳田國男とも交流があった人で、のちに農林大臣にもなりました。
父は著名な軍医で日本赤十字社の社長忠悳、妻は法学者穂積陳重の娘です。
昭和30年に没し、その2年後には『石黒忠篤先生追悼集』が出ました。
また昭和44年には日本農業研究所編『石黒忠篤伝』(岩波書店)も出ています。
今日、鈴木棠三『俗語』(昭和36年、東京堂)を読んでいたら、忠篤とその子息孝次郎についてこんなエピソードが載っていました。
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終戦後、先生の息子さんが骨董屋を始められることになった。何しろ、乃木大将の葉書、手紙だけでも大きな箱にいっぱいあるといわれる家で、先代が骨董好きだったから、よそから仕入れなくても売る物には困らないはずである。
その骨董屋の屋号を、三日月商会とつけれらた。半分ヤミ、いや、ヤミの方が多いという意味だったようだ。物価統制の時代でも、骨董にはヤミ値はなかったのに、進んでこういう名をつけられた先生は、やはり謙厳な人だったと思わずにはいられない。
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先生とは忠篤のこと。
息子さんとは孝次郎。
ウィキペディアによると、昭和22年に株式会社三日月なる会社を建てたようです。
ネットでちょっと調べた限りではもうこの店はたたんだようで、ヒットしませんでした。
上掲鈴木の文章を見ると、この社名は社長の孝次郎ではなく、父忠篤が名付けたもののようですね。
忠篤が骨董趣味をもち、乃木希典の書簡などずいぶん持っていたことが知られます。
今どうしているんでしょう…。
市場に流出してしまったのなら残念ですが、時世がら仕方なかったのかも知れません。
石黒家の墓は東京の谷中霊園にあります。
昨夏、猛暑の中、行ってきました。
逆光で読みづらいのですが
「石黒氏之墓」
「昭和二年三月
石黒忠悳立之」(側面)
とあります。
画像は前面。
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近々、神田神保町で年に一度の東京古典会の大入札会が催されます。 |
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国文学者にして歌人であり、詩人でもあった折口信夫(おりくち・しのぶ)。 |




