|
無題随筆の第43話を翻刻します。
* * *
大久保相模守家人、馬場八右衛門、常に石見守と入魂なる故に追放せり。
片桐、是を呼びて夜会などの物語の相手とす。
或る夜、酒をすゝめて、大久保相模守は天下第一の禁制邪蘇宗門なり。
其の上に内々を以て秀頼卿へ御味方申す。
関東を亡さんと工むと云々。
用事有る風情にて勝手へ入りけり。
跡に小き懐手の折手本一つ残りたり。
馬場取つて見るに、其の末に秀頼卿蜜事、忠節并びに邪蘇宗門の事を寄せらるゝの面々として、筆頭に大久保相模守と書く。
是、石見守の事に付き述懐野心とあり。
馬場取つて懐中す。
此所を遁げ出で、駿府に下り直訴す。
* * *
この話、文意が通じにくくなっています。
大久保石見守とは、前の話にあった大久保長安。
死後、徳川家転覆の疑惑が出た武将です。
大久保相模守は小田原城主大久保忠隣(ただちか)。
長安を引きたてた大名です。
長安の事件に連座して、後に改易されました。
馬場八右衛門は正しくは馬場八左衛門。
馬場の直訴によって忠隣は改易となったのです。
馬場がいかに忠隣の密事を知ったのかという点が述べられているところが面白いですね。
|
【翻刻】江戸時代後期の無題随筆
[ リスト | 詳細 ]
|
大久保長安は徳川家康に仕え、甲斐の金山、石見の銀山などでの採掘に尽力した武将です。
この人に関する記事です(第42話)。
※□は虫損箇所。
※便宜、句読点、清濁、送り仮名等を加えました。
* * *
大久保石見守死する時、愛妾弐拾人え壱万両に和漢の織物を添へて、
面々にかたみと□残□遺状を書きて死にけり。
嫡子藤十郎、この金出だす事おしく思ひ、千両づゝあたふ□□といふ。
弐拾人の妾共、駿河へ出でて御直訴に及ぶ。
大御所、
「石見守身上いか程の事」
と御尋ねの時、
「金銀、蔵に充満し、器財の結構、上様にも増り候ふ」
と申す。
俄に家内闕所となる。有り金七拾壱万両、銭は数を知らず。
居間の下に石の□樋有り。
その中に黒練にて塗りたる箱あり。
ひらき見給ふに、唐の帝へ日本の重宝ども渡したる礼状、
又、唐土より数種の物を渡したる書付。
さて日本に切支丹を張り、日本を唐土に攻め取りて、
その節は己が権柄と成り、上総介忠輝卿を将軍にすべしとの構へなり。
大坂落去のゝち、上総介殿流刑有り。
根元は此咎なり。
* * *
長安には数多くの愛妾がいたと伝えられますが、この記事でも20人いたと記されています。
彼女たちへの財産分与を惜しんだ嫡子藤十郎に対して、家康に訴えたところ、取り調べが行われました。
すると、長安の貯め込んでいた莫大な私財が明るみになると同時に、徳川幕府転覆の証拠も出てきました。
そこで大久保家は断絶。
また家康の六男上総介忠暉が流刑に処された理由は長安の陰謀に加担していたらしいということによるようです。
こういう説もあったんですね。
* * *
異類の会例会報告
「日本に於ける鯨鯢の認識」
http://irui.zoku-sei.com/Entry/34/ |
|
久々の翻刻です。
大坂冬の陣の後の徳川家康暗殺の記事です(第41話)。
* * *
大坂冬の御陣、井伊掃部頭領内にて片松山□陰より十匁玉にて御駕籠を打ち貫きたり。
御袖の下をかすりたり。
是を生け捕り、
「何ものや」
と尋ぬる。
「掃部頭の者」
と申す。
大御所仰せらるるは
「井伊に限り別心なし。彦根に入城、苦しからず」
とて、御入城の節、
「城内に真田有りといふ事を知らず。
不覚もの共」
との 上意なり。
かの曲者(くせもの)をとらへて糺明すといへども子細謂はず。
只
「首討て」
といふ。
この段、上聞に達す。
上意には
「我、既に鉄炮にて死せりと申し聞かすべし」
と。
上意故、この旨を申し聞かす。
かの者悦んで
「本懐を達したり。
我こそ真田が家来日下部五郎左衛門」
と名乗る。
「我、掃部頭の者といふも人に罹ひなさず為也」
といふ。
御免ありて知行を給ふ。
* * *
井伊掃部頭(かもんのかみ)直政は家康の重臣です。
彦根の直政の領知を駕籠で通過中の家康が狙撃されました。
犯人を捕え、訊問するに、井伊家家臣といいます。
しかし家康はそれを信じず、直政が自分を襲うはずがないとそのまま彦根城に入城しました。
犯人はなおも本当のことを言わないので、家康は自分が撃たれて死んだと信じさせました。
すると、犯人は自分は真田家の家臣日下部五郎左衛門だと正体を明かしたそうです。
この事件、まったく知らなかったのですが、事実なんでしょうかね。
後世の作り話のようですが・・・。
|
|
江戸後期無題随筆翻刻の続きです。 |
|
36 |


