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大御所、真田隠岐守を召さる。
「汝は真田丸に参り、申すべきは、心をひるがへし、将軍に随ふべし。
信州にて拾万石賜はるべきなり。
早々城を出で、戦を罷り申すべしと申し聞かせよ」
との上意なり。
即時に真田丸に向ひ、上意の趣、申し述べたり。
左衛門、これを聞き、
「誠に身にとつて冥加に叶ひ候ふ。
併しながら、某、御敵を仕るによつて身の置き所なく、高野山に蟄居仕り候ふ所、秀頼卿の仰せによつて一方の大将の号を蒙り、武門の棟梁と呼ばるる。
今、知行、禄にめでて異変仕りたりと、末代までも口惜く候へ。
兎角、御請けはなりがたし」
とぞ申しける。
隠岐守、帰つてこの旨申し上げける。
「しからば年来真田が所望の信州一国給はるべし。
又、拾万石は嫡子大助へ甲州都留郡にて下さるべし」
との事なり。
隠岐守、又真田丸に行き、この事を申し述ぶ。
左衛門申すは、
「武士の恥とするは二心なり。
最初、籠城の節、最期を究めて入りたり。
今、信州一ヶ国の大守と成り、出城の時は木村七組の面々、真田に別心あらじと頼れたる目違
□相違す。
又、秀頼公御頼心召され、御盃賜はる。
この節、御請けとかく一命すて、忠誠泉下に報ふべしと申したる詞、水になり、出城仕るも残念也。
併しながら、忰大助、別しての上意なれば」
と大助を呼んで、右の段申し聞かす。
大助、
「互ひに拾万石賜はるは父を招かんと□□。
我壱人参りたらんには関東のかつぎものなり。
さはなくも、父は義士なるに、大助壱人、二心有りと笑はれん。
又、秀頼卿御最期にさはやかに御供仕る人有るまじきなり。
大助壱人は秀頼卿の御供なり」
といふ。
左衛門、
「最早、和睦の事は重ねて仰せ下さるまじく候ふ。
是非国郡を賜はらば、関八州残らず申し請くべし。
永く将軍家に御敵仕るべくにて候ふ。
大御所にも御油断有るまじく」
とぞ申しける。
※大坂冬の陣(1614)直前の家康と真田丸籠城中の真田信繁との交渉を記しています。
仲介役の真田隠岐守とは信繁の叔父信尹でしょう。
家康が所領をエサに信繁の離反を期待していましたが、信繁は覚悟の上のこと。
心を翻すことはしませんでした。
さらに嫡子大助こと幸昌もまた父に従う旨を述べています。
これは一種の美談ですけれど、ただ、幸昌が参戦するのは夏の陣(1615)からじゃなかったかと思うんです。
徳川勢を散々蹴散らした真田丸は冬の陣後に取り壊されたので、たぶん虚構ではないかと思います。
何か近世の軍記からの抜書だろうと思いますが出典未詳…。
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