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昨日の朝、ヘルシンキから帰国しました。
23日に出国し、エストニアの首都タリンに入り、27日夕方ヘルシンキへ。
ヘルシンキで一泊して午前中市街を経巡り、夕方の便で日本へ。
帰国は日本時間午前9時過ぎ。
EAJSという欧州の日本学の学会がタリンで開催され、それに参加したのでした。
しかし、一生に一度行くか行かないかというところでしたので、ほとんど観光に徹した観がありますw
まあ偉い先生方は出張費だとか研究費だとか何かと優遇されているのでしょうが、こちらは薄給の上に何から何まで自腹でしたから、日本の初夏を思わせる心地よい天候のなか、薄暗いレクチャールームに終日籠っているなど、もったいなくて出来ませんでした。
タリンの旧市街とその周辺の主要な場所は大体歩き切ったと思います。
本屋も2軒、古本屋は1軒見つけました。
そんなわけで、知人への土産用資金はおおむね自分用書籍代に化けてしまいました。
さて、この間街で見かけた生き物をちょっとご紹介。
旧市街の中央にある広場ライコヤ・プラーツにあるカフェで夕食をとっていたら(明るいけど、午後8時を過ぎてます!)、ラベンダーに飛んできたミツバチがいました。
日本のより大きくて、クマバチくらいの大きさです。
同じく広場のカフェで別の日休憩していたら、スズメが飛んできて椅子に佇んでいました。
人間を恐れないみたいです。 羽の模様は日本のよりこげ茶色勝ちです。 続いて、朝の旧市街のメイン通りにやってきたウミネコ。
まだ朝焼けの映える午前6時過ぎ。
これまた人間を恐れません。
ハトと一緒に足元を歩きまわっています。
つづいて、朝の市街地の公園に群れるツグミ風の小鳥。
カラスみたいですけど、日本の街中にいるのより小ぶりで、ツグミくらいの大きさです。
なんていう鳥でしょうね。
旧市街の北端には独立戦争戦勝記念の公園があるのですが、そこのそばを歩いていたネコです。
「kass,kass(ネコ、ネコ)」と呼ぶと、立ち止まって振り返ってくれましたw
最後はヘルシンキのトール湾沿いの公園で見かけたカラスです。
白黒模様が特徴でしょうか。
日曜の朝のヘルシンキは、昨晩の夜の喧騒に比べたらとても静かで落ち着いた雰囲気でした。
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旅
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奈良漬は今バルト三国の1つ、エストニアにきています。
今は3日目の朝です。
成田からヘルシンキまでのフライトは約9時間。
そこから30分かけてエストニアの首都タリンの空港に入りました。
なんとプロペラ機。
初めて乗りましたが、なかなか快適でした。
タリン空港はこじんまりとしており、成田空港やヘルシンキ空港のようなにぎやかさはありません。
地方空港の1つという印象をもちました。
空港からはタクシーに乗車して中央街のソコス・ホテルへ。
街には至る所で路面電車(トラム)を見かけました。
移動のために、バスやタクシーとともに必要不可欠な乗り物です。
旧市街は中世の建物が当たり前のように立ち並んでいます。
13〜15世紀のころのものが中心のようです。
そうしたところが今も活況を呈しています。
夏の今時は20度弱で涼しく、空気はカラッとして快適です。
日没時間がかなり遅く、夜9時ごろが昼下がりのような感じです。
「もう9時なんだから、はやく寝なさい!」
と子どもに説教言ったら、
「えー、まだこんなに明るいんだからいいじゃん!」
と口答えされるんじゃないかと思いますが、どう寝かしつけているんでしょうねw |
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奈良漬はこれよりエストニアに旅立ちます。
ブログ更新できれば更新します。 フィンエア搭乗口にて。 |

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昨年の今頃、四谷のあたりを散策しました。
炎天下、恐ろしく暑い中でしたが、「四谷怪談」のお岩さんゆかりのお岩稲荷から服部半蔵正成の墓のある西念寺。
ついで電車に乗って谷中霊園へ。
先日、江戸の考証家山中共古(きょうこ)の「四谷旧事談」(大正3年)を読んでいたら、散策したときのことをいろいろ思い出し、当時知らなかったことが分かって面白く読めました。
共古は、嘉永3年(1850)、四谷西念寺横町で生まれました。
西念寺の隣地に屋敷をもつ御家人の息子です。
その後、安政の大地震前(1854年以前)に四谷菱屋横町に移転。
数年後、火事に遇って四谷相の馬場の長屋に転居。
ついで、裏仲殿町(西念寺横町隣)に移転して維新に至ります。
さて、西念寺はもともと服部半蔵が建てた庵であったのを、のちに寺に改めたものです。
家康子息で、信長の命によって切腹して果てた信康の菩提を弔うために、半蔵はここに庵を結んだのでした。
四谷の辺りは伊賀者の住む町があり、当地に建立したのは自然なことだったのでしょう。
墓碑には
「慶長元〈丙申〉年
霜月十四日」
と見えます。
また反対には
「三州住人
服部石州
正成」
と刻まれています。
三河国住人服部石見守正成ということですね。
共古は言います。
「西念寺の表門は、今は西念寺横町に在つて東面であるが、元来は西の阪に在つて西向きであつた。門を入つて右手に寺中の寺があつたが、今では別寺となつて居る。服部半蔵の墓も、元は今の処では無かつた。代々の和尚の墓の中央にあつたのを、其墓石のみ引出したのである。」
これによると、今の半蔵の墓地には、仮に掘り起こしたとしても、半蔵の骨は埋まっていないらしいですね。
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先日、長野は松代に行ってきました。
真田家ゆかりの土地で、関連する名所がたくさんありましたが、その前に駅が面白くて、写真をバシバシ撮ってしまいました。 その一部を紹介します。 前回の記事にも書きましたように、木造の古い駅です。
駅自体は大正時代からありますが、建物はいつの建築なのでしょうか? 見た感じ、とても古い印象を受けますが…。 駅の中も風情があります。
窓口上部「電車運賃表」の右側に貼られたパネルを拡大します。
ホーロー板で作られているみたいですね。
昭和らしい表記が随所に見られます。
「多量」の「多」
「若し」(もし)の「し」
「点」
など、味があります。
壁に掛けられた額には観光マップなどが入っているのですが、その奥から顔を出しているのが「毎日新聞」。
日付を見ると、昭和47年(1972)9月7日号だと分かります。
つまり、その頃からずーっと松代駅の額の中に入れられていたんでしょうね。
感慨深いものがあります。
一体額に掛けられるほどのどんな内容の記事だったのでしょうか。
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