穴あき日記〜奈良漬のブログ

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お伽草子

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昨日、愛媛大学で開催された研究会で『浄瑠璃物語』について、ちょっとした発表をしてきました。
事前に示したタイトルは少し変更して「浄瑠璃御前と乳母冷泉―キャラクターの特質をめぐって―」にしました。
 
源義経の想い人浄瑠璃御前に常にそばで仕える乳母の冷泉(レンゼイ、レイゼンなど読み方はいろいろ)については前々から関心がありました。
冷泉という乳母(もしくは侍女)はこの物語だけではなく、室町物語、古浄瑠璃、説教節の10数作品の中にも登場するからです。
いろいろな姫君に仕えて忙しい人だなあと言いたくなりますが、実は同名異人であって、たくさんの物語に登場しても、同じ女性が遍歴しているわけではありません。
別人でありながら、〈冷泉〉という、決してありふれているとはいえない名前が付いているのでしから、不思議なことです。 
そこで、冷泉と呼ばれる乳母―物語ではサブキャラ―の特質は何かを考察することにしました。
 
冷泉は『浄瑠璃物語』の中では、物語の後半、矢矧(やはぎ)の宿(しゅく)を出た御曹司義経が病に倒れます。
冷泉は宿を訪れた旅の僧の話から義経の現状を知り、それを浄瑠璃御前に伝えました。
そして義経を探しに出る姫に付き従い、吹上の浜に倒れている義経を見つけました。
息を吹き返した義経と姫のために宿を探し求めます。
このように、冷泉は物語の中では浄瑠璃御前に付き従って旅をする唯一の人物として描かれます。
サブキャラクターとはいえ、欠かすことの出来ない存在だったのです。
 
では他の作品に登場する冷泉はどうかといいますと、やはり同様に乳母もしくは侍女として他の女性に比べて際立って重い役割を担っています。
つまり物語の展開上、省略できないモチーフに組み込まれているということです。
 
『浄瑠璃物語』をはじめとして諸作品に冷泉という女性が登場するのはなぜかというと、おそらく、物語上の伝統ということだと思います。
『浄瑠璃物語』の浄瑠璃御前が息絶えた義経を蘇生させる「吹上の段」はそれ単独でも演じられ、人気のあるパートでした。
そこに登場する冷泉もまた重要なキャラクターとして印象深いものでした。
それによって「冷泉」は固有名詞でありながら、「乳母・侍女」の代名詞としての性格を多分に帯びていったと思われます。
ちょうど、落語に出てくる「権兵衛」といえば田舎者、「熊五郎」といえば長屋住まいの職人というイメージが与えられたように。
物語史的にみると、すでにその立ち位置は「侍従」と呼ばれる女性がおりましたが、それが『浄瑠璃物語』の流行によって「冷泉」に取って代わられる流れが派生してきたと推測されます。
 
浄瑠璃御前の乳母の冷泉は、物語を語ること/聴くこと、あるいは読むこと、つまり物語・語り物の受容の中ではぐくまれてきた一種の記号的存在(すでに一定の意味、属性が与えられた名前)であったと思われます。
聴き手/読み手は冷泉の名が現れることで、おのずと姫君の乳母・侍女が登場したと認識したことでしょう。
長きにわたり繰り返し物語が語られていく中で、語り手と聴き手の間に生まれてきた共通認識が成り立っていたわけです。
 
まあこんな話をしました。
いろいろご意見をいただきました。
いずれ文章にまとめたいと思います。
 
はじめての愛媛。
今日は夕方の便で帰宅するので、それまで愛媛県立図書館で本をいろいろ見たいと思います。
 

ワシとスズメ

以前取り上げた『勧学院物語』では、スズメは天皇として君臨し、ヒバリが近臣として仕事をし、セキレイが小姓の役を勤めていました。
では他の作品ではどうでしょう。
 
『鳥の歌合』によると、鳥たちが歌合をするきっかけは、虫たちが歌合を行ったことにあります。
ウグイスの竹林坊によると、鳥獣虫魚の4種は源平藤橘を示すといいます。
 鳥―源氏
 虫―平氏
 獣―藤原氏
 魚―橘氏
それぞれの氏の中で社会が成り立っています。
ウグイスと話し合っていたミソサザイが虫に対抗して鳥たちで歌合をしたいといっても、容易に実施することはできません。
ウグイスは言います。
 
 「かやうのわたくしならぬ御事を、上見ぬ鷲殿を指し置かむ事、思ひもよらず。
  訊き出し給ふこそ幸ひならめ。
  御辺、御披露あれ。」
 
つまり歌合というのは私的な集いではなく、公事の一種だというのです。
それを上見ぬ鷲殿の許可なく行うのはいかがなことか、まずは鷲殿にお伝えなされよと言ってます。
これはすなわち鳥社会を掌握しているのがワシであるから、ワシの意向を窺った上で事を運ばないといけないと判断しているのです。
そもそも「上見ぬ鷲」というネーミングはワシより上はおらず、恐れるものもなく、おしなべてワシの足下にあることを意味します。
鳥社会の王とするに最もふさわしいものといえるでしょう。
 
また『ふくろう』という鳥社会の恋愛物語でもやはりワシが実権を握り、横恋慕の末に家来に命じて美しいウソを殺してしまいます。
 
このように、鳥社会ではワシを頂点とする秩序が妥当なものと思われます。
その意味で、ワシを指し置いてスズメを頂点とする『勧学院物語』は特異な世界観をもっているように思われます。
 
スズメは人間に付かず離れず、人里で暮らしてますね。
かくいう奈良漬は実家にいたころ、よくご飯の残り粒を蒔いていました。
だいたい同じ時間に何羽かやってくるのですが、いつも見ていると、次第に1羽1羽鳴き声に違いがあって、また性格も違うようにみえました。
親子の雀のやりとりもほほえましいものです。
害鳥という一面もありますが、やはりそんな風に接しているとますます親しみを覚えてきます。
 
さて、スズメは古来さまざまな文芸に登場してきました。
すぐに想起されるのは舌切雀でしょうか。
『宇治拾遺物語』には似たような話で腰折れ雀が出てきます。
個人的には落語の「抜け雀」も好きです。
中世の和歌説話に歌人藤原実方が死後雀になったというのもあります(世に言う実方雀)。
 
そんな雀が鳥社会の王として君臨する物語があります。
『勧学院物語』といって、江戸前期に出版された短編物語です。
勧学院といえば、藤原氏の学問所で、そこにいる雀たちは教科書である『蒙求(もうぎゅう)』をさえずっていたといいます。
その諺――勧学院の雀は蒙求を囀る――にちなんだタイトルです。
 
ここに住む雀の地頭殿(じとう・どの)は朱雀天皇の御孫ということで、ヒバリに官位を受領したり、参内した鳥たちを饗応して歌会を開いたりします。
地頭殿は言います。
 
  我はこれ人皇第六十代延喜の帝、第一の御子朱雀院と申すは
  我らがためには大叔父にておはしますゆへに、
  天下の百姓はみな我らが家人なり。
 
天下万民は雀の地頭殿の従者なのです。
それゆえにスズメは米を心のままに食べたり、人の家に巣をかけたりするわけです。
 
さらにはスズメガイによそえて貝も従えます。
 
  雀貝、それがし同名たるゆへ、よろづの貝の類はみな我が百姓なり。
 
このように、『勧学院物語』においてはスズメが最上位の鳥として位置づけられ、世界が構成されています。
普通はワシやタカが一番だと思いますけど、小鳥を一番とするところにこの作品のユニークな世界観を見て取れます。

瓜姫の話

瓜子姫オンリーのホムペがあるのを知ったのは日曜日のことでした。
リンメイさんが運営しています。
 
奈良漬は学生時代に山村を歩いて昔話をいろいろ聴いてまわっておりましたが、瓜子姫の話はあまり聴いた記憶がありません。
しかしかつては広く語り継がれた昔話だったようです。
お伽草子としても同じ内容の物語があり、これを『瓜姫物語』といいます。
簡単にあらましを書いておきましょう。
 
大和国石上(奈良県)の辺に子どものいない賤しい老夫婦が畑で美しい瓜一つを見つけました。
それを桶に入れておいたら、光るほどの姫君になっていました。
姫君は月日を経るに随い才色兼備に育ち、程へて十四、五歳にも見えるようになりました。
その評判は隠れなく、国の守護代が嫁にと申し入れ、姫君を貰い受けることになりました。
ところが嫁入り近くになって、天探女(あまのさぐめ=アマノジャク)が、家からたばかり出してしまいます。
そして遥か遠い木の上に縛りつけられてしまいます。
一方の天探女は姫君になりすまし、嫁入りの行列の輿に乗って木の下を通りました。
すると次の歌が聞こえてきました。
 
  瓜ちごを迎へとるべき手車に
   あまのさくこそ乗りて行きけれ
 
松明をかざして見ると、姫君でした。
そこで、輿の中の姫が天探女だと顕れました。
捕らわれた天探女は大和国宇陀で手足を引き裂かれ、殺されてしまいます。
今、薄の根元が赤く、花の出はじめが赤く色づくのは、その血に染まったためだといいます。
 
かくて姫君を迎えた守護代は若君もでき、楽しみ栄え、翁と姥とは大和国の総政所に任ぜられました。
翁と姥とは若い時から天道に仕えていたので、仏神の計らいで、瓜の中に姫君を宿したのだそうです。

本物語は、「桃太郎」同様、近世以降広く民間にも流布していたようです。
民間説話の昔話と関連する室町物語には『浦島太郎』や『姥皮』などほかにもありますが、しかし誕生譚として見たとき、本物語は孤立的です。
唯一、御伽文庫に収録される小さ子譚の『一寸法師』が類例としてあげられる程度でしょう。
しかし近世も後期になると、奥田頼杖の『心学 道の話』に見られるように「何国の山の奥へ往きても、二才か三才の時に、親がはなして聞かす話」と捉えられるようになります。
さらに作者として、醍醐天皇が幼少の折の夜伽のために菅原道真が作ったという説があらわれるのでした。
鬼面が外れなくなった酒呑童子は寺に身の置き所がなくなります。
さらには山王権現に比叡山から追放されてしまいます。
童子は泣く泣く山をおりて門前町の坂本に出たものの、人に見られては困るので夜まで隠れていました。
親のごとく育ててくれた須川殿ならきっと不憫に思って助けてくれるだろうと思ったのです。
 
さて、夜になって須川殿の屋敷に出向いてみたら、奉公衆が驚きおののいてみんな逃げだしてしまいました。
何事かと外に出てきた須川殿もまた恐ろしい鬼の姿に驚きましたが、退くことなく
「何者か」
と訊ねました。
その鬼は自分が酒呑童子であることを伝えます。
須川殿は話を聴いて、確かに酒呑童子だと認めました。
しかし助けてはくれませんでした。
「いそぎ誠の親の元へ参らせ給ふべし。
 今日より後はみづから夫婦を、父とも母ともおぼしめすな。」
本当の親とは伊吹大明神のこと。
親元に帰れと素気無く追い払ってしまいます。
 
酒呑童子は日ごろ父とも母とも頼んでいる須川殿に捨てられ、泣きながら伊吹山に向かうことにします。
そんな酒呑童子を哀れに思った人がただ一人います。
須川殿の娘で童子の母である玉姫御前です。
玉姫は老僧の姿に身を変じ、童子に住むべき岩屋を教えます。
教えに従い岩屋に着いた童子はそこに留まることに決めます。
 
かくて長い年月をここで送ることになりました。
すると次第に童子は人間離れした神通力を備えるようになり、ついには本当の鬼となって鳥獣はおろか、人間まで襲うようになります。
するとついに比叡山の伝教大師の知るところとなり、日枝七社の神々の力で追い出されてしまいます。
その後、出雲―紀伊―摂津―大和―吉野―尾張―信濃―加賀―駿河―伊豆―相模―常陸―下野―上野―出羽―奥州と経巡り、そのたびにそれぞれの土地の神様に追い出されてきました。
さらに四国や筑紫、中国地方にも飛んで行ったのですが、やはりダメでした。
 
しかし、灯台もと暗し。
京都の北西、丹波の国の大江山は神様がいない山だと気づきます。
ここなら安泰に暮らせるだろうと通力を駆使して城を築きました。
これが大江山の<鬼が城(じょう)>です。
 
かくて、大江山の酒呑童子が京中の人々を奪い、喰らう時代がやってきます。
 
鬼面のはずせぬ童子から本当の鬼になるまでの過程は信頼した人に捨てられ、人々に遠ざけられ、ひどく人間的に傷ついています。
この部分、原文を読むと、けっこうジーンと来ます。
イメージ 1
ここに挙げた巻物は奈良漬蔵『伊吹童子』です。
これは山王権現に比叡山を追い出され、須川殿に会いに行く場面からが残っている残巻です。

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