穴あき日記〜奈良漬のブログ

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お伽草子

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鳥羽上皇の御所に仕えた才色兼備の美女玉藻の前の正体は狐でした。
その身体的特徴について、奈良漬所蔵のお伽草子『玉藻之前双紙(たまものまえのそうし)』を用いて説明しておきましょう。
(漢字片仮名交じりの変体漢文ですが、便宜書き下し文に改めています)

・八万歳ヲ経タル狐有リ。
 長(たけ)七尺ニシテ、尾二ツ有ル狐也。
一尺=約30.3センチとして、体長約212.1センチあります。
そして尾が二本生えているとこのこと。
齢は八万歳ということなので、ほとんど不老不死の妖怪ということができます。

・神通変化ノ物成ル間、見エテハ失セ、失セテハ見エ、左手(ゆんで)右手(めて)ニ飛ビ廻ル。
不思議な能力をもった妖怪なので、消えたり飛びまわったりと巧みに追手を逃れることができるのでした。

・此ノ狐ノ腹ノ中ニ壺一ツ有リ。
 其ノ中ニ仏舎利卅三粒有リ。
狐の腹の中に壺があって、その中に仏舎利、つまり釈迦の遺骨が33粒入っています。
仏舎利を入れる壺なので、そんな大きな物ではなく、小さくて立派な壺ではなかったかと想像します。
お伽草子『玉藻の草紙』は絵巻や絵本で10数点伝わってますけど、どうもこの壺を描いた作品なないようです。

・額ニ白玉有リ。
 此ノ玉ハ夜ヲモ昼ニ照ラセリ。
額に白い玉が埋め込まれていて夜をも照らすほどです。
三眼というわけではなく、電灯の働きをするだけのようです。
人間に変身したとき、体が光り輝いていたといいますが、それはこの玉の効果だったのだろうと思われます。
夜光の玉は神秘の石のようなもので、中国にも夜光の玉のエピソードはいろいろと伝わっています。

・尾ノ先ニ針二筋有リ。
 一筋ハ白シ。
 一筋ハ赤シ。
この狐は2本の尾をもっており、それぞれの尾の先端に針が入っています。
1本は白く、1本は赤いとのこと。
赤白(しゃくびゃく)二色にも何か意味が込められているのではないかと思います。

以上のように、玉藻の前の正体である妖狐は大柄で2本の尾をもち、体内には仏舎利入りの壺があって、両尾の先にはそれぞれ赤白の針が1本ずつありました。
そして隠形(おんぎょう)、飛行の術などによって巧みに追手から逃れることができ、さらに人に化けては8万歳を生きただけあって、人間を圧倒的に凌駕する博識の賢女となるのでした。

玉藻の前のこと

古代の説話集『日本霊異記(にほん・りょういき)』には狐が人間の男と契りを結び、子供を産む話が載っています。
中世以来、『木幡狐(こわた・ぎつね)』や『信太(しのだ)』『いなり妻物語』などの短編物語が作られました。
それらの多くは絵本や絵巻に仕立てられました。
これらはどちらかというと、人間に悪意を持たない狐の物語。

その反対に、その美貌で男を惑わし、国を傾ける女狐もいました。
日本では平安時代、鳥羽上皇の御所に仕えた玉藻の前が最も知られます。
やはり絵巻や絵本、芸能の題材になってきました。

玉藻の前は天下無双の美人で万事に精通する日本一の賢女でした。
菩薩の化身(けしん)とみなされ、また身体から光りや芳香を放つので玉藻の前と名付けられました。
ところが、ある時、上皇が病んだので陰陽師に占わせたところ、玉藻の前の仕業と知れてしまいました。
陰陽道の主神泰山府君の祭のときに正体が露顕して逃亡しますが、ついには弓の名手三浦義明・千葉常胤によって退治されてしまいます。
その正体は栃木の那須野に棲む800歳を経た2本の尾を持つ妖狐だったのです。
もともと古代インドの班足太子をたぶらかして999人の王の首を切らせようとし、狐の姿となって仏敵として世々を経ることになり、さらには中国周王朝最後の幽王の后となって国を滅ぼし、日本に渡ってきたのでした。
この妖怪は日本の王になろうと企てていたわけです。
あたかも第六天の魔王のごとし、である。
しかしその執念は那須野に残り、飛ぶ鳥をも落とす毒気を発する石となりました。
これが名高い殺生石(せっしょうせき)で、のちに高僧に浄化されますが、今でも那須町に残っています。

なお、玉藻の前はもともと2本の尾の妖狐ですが、後世、九尾の狐としても描かれ、今日では九尾の狐としてのほうが知られています。

義明・常胤は妖怪退治の英雄としては知名度が低いですが、玉藻の前退治の一件は、後世、武芸の一つ犬追物(いぬおうもの)の起源説話となって語り継がれることになります。


狸は人間に変身するとき、頭に木の葉を載せて一回転するとドロンと人間になる様子がよく描かれます。
マンガの『犬夜叉』などでも見られるから、今でもそれが常套手段と考えられているようですね。
それに対して狐は骸骨や水草を頭に載せるというのが古くから見られる手法です。
が、現代のアニメやマンガではあまり見かけないですね。
最近では波津彬子『幻想綺譚2 玉藻の前』(原作・岡本綺堂)というマンガでその様子が描かれています。
ただし狐→人間の変身場面とは違って、何か祈っているような場面なので伝承とは違う独自の解釈をしているみたいです。

水草=藻というのが玉藻の前の由来になっているのかも知れません。

平将門の食事マナー

去年、平将門の食事のエピソードをちょっと紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/1538824.html

室町時代の物語作品『筆結物語(ひっけつ・ものがたり)』の中に次のようなことが書かれています。

 平将門はなぜ滅びたのか。
 それは湯漬の飯粒を捨てたからだ。
 だから飯粒は残してはいけない。

ごくシンプルなエピソードですね。
ご飯粒を残してはいけないという教訓の根拠として将門の話が引かれているわけです。
ご飯を食べてすぐ寝ると牛になるぞ、みたいな感じで使われたものでしょうか…。
これは当時巷間に広まっていたものなのか、何かしかるべき文献に拠ったものなのか、定かではありません。

ところで将門の食事のエピソードはこれだけではありません。
室町時代の料理書に『世俗立要集』というものがあります。

食事の作法として、
・食べ物を盤台に食い散らかしてはいけない
・果物の種や皮を板敷にも庭にも投げ捨ててはならない
・主人の前では食べかすなどは畳紙(たとうがみ)に入れること
・畳紙のないところでは、一ヶ所にまとめておくこと
など書かれています。

そうした中、次のエピソードが載っています。

 将門が湯を飲み残したるを、
 庭にしやくと捨てたりけるをば、
 王相無しとはしけり。
 湯を飲み残して庭に捨つる事は、
 心劣りする事なり。 

平将門が湯を飲み残して庭に捨てました。
それを見た人が、将門に王の相がない、つまり王の器にあらずと判断したとのことです。

では誰が将門に王相なしとみたのでしょうか。
おそらくこれは藤原秀郷ではないかと思われます。
秀郷が将門のもとに訪れて、その様子を見て王の器ではないと判断する場面は『俵藤太物語』をはじめ諸書に見えます。
そうした故事を踏まえて食物作法の悪しき先例であるこのエピソードが派生してきたのではないかと想像します。
この点、今後の調べていきたいと思います。

そういえば、僕の祖父(10年以上前に亡くなりましたが)もよく湯呑みのお湯やお茶をよく庭に放っていたなあ…。
だから王になれなかったのか!

お伽草子『隠れ里』

お伽草子に『隠れ里』という作品があります。
別名『恵比須大黒合戦(えびす・だいこく・かっせん)』。
 * * *

ある人が仲秋の月夜に木幡(こわた)の野に行くと、とある穴の中から人声が聞こえてきました。
「もしや、これが鼠の隠れ里?」
と思って入ってみると、鼠たちが餅つきなどしてました。
たしかに鼠の隠れ里だったのです。
そうこうしていると、外から飛び込んできた鼠がいました。
こういう事情でした。
恵比須の供え物を盗み食いした子鼠が狛犬に追い立てられて古井戸に転落しました。
その仇討に、沢山の鼠たちが恵比須の大切にしている茶道具を壊してしまいました。
怒った恵比須は狛犬を大黒天のもとに遣わしました。
大黒天は打ち出の小づちで茶道具を出したものの、恵比須の怒りは収まらず。
ついに恵比須対大黒の臨戦状態にはいりました。
これに狛犬と鼠がそれぞれの陣に参加。
そこへ布袋が仲裁に入って無事解決。
みなで酒宴を開いたそうな。

 * * *

さて、この作品はお伽草子(室町時代物語)ではありますが、成立は江戸前期に下るようです。
おもに絵本や絵巻のかたちで伝来しています。
鼠や狛犬など動物が餅を搗いたり、甲冑姿で描かれたりと、実に面白い作品です。

本作品について、<異類の会>という小さな勉強会で取り上げます。
ということで、ちょっと宣伝をかねて記事にしました。
「『隠れ里』に見る擬人化とパロディ構造』」
http://irui.zoku-sei.com/
ご関心のあるかた、歓迎します。

室町時代のフキノトウ

今、注釈を付けているお伽草子『筆結物語(ひっけつものがたり)』は3匹の狸が上洛して白比丘尼(八百比丘尼)と問答をする作品です。
なぜ上洛するのかというと、自分の住む丹波の山奥では、新春を迎えてもまだ雪深く、蕗の薹(フキノトウ)が出ない。
でも京の都ではすでに町で売られているに違いないと考えたわけです。
 
そもそも蕗の薹は初春から花を咲かせるものなので、長い冬が終わり、春の到来を告げるものとして喜ばれました。
そこで初春の料理にも出されます。
狸の一族の新年会の席上、伯父の狸から今年は出ないのかと不満が出たので、主人公の狸が二人の身内を伴って上京した次第です。
 
で、問題は狸たちの新年の集いに出された蕗の薹は、どのように調理されたものなのだろうかということです。
室町時代の料理本は残っているには残っていますが、まだちゃんと調べたわけではありません。
が、全然記述がなかったらどうしよう(汗)と思うわけです。
今ならいろいろ食べられるし、大きな葉っぱまでも天麩羅とかにして食べてしまうことがあります。
では室町時代はどうか。
まあ、蕗の薹というから、茎の部分を食べていたんでしょうけど、どういう味付けをして食べたものか???
これから調べてみます。
 
ちなみに江戸中期の大学者貝原益軒は『菜譜』という本で、こんなふうに記述しています。
 
「京畿には畑に植う、もつともよし。
 花は臘月(=1月)より生ず。
 生にてすりて、みそに加へあたためて食す。
 味よし。
 塩づけ、味噌づけもよし。」
 
自生しているものでなく、栽培されていたことが分かります。
また味噌を使って食べるなり、塩漬け、味噌漬けもあったということで、今日とそう変わってないみたいですね。
で、塩漬けって今でもたべるのかなあ…。
作ってみることにしますw
 
手もとにある本では、大正時代の『新しい婦人の常識』という実用書に、「蕗の薹煮」の作り方が載っています。
 
「蕗を熱湯でサツと茹でて水にひたし、皮をむいて適宜に切つてから鍋に入れ、鰹節の煮汁(だし)に砂糖をほどよく加へて中火にかけ、煮汁が半分ほどに減つたとき、醤油を加へて味加減をし、も一度煮沸して鍋をおろします。
 蕗の葉は茹でて胡麻油で炒つて食べます。」
 
随分進化したなあという感じですね。
ともあれ、これも作ってみたいと思います。
でも蕗の葉って普通に売ってるもんなんですかね。
スーパーで見かけたことがないのですが、やはり自生しているものを見つけてとってくるしかないのかもです。
 
話は大幅にそれましたが、蕗の薹の食べ方を記した古い文献を探さなくてはいけないなあと焦っている奈良漬でしたw
 

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