穴あき日記〜奈良漬のブログ

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妖怪・怪異

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鬼の整理

日本の古典文学に見える鬼は、仏教的見地からすれば、3種類に区別できるのではないかと思われます。

1つは地獄にあって閻魔王の支配下にあるもの
2つは仏菩薩の管理外にあるもの
3つは仏菩薩と敵対するもの

まず1つ目はいわゆる獄卒です。
人間からすれば至って恐ろしいものですが、しかし仏菩薩には頭が上がりません。
人間を恐怖せしめ、かつ懲らしめることができる存在です。
だから人間に悪事をさせないよう抑止の役割を担っています。

しかし、閻魔王に絶対忠実な使い魔かといえば、そうではありません。
たとえば古代の説話集『日本霊異記(にほん・りょういき)』にはこんな鬼がでてきます。

閻魔王に命じられて死ぬべき者を迎えに現世に来たのですが、腹が減ってなりません。
そこで人間は鬼にご馳走を振舞い、かわりとして死を免除してもらうよう契約します。
冥界に戻った鬼は、王に偽りを言って死をまぬかれさせようとするのです。

ここに見られる鬼は閻魔王の部下に違いありませんが、しかし自分の都合で偽りをなす点、不実さを見てとることができるでしょう。
この鬼は結局どうなったのか…。
実は王のほうが一枚上手で、嘘がバレて懲罰を受けることになります。
しかし鬼は懲罰込みで人間と契約してご馳走にありついたのでした。
人間にあらかじめ読経を約束させておいたので苦しみをまぬかれたのです。
経典読誦の功力は伊達でなく、鬼でさえも救済するのでした。
こうして、仏力の庇護下にあることを計算済みで悪事を働くところに、なんだか小ざかしさというか、人間らしい小悪党ぶりがみえるではありませんか。

こうしたユーモアのある鬼の姿は、中世に下ると影の薄れていくことになります。

鬼の周辺

鬼は変化自在の能力を持つものとして『日本霊異記』や『今昔物語集』に見られました。
そこで気になるのは、そもそも鬼は妖怪なのか幽霊なのかということです。

妖怪と幽霊との厳密な区分は不可能と思われますが、ある程度は枠組みが作れます。
柳田国男によると、妖怪は出現場所が決まっており、時間も黄昏時。
不特定の人間に何かしらの交渉を企てます。
一方、幽霊は怨念などの意志に基づいて特定の人間を狙っており、個人的な因果関係を持っています。
出現する時間は大抵丑三つ時。
ついでに、妖怪は人間の形にとどまらず、さまざまな形態で存在していますが、幽霊は人間が結果としてなった存在です。

さて、鬼はどちらだろうかと考えてみると、妖怪でもあり、幽霊でもあるということになります。

前回、前々回に紹介した『今昔物語集』に見える橋の上の鬼は、特定の場所(橋)に出没する点で妖怪の特徴を備えています。
しかし反面、標的とした人物をどこまでも追って、ついに取り殺してしまう点で幽霊の特徴も備えています。
そう考えると、妖怪と幽霊とをはっきり区別するのは無理だし、そもそも無理して区分する必要があるかどうか…。
宮田登は「幽霊はむしろ妖怪の属性の一つになっていると考えるのがいいのである」と述べていますが(『妖怪の民俗学』)、僕としてもその見解に賛同したいと思います。

とはいえ、妖怪の性格の強い鬼と幽霊の性格の強い鬼とは目安として付けられるだろうと思います。
地獄や異界に存在する鬼ははじめから異形の魔物です。
異界をより現実的に捉えた異国の住人もまた鬼の形相で描かれます(『蒙古襲来絵巻』など)。
しかし人間に由来する鬼は、怨念の果てに鬼となったわけなので、動機としては幽霊とかわりません。
それが人間離れしていって、ついに人間らしからぬ部分――角・牙・鋭利な爪・大きな口など――が成長していきます。

死霊が鬼になるという考えは、『日本霊異記』の昔から近代まで連綿と続きます。
泉鏡花『草迷宮』(明治41年)にも「こりや死霊の祟がある。此の鬼に負けては成らぬぞ」という一節があります。
祟りをなす死霊のことを鬼と言い換えているわけです。
『万葉集』には「鬼」と書いて「もの」と訓ませるものが散見されます。

モノが鬼の形相を表して、特定の人物から、果ては不特定の人々にまで悪事をなすようになることがあります。
菅原道真、崇徳院、藤原広嗣などが著名ですね。
彼らは祀られることで逆に人々を守護する神に転生しました。
妖怪と神との間は意外に近いということでしょう。

前回の記事に挙げた鬼は、その後、武士の家にまでやってきます。
男は陰陽師の占いに従って、よくよく慎むように心がけていたものの、弟の姿に化けた鬼によって殺されてしまいます。
殺害後の様子――。

弟は屋敷に入って兄を押し倒し、首を食い切って落としてしまいます。
そして立ちあがって軽やかな足取りで地面におり、去り際に振り返って兄嫁に向かって
「うれしく」
と言って、ふと消えてしまいました。
その顔はもはや弟のものではなく、橋で見たという鬼の相貌でした。


さて、その鬼の姿はどんなだったかというと、次のようでした。
・顔は朱色で円形
・目は1つで琥珀色
・身長は9尺
・手の指は3本
・爪は5寸ばかりで刀のように鋭利
・肌の色は緑青色
・頭髪は蓬のように乱れている

その能力としては、女や男など、自由自在に変身できます。
その武士の弟に変身しているので、関係者の記憶を読みとる能力もあるのかも知れません。
あるいは、弟であるという暗示をかけていたのでしょうか。

それから前回書いたように、この鬼は、一旦、人里に入った武士から離れていったわけです。
しかしその後、武士の家を突き止めてやってきました。
ターゲットを探査する能力に長けているということかも知れません。

そういえば、渡辺綱に片腕を切られた鬼が、後日、綱の母親に変身して家を訪れ、切られた腕を奪い去ったということがありました。
これもまた、この話に登場する鬼と同じく、関係者を惑わすだけの変身能力を発揮し、ターゲットを探査していました。

『今昔物語集』に油瓶(あぶらがめ)に化けた鬼の話が載っています。
本文中では鬼は「物の気」と記されています。
その物の気について、次のように説きます。
「かかる物の気は、さまざまの物の形と現じてあるなりけり」

物の気を鬼という点で、後世の鬼とは異なる概念であったことがうかがわれます。
その物の気は自由自在に姿を変え、場合によってはただの人間ではなく、ターゲットとなった人物の関係者そっくりに身を変える能力も持っている、誠に高度な知性を備えた存在だったといえるでしょう。

橋の上の鬼の話

鬼の話が収録されている作品で、内容といい文章といい、古今最も豊かなものは『今昔物語集』だと思います。
原文を咀嚼してこそ味わえる魅力というのは、どんな作品にもありますけれど、この作品は殊のほか、それを実感させてくれます。
古代から近世にいたるまで、いろいろな作品を濫読してきました。
しかし結局、誰でも知っているこの作品に回帰してきました。
そのへんの読書経験を通して、古典の魅力とはどういうものか、なんとなく見えてきた気がします。

さて、『今昔物語集』には多種多様な鬼が出てきます。
基本的に鬼は人間を襲って食べてしまう恐ろしい魔物ですが、その形態や能力はさまざまです。

雷電とともに現れて人間を食べて去っていく鬼、
男に変じて女と語らって食べてしまう鬼、
橋の上で女に変じて通行人を取り殺す鬼、
板に変じる鬼、
油瓶(あぶらがめ)に変じる鬼、
山中一軒屋に住む老女に変じて泊り客を食い殺す鬼
などなど、ほかにもいろいろさまざまです。
内裏から盗んだ琵琶を羅生門で弾いてから返却した風流な鬼などもいます。

中でも気にいっているのは、橋の上に現れた鬼の話です(第27巻第13話)。

ある武士が肝試しに、渡ろうと踏み入れると渡り切れないという橋に行くことにしました。
この橋はその噂のために、今では通る人がいない橋です。
周囲は人気もない人里離れたさみしい雰囲気が漂っています。

さて、橋が近づいてきたので、男が馬上からその橋を見やると、人が立っているのが見えました。
男は不審に思います。
 ―橋はまだ遠くてはっきり見えないはずなのに、女が立っているのが分かる…
  それも服の柄まで。
  これが鬼なのだろう。
女は口を押さえて苦しそうにしています。
男は自分の非情さを知りつつも、鬼ではないかという疑いもあったので、そのまま通過しようとします。
すると女は
「なぜ情けなくも通り過ぎようとなさるのですか。
 どうか人里までお連れください」
と訴えます。
その声に男は非常な恐怖を覚えて馬を走らせます。
すると女は
「なんて情けない!」
と地を響かせるような恐ろしい声で言葉を発しました。

男はやはり鬼ではないかと驚き、観音菩薩に救いを求めながら、懸命に馬に鞭打って走り続けます。
振り返ると、鬼が馬の尻に手を引っ掛けて止めようとしています。
しかしあらかじめ馬の尻には油を塗っておいたので、ぬめって掴めません。
男はどうにか鬼を振り切って橋を渡り切りました。
しかしまだ鬼は追ってきます。

男を乗せた馬が人里に馳せいるときに、
「いずれ会うことになるだろう」
と、鬼は言葉を残していきました。


その後日譚もありますが、省略。
両話併せて『今昔物語集』の中でも出色の長編説話になっています。

古代の興福寺の鬼

先日、『日本霊異記(にほん・りょういき)』に載っている鬼のことを記事にしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/14915425.html

女のもとに通って来る裕福な男が初夜に女を食い殺したという話です。
本文中では〈鬼〉と明記されていませんが、タイトルに〈悪鬼〉と記されてるものでした。
正体は知れないのですが、人間を食い殺す得体の知れないものを〈鬼〉と捉えていたわけです。

この説話集は実に面白いもので、このほかにもいくつか異なる属性をもった鬼が登場します。
たとえばこんな話もあります。

奈良の興福寺の鐘つき堂には夜ごと鬼が現れ、鐘つきの童子を取り殺すという怪事件が起こりました。
そこで、とある力持ちの童子が、
「私がその鬼を退治しましょう」
と名乗り出ました。
僧たちの許しを得て、童子は鐘つき堂の四隅に燈火を灯し、仲間の童子4人に言います。
「私が鬼を捕えた時、燈火にかぶせてある蓋を開け」
明かりが堂内を照らさないように、燈火に覆いをかぶせておいたのでした。

さて、かの童子は堂内の戸のあたりにいて鬼の来るのを待ち構えていました。
すると真夜中に至ってついに大きな鬼が入ってきました。
童子はすかさず鬼の頭髪をつかんで引っ張りました。
外に出ようとする鬼を内に引きずり入れますが、かねてより待機していた仲間の童子たちが怖じ恐れて役に立ちません。
仕方なく堂の四隅の燈火の蓋を自分で開けることにしました。
鬼は抵抗むなしく童子に引きずられるばかりです。
そうこうするうちに夜明けの頃に及び、ついに鬼は自分の髪の毛を引き剥いで逃げてしまいました。

日がのぼり、童子は鬼の流した血をたどっていくと、死者を埋めた場所に至りました。
そこはかつて興福寺で奴婢として使われていた者の墓でした。
その男は悪人でしたが、死後は成仏せずに鬼となって寺の子どもたちを取り殺していたのでした。


この話によれば、人間が死んで鬼となるということがわかります。
外見的には、人間よりも大きいこと、頭髪があることくらいしかわかりませんが、イメージとしては、80年代のアメリカのホラー映画に出てくるゾンビとかバタリアンっぽいもののようです。
それを指して古代の日本人は鬼と呼んだのでしょう。

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