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鬼の話というのは、平安時代にはさまざまな話柄で内容豊かに語られていました。
印象ですが、時代が下ると、鬼は型にはまったキャラクターになっていくようです。
そのかわりに別の性格も出てくるものですけど。
いろいろ面白い話がありますが、中でも気にいっているのが9世紀前半に成立したといわれる『日本霊異記(にほんりょういき)』にあります。
聖武天皇の御代(724-748)、国中で流行った歌がありました。
汝(なれ)をぞ嫁に欲しと誰(たれ)
あむちのこむちの万(よろづ)の子
南無南無や
仙(やまびと)さかもさかも
持ちすすり
法(のり)申し
山の知識
あまにしあまにし
大和国十市郡庵知(あむち)の村の東のあたりに、鏡作造(かがみつくりのみやつこ)という、とても裕福な家がありました。
そこの一人娘を万(よろず)の子といいます。
この娘は美しいことで知られ、高貴な家柄に求められることもありましたが、まだ嫁がずにおりました。
ある時、万の子のもとに絹織物などの品々を3台の車に乗せてやってきた男がいました。
娘も気にいり、その日のうちに親しくなっていきました。
そして初夜の晩に及んだのです。
「痛い」
と言う万の子の声が三度したのですが、父母は初めてだからだろうと推し量り、そのまま寝入りました。
翌朝遅く、親は女中を遣わして万の子を起こそうとしました。
女中が何度も戸の前で呼んでも何も音がしません。
不審に思ってそっと開けて覗いてみると、万の子の頭と指1本が床に転がっていました。
駆けつけた父母が驚きおののいていると、みるみるうちに、絹織物は獣の皮に、運んできた3台の車は木に変わっていきました。
いつしか、怪事を聞いた人々がこの家の周りに集まっていました。
万の子の頭は舶来の美しい箱に納めました。
その後、万の子の歌が巷で歌われるようになりました。
この話のタイトルは「女人、悪鬼にしられて食らはるる縁」というものです。
悪鬼とありますが、本文中には鬼の仕業とは明記されていません。
ただ、最後にこの怪事を「神怪(しんげ)」とも「鬼啖(きたん)」とも言うとあるのみです。
つまり神の不思議な所為とも、鬼が食べたのだともいうのです。
どちらにしても、男が何者かは知れず、後に人々がそう解釈したに過ぎません。
結局、タイトルを見ると、編者は「鬼啖」を採ったのでしょう。
だからその男の正体を「悪鬼」と捉えたわけです。
この時代の鬼というのは、このように原因不明の怪異をなすもの全体を包括するような漠然としたものであったようです。
角や牙があって、虎のふんどしをして、体の色が赤かったり青かったりする、そういうステレオタイプの鬼はまだ形成されていませんでした。
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