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人間が蛇になる例は、近世、怪談集が流行るようになって増えてくるようです。
それ以前で鎌倉時代の仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』所収の「妄執によりて、女、蛇(じゃ)と成る事」がよく知られる話です。
内容はタイトル通りですねw
鎌倉の若宮八幡にいるお稚児さんに恋をした娘が病気になります。
恋の病ですね。
それで親がその稚児に頼んで娘のもとに通ってもらうことにします。
でも気がないために、次第に疎遠になってしまいます。
すると娘はふたたび病がちになり、ついに死んでしまいました。
しばらくして稚児も狂死しました。
稚児の棺には蛇がまとわりついていたのですが、一緒に葬りました。
娘のほうは、骨が小さな蛇になったり、蛇になりかけたりしていました。
これは執着愛念の強いゆえだそうです。
これと似た話は、道成寺の縁起ですね。
安珍という美しい僧に恋をした清姫が、逃げた安珍を追っていく中に大蛇に変貌していく様が絵巻に描かれています。
これも愛執ゆえでしょう。
もう1つ、面白いのは鎌倉時代の説話集『古今著聞集(ここん・ちょもんじゅう)』に収録されている話です。
白拍子のもとに通う男をねたんだ本妻が生霊になります。
その霊は蛇となって夫の陰部に食いついてしまいます。
蛇は食いついて離れず、夫は焦ります。
どうにか刀で殺したのですが、心身が止んで廃人になってしまった。
一方、本妻もその晩から病んで死んでしまいました。
いずれにしても、蛇は妄執の権化とみられるもので、とくに女が男に対する愛執から離れずにいると、生きていても、また死んでからも、蛇に化して相手を取り殺そうとします。
相手を思って死ぬことを〈思い死に〉といいますが、思い死にされると相手は取りつかれて不幸な目に遭います。
これが実体化すると、蛇の姿になると考えられたのでしょうか。
しかし男が蛇になるケースは稀なので、蛇身は女身と切っても切れないものなのでしょう。
『法華経』に見える龍女成仏のエピソードが印象深いためかも知れません。
ただ蛇と女の結びつきは、そのように仏教的な考えに依拠するものか、それとも普遍的なものか、ちょっと分かりませんが。
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