穴あき日記〜奈良漬のブログ

『熊楠と猫』発売中!/ツイッターID:@NarazakeMiwa

妖怪・怪異

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

鵺や土蜘蛛のことなど

古代中世の日本に現れた動物系の妖怪として主要なものをいくつか挙げます。

鳥の類ではなんといっても鵺(ぬえ)でしょう。
『平家物語』などには平清盛や源頼政が退治したというエピソードが載っています。
どんな姿かというと、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎というものでした。
『源平盛衰記(げんぺい・じょうすいき)』などでは、背は虎、尾は狐、足は狸で、鳴き声は鵺であったとあります。
これを普通鵺といいますけど、鳴き声が鵺であると記されていますから、江戸時代の文人朝川善庵が指摘するように、頼政が退治したのは鵺それ自体ではなく、名称不詳の怪鳥ということになります。
というか、これを怪鳥、つまり鳥の一種とみなしていいかどうか…。
ともあれ、この鳥は子の刻過ぎに現れた黒雲の中に潜む魔物でした。


獣としては、妖狐のエピソードは山ほどあります。
日本だけでなく、中国にも散見されるところです。
これについては、以前ちょっと記事にしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/9203673.html
狐に比べて、化け狸の話は、中世ではまだ少ないのですけど、ないわけではありません。
室町時代の『十二類絵巻』には十二支の動物たちに復讐するために、狸が鬼に化けています。
とはいえ、これはまだまだ稀なケースといえます。

古代から多いには蛇ですかね。
三輪山神話に見られるように、神を蛇の姿で描くことは多くの例があります。
その一方で人間の女が執念から蛇に化す道成寺縁起(安珍・清姫の物語)も生まれます。

このほか、土蜘蛛も有名なところ。
 土蜘蛛退治がおこなわれたのは古代のことで、中でも源頼光の退治譚が有名です。
頼光と渡辺綱が蓮台野で空飛ぶ髑髏の後を追って神楽岡に至ると、290歳になる老女の住む古屋があり、続いて異形異類の物どもや容色美麗の女の妖怪があらわれました。
女を切り付けた太刀には白い血がついており、血痕をたどると件の老女の住む古屋に戻りました。
さらにたどっていくと今度は洞窟があり、そこに大きな蜘蛛がいました。
正体を見た頼光・綱はその首を刎ねて退治したのでした。
蜘蛛の腹からは1990個の生首が出てきて、更に人間の子供くらいの小蜘蛛が無数に走り騒いだのですが、最後は首を穴に埋め、古屋を焼き払って一件落着しました。

土蜘蛛の姿は一定していません。
大蜘蛛として描くもの、二足歩行で左右に2本ずつ腕のあるものを正体とし、また頼光の前に現れる姿は女だったり、掌から糸を放つ僧の姿だったりします。

近世にくだると、妖怪のイメージが驚くほど多種多様になります。
たぶん、それは妖怪が単なる恐怖の対象ではなく、イメージを膨らませて楽しむ娯楽の対象としても見られるようになったからではないかと思われます。

未分化な鬼

最近は、必要あって、妖怪のことばかり考えています。
妖怪を発生させる心理面ではなく、古い時代の妖怪の諸相をいろいろ考えてみています。
とくに日本の妖怪を一言で括れる概念はないだろうかと思うのですが、なかなかそう簡単ではありません。
でも、おそらく我が国の特色だろうと思われるのは、古代中世の妖怪は<鬼>という概念で捉えることができたのではないかということです。

鬼には、人間との交渉/没交渉を問わず、厳然と存在する類がいます。
異界(地獄を含む)・異国に生息します。
それが人間を捕食したり襲ったりしに、人間界に出没するわけです。
彼らは実に多様な形態であり、また変幻自在でもあります。
古くは『今昔物語集』に見える百鬼夜行の記述、また中世の『百鬼夜行絵巻』の描写から十分知られるところです。
その一方で、人間が存命中、あるいは死後に化す類もいます。
これはもとより人間界の所産ということです。

つまりはじめから妖怪然とした鬼もあれば、限りなく人間に近い鬼もあるわけです。
後者は現代人のイメージからすれば幽霊といったほうが正しいでしょう。
でもそうした類もひっくるめて、かつては鬼と称したわけです。

妖怪という概念が成立する中で、幽霊との違いが意識され、両者を未分化で内包する鬼という概念は、次第に妖怪の範疇へ押しやられていったということでしょうか。
そうして、近世に赤鬼やら青鬼やら、虎の毛皮やら、棍棒やら、特定のイメージに固まっていったのかも知れません。
一方の幽霊は幽霊で、死に装束を着て、足がなくて、「恨めしや〜」と怨念を現世に残し、妖怪化せずにどこまでも人間の形態にとどめる存在として、すなわち霊の一種であって鬼の一種ではないというイメージに固定していったということでしょうか。


鬼の研究はいろいろされていますが、そういう先行研究を考慮しないで自由気ままにちょっと考えてみました。

中世の天狗の一面

仏敵という性格をもつ妖怪として重要なものに天狗がいます。
天狗はもともと優れた僧侶がなることが多かったようです。
なぜ天狗になるのかといえば、自分の才覚に増長して慢心を起こし、仏を敬う心を失うからといわれます。
前回取り上げた鬼と同様、やはり仏の道から外れていって敵対する立ち位置を取るようになったわけです。

中世の軍記物語『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』には天狗に類する天魔についての解説が見えます。
天魔というのは一般に第六天の魔王のことだなどと言われますが、中世には天狗の別名としても使われました。
奇怪な出来事や不穏な事件が発生したりすると、「天魔の所為か」とか「天狗の所為か」とか、そう解釈されます。


まず、天魔がなぜ仏法を妨げるのかというと、通力を得た畜類だからです。
その天魔には3種類あります。
1)仏の教えを信じない驕慢な智者が死後「天魔と申す鬼」となります。
2)天狗の業が尽きてのち、波旬(はじゅん)となります。
3)驕慢無道心の者は必ず天狗になりますが、本人は気付きません。
 人に勝ろうという心が天狗を呼び寄せ、自らを蝕んでいきます。
 これを魔縁といいます。

このように、もともとは人間でしたが、魔縁に誘われ増長していき、仏の教えから離れるなかで、結果として死んで天狗になってしまうのでした。
『源平盛衰記』では「天魔と申す鬼」と書かれています。
つまり、天狗もまた鬼の一種として捉えられているわけです。
死霊が鬼と化す例は多いのですが、その中でも生前智者であったものが増上慢を生じて、鬼でも特に「天魔」(=天狗)と呼ばれるようになるということでしょう。


なお、天狗の姿は、古いものでは『是害坊絵詞(ぜがいぼう・えことば)』などに見られます。
翼があって嘴のある僧形の天狗、
長鼻だがそれ以外これといった特徴のない天狗、
など現代とは随分違います。
赤い顔で鼻の長い天狗は近世まで待たなくては出てきませんでした。

酒呑童子の周辺

仏のもとで働く鬼や人間を食べる恐ろしい存在だが仏の力に屈する鬼がいる一方で、仏に屈しない鬼も当然います。
酒呑童子(しゅてんどうじ)がその最たるものでしょう。
仏の力を知りながら、それに敵対する立場をとっているわけです。
構図的には完全に悪役となります。
だから仏の助力を得た人間に退治されることになります。

前回取り上げた鬼などは観音を敬い、敬語を用いて食料となる人間を下げ渡してくれるよう懇願していました。
こういう鬼を仏敵と言えるかと言えば、ちょっと違うでしょう。
人間に害をなすには違いませんが、仏道を敬っているのですから。

しかし酒呑童子のような鬼は仏に敵対する立場にあるわけです。
仏力を示されて恐れることなく、歯向かって来るところは身の程知らずというべきか、大胆不敵というべきか、ともかく驚くべき生き方をしています。


ところで酒呑童子はもともと伊吹童子といって、伊吹山に住んでいました。
伊吹大明神が追放したので、童子は比叡山に移り住みました。
しかし伝教大師最澄と山王権現が鎮護国家の寺(延暦寺)を建立するに際してまた追い出されてしまったのでした。
かくて大江山に大御殿を立てて我が物顔に世を過ごすことになったのでした。

このように、仏や神とはもともと相容れない存在だったのです。


もともと人間であったものが鬼に化していくということがあります。
後妻に嫉妬して鬼の面を付けたらそれが剥がれなくなって鬼になった女、
恨みの念が増して人を呪詛しつづけて鬼になった女、
などいます。
人を恨んで生霊となった女が鬼の形相で相手の前に現れるのは、『源氏物語』の昔からあったこと。
こうした負の感情は仏の教えに反するものであり、結果として仏に相容れない存在に移行していくことになります。
そこで鬼に変化していくわけです。
人間が鬼になるのは怨念や憎悪といった暗い思いを深めていった果てになるのでしょう。
時には生きながら、時には死んだあと。
六条の御息所や肉付面、菅原道真、崇徳院などなど。
吉野山には4、500年も昔に人を恨みを残したために鬼となって生き続けることになった者もいました(『宇治拾遺物語』)。
仏の教えから離れていってしまった結果、こうして鬼になった人々がいたのでした。

再び仏の教えに接して浄化される鬼もあれば、酒呑童子のように人間を捨て、完全な妖怪となって仏に敵対して消えていった鬼もありました。

仏の下僕のような鬼―獄卒―や、仏を恐れるが人間を襲う鬼はもとより人間が鬼化したものではなく、一種の妖怪と捉えられます。
しかし仏に敵対し、また仏から離反している鬼は、人間が鬼化したものが多いようです。
その中で酒呑童子のように妖怪化するものもあれば、再び仏道に帰依して鬼から人間へ、または霊へと戻っていくものもあったわけです。

仏の力と鬼

『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などを読むと、鬼がたくさん出てきます。
基本的に人間を襲う魔物です。
われわれ人間から見たら恐ろしいこと、この上ない存在といえます。
そんな鬼でも頭が上がらないのは、仏菩薩であり、仏経です。

鬼に追われた男が、観音菩薩を念じることで、鬼から姿を隠すことができ、
鬼の宴の場に出くわした僧が、不動菩薩の呪を唱えることで、鬼からは不動尊像に見させ、
同じく百鬼夜行に出くわした男が、不動菩薩の呪を唱えることで、鬼からは不動尊像に見させ、
山中で鬼に追われた男が、仏に救いを求めたことで、ほどなく人里に出ることができ、
などなど、枚挙にいとまがありません。

とある男が肥後(熊本)の山中で鬼に追われることになりました。
鬼はまず乗ってきた馬を食っていたので、その間、男は逃げ去りました。
しかし、食い終えた鬼は再び追ってきました。
男は穴を見つけてそこに隠れ潜むことにしました。
「観音助けたまえ」
と心に念じながら、男はおびえています。
しかし、隠れているにも関わらず、鬼は近づいてきます。
「これは今日のわが食に当たるものだ。
 それなのに、どうしてその者を召し上げて我にくださらないのか」
鬼は突然そんな不満を口にしました。
どうしたことかと男が思っていると、別の声が聞こえます。
「これはわが食に当たるものだ。
 与えるわけにはいかない。
 お前はさっき食べた馬で十分だろう?」
一瞬、救われたと思いましたが、どっちにしろ、食われてしまうのかと、男は絶望しました。

――観音を念じても何にもならない。
  これも前生の報いであろう…

鬼はこの間も穴の周りをうろうろして、何者かに男を引き渡してくれるように訴えていますが、聞き入れてもらえません。
ついに嘆きながら帰ってしまいました。
実は鬼と交渉していた者は観音菩薩だったのでした。


このように、鬼は人間にとって恐ろしいものではありますが、仏力に敵わない存在として考えられていました。


.
奈良漬
奈良漬
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
友だち(2)
  • 太陽求めポチが行く
  • トーヤ
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事