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昔の福島の山村にはどんな職業の来訪者がいたのでしょうか。
このブログで何度か記事にした会津万歳がまず挙げられますが、これは決まった時期に訪れる芸能者ですね。
昭和30年ころまではけっこう各地に来ていたみたいです。
これは太夫と才蔵の二人組で、正当な会津万歳。
これに対して一人で来る万歳もいました。
一人万歳といって、近年でも来ることがあるようですが、お祓いをするだけのようです。
米を上げてもお札をくれないそうです。
明治44年生まれの老人が「万歳だ」といって語ってくれたのは、男女二人組の芸能です。
「めでたい、めでたい」
といって入ってくるので、こちらでは
「めでたい、えかった。
めでたい、えかった」
などと応えたとのこと。
そして
「泊めてやっから、泊んなさい」
と言うと、その家が宿になったそうです。
太夫(男)は祝言を申しながら鈴をたたき、女がそれに合せて踊りました。
これを二時間くらいやります。
観客は近所から10人くらい集まります。
宿の人は米をやり、見物人は5円か10円くらいやりました。
――これはどうも、万歳ではなく、神楽のようですね。
神楽といえば二人組ではなく、一人神楽というのも戦前は来たそうです。
手に布をはめてパクパクと魔除けをやるので米を上げていました。
一種の獅子舞だったのではないかと思われます。
明治38年生まれの老女が7〜8歳のころの記憶なので、大正年間の話でしょう。
そのお婆さんが独りで留守番している時にやってきて怖かったので、3升も米をやったそうです。
こういう人々は歴史の記録に残らず消えていってしまうんですね。
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