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民間伝承

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会津万歳の札

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福島県田村郡の近辺のこと。
昔は正月になると万歳が訪れ、家々の玄関のあたりでわずかな時間、舞を舞って歩いていたそうです。
戦前にはよく見られましたが、近年はめっきり来なくなったといいます。
10年以上前、田村郡のあたりを幾度も訪れてお年寄りからいろいろ話を聴きましたが、万歳の太夫と才蔵がどんなことをしたのかということを好んで聴いたものです。

万歳は僅かばかりの金銭や米をもらって次の家にまわるのですが、その時、お札を置いていきます。
画像を3枚挙げましたが、どれも同じ書型のようです。
とあるお宅で、一枚貰いましたが、実家に置いたままで今手もとにありません。
(憶えていたら今度持ち帰りますw)

「天地万歳火防御祈祷」(亀太夫)
「天地万歳鶴亀祝」(増若太夫)
「天地鶴亀万歳祝」(榊原太夫)
などと中央に大文字で書かれ、左右に
「家内安全」
「商売繁昌」
などと書かれています。
「交通安全」
とするものもあります。
太夫ごとに多少違いが見られます。

これらのお札は屋内の柱に貼り付けるのが恒例です。
が問題は普通に貼るものばかりじゃないんですね。
逆さまに貼ることがしばしばみられます。
なぜ逆さまに貼るのか、尋ねてもはっきりと理由があるわけではないようで、単に昔からそう貼っているからだと言います。

<さかさま>というのは護符にはときどき見られる貼り方です。
室町時代には鯰の絵を逆さまに飾ることで雨乞いを祈願した例があります。
また鶏の絵を子どもの夜泣き封じの呪いとする民俗が埼玉県の嵐山町のあたりにはありますが、それは逆さまに貼ることになっています。
そのほか、探してみるといろいろと事例を見出すことができます。

会津万歳のお札もまたそうした逆さまに貼ることで効力を発揮させようとしたもののようです。
とはいえ、それは家々によってまちまちで、隣家で逆さに貼っていても、自分の家では普通に貼るということが多く、つまり集落の習わしではなく、家例ということなのでしょう。

狼の被害者と地蔵

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山形県鶴岡市のうち、合併前は東田川郡櫛引町であった地に多吉地蔵という石像が祀られています。
この地は黒川能の伝承地として知られるところです。
現地で直接観たことはありませんが、むかし、国立能楽堂で上演されたとき観た記憶があります。

さて、先日、実家に戻った折、今から17年も昔の採訪時の写真があったので、これを持ちかえってながめていたら、この地蔵の写真が出てきました。
これは多吉という子どもを弔うために作られたものです。

宝暦3年(1753)、山から狼の大群が上山(かみのやま)集落に下りてきました。
家畜が甚大な被害をこうむりました。
その年、9月17日深夜、狼の大群がやってきたので、名主の弥右衛門は全戸に、見性寺(けんしょうじ)に集合するよう伝えました。
そして、平八鉄砲の名人六右衛門が先頭に立ち、狼の大群が引くのを待つことになったのです。

ところが同村多右衛門夫婦は慌てていたものだから、長男多吉を連れてくるのを忘れてしまいました。
驚いて家に戻ろうとしましたが、すでに狼の大群が間近に迫っています。
狼の鳴き声も大きく、天地を轟かすようです。
多吉が目を覚ますと、すでに狼の鳴き声があちこちでしている時で、家族もおらず家内は独りきりというありさまでした。
母を探しているうちに、外に出てしまったのでしょう。
ついに多吉は狼の餌食となってしまいました。

その子を弔うために建てたのが、この地蔵でした。
江戸時代には寺社奉行から毎年一分を供養料として下賜されていました。

この地蔵の縁起は文政2年(1819)の記録に書かれているそうです。

宝暦のころはまだ各地に狼がおり、大坂の町のほうでも狼が目撃されています。
ましてや東北の山村ならば、その多さは想像するにあまりまります。
ただ、狼の被害者を供養する仏像はあまり聞きません。
探してみると各地にあるのかも知れませんが。

先祖を降ろす習慣

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東北地方にはオシラ様という神様が広く知られています。
男女二体の細長い棒状の御神体で、頭が彫られています。
随分シンプルなものもあります。
これに布切れをたくさん取りつけます。
これが基本形。

残念ながらオシラ様と呼ばれるものはまだ実見したことがありません。
オシラ様というのは宮城の周辺が中心のようです。
これに類するものとしては、他にも岩手や山形のオクナイ様、福島のオシンメイ様などがあります。

画像で示したのは福島県田村市の民家に伝わるオシンメイ様です。
もう10年以上前に撮影したもので、当時は合併前なので田村郡常葉町といっていました。

こういうのはイタコのような民間の宗教者が神降ろしをするのにも使いますが、一般の農家にも残されています。
その神というのは家の神で、つまり先祖の御霊(みたま)であると考えられています。
柳田國男によると、
「もともと家々の主婦がその司祭であったが、信仰がやや衰えてその職分が小児に委ねられ、あるいはイタコと称するよその主婦に、一任しようとする家も多くなったのである」
といいます。(『山宮考』)

オシンメイ様は旧家に残っているものが多いようですが、中にはこれを持って家々を訪ねる人も戦前にはいたようです。
一種の宗教者ですね。
民家をまわって拝んで歩き、銭を貰っていたそうです。
玄関で10分くらいの短いものでした。
オシンメイ様に質問すると、当たるような気がして、気休めになったという感想を聴いたことがありますが、そのへんの曖昧なところが、信じている人にとっては、脳内でしっかり関連付けられていたのでしょう。

なお、オシンメイ様のほかにも、お稲荷さんで先祖を呼び出すこともされていました。
それから、戦前、ホッケ様といって、仏様、つまり先祖を呼び出す人もいたそうです。
その御先祖とよく似た声で言葉を発し、よく当たると評判だったとのこと。

このほかにも、まだ似たものがあったようです。
神、というか先祖を降ろす習慣が、ほんの数十年前まで幅広くあったことが今更ながら思い知らされます。

以前、記事で取り上げた人間と鱏(エイ)との子の話について、僕の友人が小さな会で話題に取り上げました。
http://blogs.yahoo.co.jp/warszawa11045/4885548.html

いうなれば、鱏(♀)を性的な処理をするものとして利用し、その結果として鱏が人間との子どもを産むという、まことに奇妙な話なわけです。
これが文献ではすでに江戸前期のものに見られるのですが、はたして漁村の習俗として実際にあったものかどうか、調べ出すのはむつかしいところでしょうが、興味深いところです。

南方熊楠が中国やマレーの事例を紹介しており、どうも広く分布していたようです。
もっともそれらの事例は人魚(ジュゴン)ですが。

問題はこの種の微妙な事柄を調べ出すことが、その性質上、困難なことです。
それなりに出てきそうな気がしますが、ただし学術的なものにではなく、好事家的な、興味本位な記事に記されているのではないかと予想しています。
この点は、ともかく調べてみないとなんともいえないでしょうね。
でも、こういったことは民俗学では表立って論じられてきていないように思われます。
その意味で開拓していくと得るものが多いのではないかと期待されます。

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http://irui.zoku-sei.com/

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