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日本の歴史

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教科書の歴史は無味乾燥で勉強する気がない人も、小説で歴史の面白さを知ることは少なくないと思います。小説の中の人物は生き生きとして、ドラマチックに「史実」を私たちに語りかけてきます。

しかし、小説は史実に忠実に書かれているとは限りません。司馬遼太郎の小説で維新の人物像に心を躍らせるのは楽しいことですが、小説は小説として、史実は史実として、分けて考えられるようにしないと、何が事実であったか分からなくなるでしょう。小説を出発点に歴史を学ぶのは悪くないと思いますが、史実に基づかない、空想的な史実に立脚した史観は、「妄想史観」とも言うべきもので、百害あって一利なしといわざるを得ません。

もっとも、史実の正確な理解は難しい場面が少なくありません。特に近現代の史実は検証が困難な場合が少なくなく、たとえばいわゆる「南京大虐殺」は、日中両国の政治的な意図もあり、何が真実であるか分からない状態です。このような事項については、一旦保留し、政治的熱狂が過ぎ冷静に歴史家が検証できる時代を待つよりほかないでしょう。

史実把握の重要性と、困難さを銘記すべきと思われます。

今回の参議院選は、政党のリーダーを選ぶ選挙という側面が強いという報道を耳にします。

安倍首相も、「私を選ぶのか、小沢さんを選ぶのか(ほかの党首は問題外?)」と訴えています。候補者を選ぶ際には、何党所属で、党首は誰か、が重要なポイントとなるのでしょう。

しかし、このような選挙戦には違和感を感じます。というのは、現在も、過去も、日本には強力なリーダーシップというものが欠如してきたように思うからです。

政治体制が議院内閣制で、国のトップを直接選挙で選ぶわけではない点も関係しているかも知れません。いやむしろ、リーダーシップの欠如した日本には、大統領制はそぐわないので、議院内閣制をとるしかないのでしょう。

このリーダーシップ欠如感のためか、私には先の大戦の戦争責任論に大きな違和感を覚えるところです。戦勝国が裁いた東京裁判がどうこうという以前に、仮に戦争責任を日本国民が裁くことを戦勝国から認められたとして、リーダーシップの欠如した日本のトップ層を、どのように裁くというのか、よく分からないためです。

昭和天皇は、戦争責任をわが国の手で裁くことは、人民裁判になるため反対だったと聞きますが、それが本当だとすれば、わが国の国民性をよく理解した発言だと思います。日本人が日本人を裁くと、憎悪と怨念が渦巻いてまともな裁判にはならなかったと想定されます。その意味で、ポツダム宣言受託の条件とはいえ、本来は自国で裁くべき戦犯を戦勝国が裁いたのは、わが国においては止むを得ないことだったのでしょう。

今後も強力なリーダーシップが発揮されることはないでしょうが、それが日本という国の特徴だから止むを得ないのでしょうね。

わが国の近現代史は、江戸時代の開国から明治維新を経て、富国強兵に努め、日清・日露・第一次大戦で勝利し列強の一角を占めるにいたり、国際連盟の常任理事国にまで上り詰めました。しかし、その後は世界恐慌のあおりを受け、満州・中国への武力侵攻で泥沼にはまり、次第に中国のみならずアメリカ、イギリス、フランス、オランダ等とも対立し、第二次大戦ではドイツ・イタリアと軍事同盟を結んで参戦したものの、悲劇的な敗戦を迎えました。

それでは、実現可能なシナリオとして、このような悲劇的な敗戦を回避するには、どうすればよかったのでしょうか?

勿論、歴史に"if"はないのですから、たとえ後知恵である出来事を変えることができたとしても、それに伴い連鎖的に他の出来事も変わるのですから、意味のないことかもしれません。

ここでは、知的なゲームとして、これを考えてみたいと思います。

私の仮説では、日清戦争終了時の領土まで(三国干渉により遼東半島は返還する)で海外膨張はストップし、あとはひたすら国内産業育成及び紛争仲裁の外交を行う国を国是とするというのがよかったのではないかと思います。

このように考える主たる理由は、朝鮮半島の支配の問題です。すなわち、日本は過去に何度も朝鮮半島を侵略・占領しようとしてきましたが、日本の国力と日本人の性格から考えると、朝鮮半島の管理支配は、そもそも無理ではなかったのでないかと思われるのです。無理なことを背伸びして行った結果、韓国併合以降現在まで続く朝鮮半島問題を引きずっているように思われます。

日清戦争後、仮に日本が朝鮮半島への侵略を行わなかった場合には、恐らく朝鮮半島の支配を中国(清)とロシアが争うこととなったでしょう。もし日本が中立的な立場であったならば、朝鮮から日本への様々な仲裁依頼があったように思われます。朝鮮半島から一歩引くことにより、日本の外交力を磨くこともできたように思われます。

幕末から明治維新を経て現在(2007年)に至るわが国の歴史を「近現代史」とすると、その間の歴史は、わが国の欧米化・近代化と戦争および敗戦、そして復興とバブル崩壊というような、激動の歴史であったと思われます。

この間の歴史は、とかくイデオロギーのバイアスのかかった歴史観により、他国をも巻き込んだ激しい論争が行われていますが、その論争そのものが自己目的化し、そもそも何が史実として正確な理解であるのかという確認作業を、ないがしろのしている感もあります。

したがって、私見では、歴史観はもちろん重要だが、その前提となる史実の正確な理解は、もっと重要であるという立場に立ち、日本の近現代史の理解を深めて行くべきであると考えています。

そんな中、わが国の近現代史を理解するに当たり、参考になるHPがありましたので紹介します。

http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/

このHPは、東大文学部の日本史学教室で近現代史を専攻する野島(加藤)陽子准教授が主宰するものです。文字情報が詰まっておりやや読みにくいのですが、近現代史を本格的に学んでいきたいと考える人には、有益な情報が詰まっていると思います。

このHPを足がかりに、巷に流布する近現代史の「論点」を冷徹に再検討してみてはいかがでしょうか。

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最近、自分自身の足元を再確認してみたいという欲求が高まっています。

日本人の男性の平均寿命が80年程度として、折り返し地点に差し掛かっているからかもしれません。

自分自身の足元とは、具体的には日本人の歩んできた歴史と考えています。大学受験で、日本史を選択しなかったため、知識の深みがないことと、陳腐化を感じることも多いです。

そんなわけで、ここしばらくは、少し日本の歴史に関する書籍を片っ端らから読み漁ってみようと考えています。

日本の歴史の中では、現代に直結しているわりには、意外とよく分かっていない、明治維新前後からの近現代史に重点を置いてみたいと思っています。その過程で、かねてより考えている日本人の対外意識である、諸外国との比較における相対的な意味での、有能感と劣等感の「共存」について、歴史的経緯を考え、現代を生きるわれわれが、この意識をどのように消化し実際の(広い意味での)外交に生かしていくのかを、考察して行きたいと考えています。

これは全くの趣味ですので、一円の得にもなりませんが、知ること自体も楽しみですので、ぼちぼち屋って行きたいと思います。

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