小澤征爾さん、食道がん 半年間活動休止
世界的指揮者の小澤征爾さん(74)が、食道がん治療のため6月までの半年間、活動を休止することになった。小澤さんは7日、東京都内で記者会見を開き「先生の言うことを聞いて治療に専念し、半年以内に戻ってきます。人間ドックを受けて本当に良かった」と話した。
少し前のニュースですが、改めて世界のマエストロ小澤さんのお年を思い知り、
早期発見で本当によかった、と胸をなでおろしました。
といっても、小澤さんの大ファン!というほど、CDを持ってるわけでもないのですが、
数少ない日本を代表する指揮者なので、早く治して元気になっていただきたいです。
小澤さんといえば、N響事件。
あまり好ましい出来事ではなかったので、公には知られていないようですが。
実際私も詳細は最近知りました。
『小澤事件』
小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔合わせしたのは、1961年7月の放送録音であった。
翌1962年には、半年間「客演指揮者」として契約。
当初は6月の定期を含めた夏の間だけの契約予定だったが、秋の定期を指揮する予定だったラファエル・クーベリックが出演をキャンセルしたため、その分契約期間が延長された。
7月4日にはオリヴィエ・メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」日本初演を指揮するなど小澤とN響のコンビは順調に活動しているかのように思えたが、9月〜10月の東南アジア演奏旅行で何かしらのトラブルがあり、11月にはN響の演奏委員会が小澤に協力しないことを表明。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、ついに第435回定期公演と「第九」公演が中止になる事態となった。
1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリーで、小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」との趣旨の発言で振り返っている。
なお年が明けた1963年1月17日に一応の和解を果たしたものの、「あの時は『もう俺は日本で音楽をするのはやめよう』と思った」(先のドキュメンタリーでの発言)ほどのショックを受けた小澤が次にN響の指揮台に立つのは32年後のことであった。
N響との共演が32年後でやっと叶ったという事に関しても、当時の楽団員が退団されたり亡くなったりされたので共演を決めた、との発言から、かなりのショックを受けられたのではないでしょうか。
何かしらのトラブルというのも、どうやら楽団員の練習ボイコット等もあったようです。
でも、この事件をきっかけに、活躍の場を世界に求め成功された小澤さんが生まれたかもしれないと、勝手ながら思っています。
また半年後、元気なお姿を拝見できるのを楽しみにします♪
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