|
人は見ず知らずの人にために、何が出来て何が出来ないのでしょう。
そもそも、人間というのは、知り合いでない人や血のつながりのない人に対して冷淡であり、薄情な
生き物です。それでも「医療」とは、まさしくその赤の他人に対して行われるもの。まさに「医療」と
は、他人同士をつなぐ、奇跡の架け橋なのではないでしょうか。
しかし今、「医療」の世界ではそんな奇跡をあざ笑うかのような風潮があります。まるでこの世界に
奇跡などないのだとでも主張したいかのように、ほとんど毎日のように、医療ミスの報道がされているの
です。医療ミスの核心。。「他人に対して何かをすることの必要性や意義を見出せない」世間の風潮と
全く同じなのではないでしょうか。医療ミスは、医療現場がこれまで抑えこんできたさまざまな問題が
耐え切れずいよいよ噴出したかのように映りますが、ここには、今の日本の社会全般に、広く共通する
歪みが現れているようにしか見えません。それは、「他人」が存在していないということです。
ここで、イメージしてもらいたいのは、たとえば、どこかへ出かける電車の中で、あなたになどまるで
お構いなしの態度で不愉快な振る舞いをする人に出会ったとします。
仮にその人が、今日あなたの手術の担当医だったとしたら、そんな人にあなたは診てもらいたいと思う
でしょうか。逆に、あなたによって同じように不愉快な思いをさせられた少年が、後に成長して、あなた
の大切な肉親や親しい人への難しい手術の担当医になったとします。
彼は何気ないあなたの行動が生んだ失望をきっかけに、心のどこかに傷を負ったまま大人になっていた
人物だとしたら。あなたは、そんな彼に「いのち」を委ねることができますか。こんなふうに想像してみ
てもやっぱり、医療ミスは他人事でしょうか。
時代がどれだけ変わろうとも、肉親や家族の血のつながりは強いものです。人間として生まれてきたら
当然のことだと思います。
しかし、こうした無邪気ともいえる普段の思いのなかには、意識的ではないにせよ、どこかに身内以外
の人間に対しては関心の及ばない「冷ややかさ」が見え隠れしていないでしょうか。
そしてこうした「冷ややかさ」こそが、医療ミスの根本に深く結びついているのだ、と言い換えること
もできるのではないでしょうか。
自分にふりかかったらイヤだなということ。これからの人はもっとイメージする必要があるのではない
でしょうか。そんな自分勝手から始まって、他人について考えてもいいのではと思います。考えないより
はまだずっとましです。
自分の「いのち」を極めれば、結局、とどのつまりは他人の「いのち」をどう考えるのかということに
行き着くしかないからなのです。
「治療は手を握って話しあうこと」坂田英治著 (星雲社刊)より、抜粋しています。。
私の主治医である坂田先生のエッセイですが、私はこれを読んで、心にずしりと重いものを感じまし
た。子育て真っ最中の私。いい医師、いい先生、職業の中で評価がくだされることが多いのかもしれませ
ん。しかし、人間としてどのような人物なのか・・・。それが一番大きな問題なのではないでしょうか?
地位がある人が、引き起こす、小学生でも悪いことだと分かるような刑事事件があとを絶ちません。
学歴の高いひとが、社会に向かってツバをはくような発言をテレビで、よく見かけます。
それは、まさに、「他人」に対する思いやりや、配慮の足りなさから来るものなのではないでしょう
か。子育てとは、まさに心を育て、思いやりを育む大切な時期を、親子で考えることなのではないのでし
ょうか。少々、困ったちゃんだとしても、思いやりのある優しい子供は、将来、誰かの「いのち」を救う
人物へと成長してくれるのではないでしょうか。そんなことを考えさせられた一冊です。。再見
|