全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1イメージ 2イメージ 3



 
  5月のさわやかな風に吹かれながら田植え
     大人も子どもも自然の中で過ごした1日

 アスナロ農園では毎年田植えの企画をしてくれます。みんなで1列になって声をかけながら、手で1本1本苗を植えていきます。親子ひろばに来る3歳の男の子とお母さんといっしょに私も行ってきました。去年同様今年も彼はすぐ田んぼからあがってしまいました。「何本植えたかな?」と聞くと「1本!」それを聞いたお母さんは「正直ね」と言っていました。でも彼のいい所はそのあとその辺を一人で探索して歩いているんです。お母さんは一生懸命田植えをしています。
 田植えが終わった後は、大人も子どもも一緒になって、イモムシを見つけておどろいたり、いろいろな野菜の苗を研究したり、近くの牛舎に牛を見に行ったり……。
「ホー ホケキョ!」のなきごえも響いて気持ちいい!
 何と板橋区からきた2家族の方ともお友達になりました。いつもアスナロ農園の野菜を買ってくれている方が、お友達と一緒に来てくれたのだそうです。お父さんは、前の日、農園に来るのが楽しみで、眠られなかったそうです。子どもより子どもになって、アスナロ農園でのひと時を楽しんでいました。
 3歳の彼は、水遊びもかねて、ジョーロで野菜の苗に水を運んでいます。まっかになったイチゴも見つけ、じっとすわって水やりをしていました。
「農園に泊まっていったら?」と言うと「うん!」と答えた彼は、1歳の時からアスナロ農園のファンなんです!成長が楽しみですね。イメージ 4
 
 
  
イメージ 1
イメージ 2








無実をかちとって、獄中で囚われた32年間と同じだけ生きる!
と力強く語った石川さん

 今日は、狭山事件で無期懲役の判決を受け、今なお仮出獄の身で、再審請求の闘いを続けている石川一雄さん、早智子さんのお話を聞きました。
 貧しいがゆえに小学校5年生から学校に行かずに働き、読み書きができなかったために、狭山事件に巻き込まれてしまった。死刑判決が下ってから、8年間看守に字を習い、その奥さんがボールペンや便せん、封筒、切手を8年間差し入れてくれて、こうして全国のみなさんに手紙を書き、メッセージを送ることができた。24歳で不当に逮捕されてから32年間獄中で生き、石川さんは現在77歳。まだ無罪をかちとってはいない。でも「この事件に巻き込まれたからこそ、文字を覚え、こうして皆さんと生きている。もしそうでなかったら、最後まで文字も読めず、書くこともできずに一生を終えただろう。第3次再審請求で勝利をかちとって終わらせたい。そして差別に反対し、人権を守るために最後まで闘いたい」と力強く語る石川さんでした。
 20年一緒に連れ添っているという早智子さんの話もよかった。ずっと被差別部落出身だということを隠しつづけ、ばれないようにとドキドキしていたが、石川さんのメッセージを聞いて狭山事件の支援に関わることを決めたという。もう石川さんも77歳、だんだん残り少なくなる人生、狭山事件から53年経つが、事件を知らない人も多いので、一人でも多くの方に知ってもらって、支援する人を増やしてほしいと訴えておられました。
 私たちもその一人になりましょう。

イメージ 1イメージ 2




憲法壊すな!と5万人が声あげる
  
 5月3日、今年も憲法集会に参加しました。例年のごとく、今年も午前はKITの会(北・板橋・豊島戦争への道を許さない女たちの会)のデモに参加してから、有明公園に向かいました。
 KITの会の行動は、十条の自衛隊駐屯地への申し入れ行動、そして王子駅前の広場までデモ行進をしました。それぞれの思いをもちながら、自衛隊の駐屯地のまわりをデモし、「戦争反対!平和を守ろう!」と訴えました。
 そしてその足で有明まで…。
 もう会場はいっぱいで、私たちは本部テントの脇の方に座って話を聞いていました。5万人が集ったそうです。101歳になるむのたけじさんが「戦争は、殺さなければこちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。戦場の第一線に立てば、神経が狂い始めます。これに耐えうるのはせいぜい3日ぐらい。あとは、どうでもなれ、となる。女性に対する暴力、盗みなど……」と話しておられました。そして、戦争を始めてしまったら止めようがないことだと。
 
 私たちが座ったすぐ前にいた4歳の女の子。お父さんとお母さんと来たそうです。
公園に咲いていたシロツメクサを編んでいるのをじっと見ていた少女の頭に飾ってあげたらとても嬉しそうにしていました。思わず、シロツメクサの花束もプレゼント。そしたらニッコリして写真を撮らせてくれました。
 この子たちの未来に、私たちは責任がありますね!
イメージ 3
イメージ 1
イメージ 2
 






   
   法は変わったが、差別・偏見は続く
   ―癒えてなお行く家なき身の法廃止―
                     (ハンセン病資料館に掲示された詩より)


 全国ハンセン病療養所入所者協議会の藤崎陸安事務局長が、自身の体験や運動の中から、ハンセン病の問題についてお話してくれ、多くのことを学びました。


父の死の知らせを受けて家に戻っても、「葬式には出ないでくれ」と言われ、お寺の遠くから葬式を見ながら、線香もあげることができず戻ってきたこと。二つの弁当を持たされ、貨物列車に乗せられ、外からカギをかけられて隔離されて移動したこと。9歳で入所したという藤崎さんが、悔しいというか情けないと思ったことが二つあると言って話して下さったことは、私たちの知る事も出来ないほどの悲しみや苦しみだったのだと思います。
  ハンセン病がプロミンという薬で治る病気だとわかってからも、隔離政策をやめないできた政府の責任は今も裁判で問われています。でも、「法律は変わったけれど、何も変わらなかった」というのが回復者の実感です。なぜなら差別や偏見は消えないからです。今までの偏見の中で、故郷にも、家族のもとにも帰れない、断種、避妊の政策で、子どももいない、そんな中で、療養所で生活するしかなくされてしまったからです。だから、療養所を開放しよう、ハンセン病のことを多くの人に知ってもらおうと運動しています。
藤崎さんの率直なお話の中で、私たちもハンセン病についてよく知ることができました。そしてこんな大きな人権問題が正しく教えられないことも間違っています
  参加した在日の女性が発言していましたが、私たちも同じように人権を侵害されていると。人権をかちとる闘いは、ハンセン病だけの問題なのではなく、実は私たち自身の人権も同じことです。。




イメージ 1イメージ 2










 板橋区の中央図書館が古くなり、新しい中央図書館を作るのにどうするか。現在地は建築法上、今の半分くらいの面積にしか作れないそうで、同じ管内に置くことを考えれば、平和公園以外にない、と言って、「平和公園をつぶすな」と声を上げる地域住民を無視して決め、平和公園に移転を前提とした、建築計画の基本構想の検討が始まりました。
 文教児童委員会を傍聴に行ったら、隣に座った方が、常盤台の景観を守る会の方で、住民の声を聞く、と言いながら、いざ決める時は住民の声などそっちのけで、上から降ろされるがままに決めているとおっしゃっていました。私も全く同感です。
 どこに移転するのがよいのか、さまざまな立場や地域の人々が声を上げて、その声をもとに、よりよい移転先を検討することから始めなければならないのではないでしょうか。まず、始まりからまちがっていると思います。

 常盤台の町には、高層マンションは必要ない。さまざまな種類のサクラの木をたくさん植えたいと、そのまちづくりニュースに書かれてありました。読んで行くと、ウコン桜の木が紹介されていて、そのウコン桜のある魚屋さんは私がいつもポスターを貼らせていただいているところだったので、早速バイクを走らせました。
 はじめはうす緑いろの花だけど、最後にはピンクに変わって散っていくのだそうです。ちょうど今ピンクになってきたところで、何だかやさしいサクラの木でした。
 
 

.
わたなべちづる
わたなべちづる
女性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事