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ワンダーフォーゲルの山紀行
18才から50年山を歩いています。全国あちこちの名峰や関西の山を四季歩いています。スキーも大好きです。

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先日2回目の旧真田山陸軍墓地ボランティアガイドをやりました。

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 今回の参加者は12人。参加者は堺の方々です。1時間の約束でしたが、熱が入り30分オーバー。終りの方は端折りました。

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 旧真田山陸軍墓地の墓碑は西南戦争、日清戦争、日露戦争、満州事変の犠牲者中心に約5000基。これだけの規模のものがほぼ当時のまま残っているのは珍しいそうです。野戦で亡くなったことを示す墓もありますが、脚気やコレラなどの病気が多い。

 堀内利国軍医監の墓のさわりを紹介します。
 当時陸軍内で脚気病が流行り陸軍を悩ませました。全身が倦怠感に陥り、最後は心筋梗塞で亡くなります。篤姫が嫁いだ将軍家定も脚気で死亡したという説があります。堀内軍医監は麦飯を食べている囚人や小麦を原料とするパン食のヨーロッパの軍隊では脚気になる兵士がいないことに注目し、脚気は白米を食べることにあるのでは疑い、軍隊内で麦飯を奨励し脚気の罹病者大幅に減らしました。当時は軍隊に入ったら白米をたらふく食べられるぞと評判を立ち、地方の子弟は進んで入隊していたようです。現代の日本人が白米を主食にしても脚気にならないのは副食を多く食べ、脚気の主原因のビタミンB1を摂取しているからですが、当時は副食が少なかった。
 ところが堀内軍医監が亡くなり、日清戦争以後、軍医総監になった森鴎外(林太郎)は、脚気の原因は細菌だとして堀内らの栄養学説に反対し、麦飯を止めてしまいます。結果再び陸軍や海軍内で脚気がはやりだしました。小説家として大成した森鴎外ですが、医者としては大失態でした。
 日露戦争では日本の軍隊はロシア軍の犠牲者4万人余に比べ、勝利したにもかかわらず11万人もの犠牲者を出しましたが、大激戦だった撫順の攻防では、ロシア側からみると日本兵はフラフラだったという話が残っています。陸軍内に脚気が蔓延していたことをうかがわせます。
 脚気の原因がビタミンB1の不足であることがわかったのは、明治の末から大正時代にかけてのことです。
 ひょんなことから大阪市のど真ん中を貫く上町台地の歴史散歩道の一角を学生にガイドすることになりました。
 訪ねたのは三光神社にある真田幸村の抜け穴、旧真田山陸軍墓地、真田丸。短時間で要領よく説明するのはなかなか難しいものだと思いました。教えることは学ぶことです。

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 旧真田山陸軍墓地には明治初期から第2次世界大戦までの5000基の戦争犠牲者の墓があります。兵隊だけでなく、いわゆる軍属、民間人、敵国の外人、陸軍だけでなく海軍の兵隊も含まれています。これだけの規模の陸軍墓地は日本最大規模です。
 ガイドしていたら、顔見知りの地元の吉岡さんが助っ人に入ってくれました。

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 これは関西落語界の重鎮・桂文枝(三枝。以下馴染みのある三枝と呼びます)の父・河村清三の墓です。
 三枝の父は若くして肺結核を患っていたにもかかわらず陸軍に召集されます。重い訓練に耐えられず、一か月後に重症化。陸軍病院で27歳の若さで亡くなりました。まあ、肺結核の患者まで徴兵せざるを得なかったところに、当時すでに戦争の行き詰まりがあったといえます。
 河村家から離縁を迫られた三枝の母は河村家を出、大正区の工場の食堂で働きながら三枝を育てました。
 真田山陸軍墓地は西南戦争、日清、日露、第一次世界大戦までの犠牲者の墓が中心ですが、三枝の父親のような第2次世界大戦の犠牲者の墓が立てられているのは、三枝の父の出身地、南河内郡野田村(現堺市東区)の人たちが村から軍隊に招集されて犠牲となった村人を弔おうと、戦後になって願い出て特別に墓を建立したとのことです。

 関西落語界の重鎮・桂三枝の父親の墓が旧真田山陸軍墓地にあることは、三枝自身も知りませんでした。河村家と没交渉となった母親は、三枝に父親のことを多くを語らなかったようです。
 NHKのテレビ番組ファミリーヒストリーで2年前「桂文枝〜記憶なき父・衝撃の出会い〜)が放映され、その存在が広く知られるようになりました。
 この番組の他の企画もそうであるようにNHKのスタッフが調べ上げて、真田山の陸軍墓地に三枝の父親の墓と納骨堂に骨壺があることを突き止めたのです。この番組で生後11カ月で死に別れて、70歳になって遺骨と対面した三枝は感極まります。
 この番組のことは↓
 
 

あべのハルカスの疑問

先日天王寺公園を横切ったときおやっと思ったことがあります。300メートルの日本一高くなるビルとして何かと話題の建設中のあべのハルカスにくびれがあることを発見しました。
 
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日頃は阪和線の東側から見ているのであまり気づきませんでしたが、この画像は天王寺公園の北西側から見ています。西側側面がV字状になっています。
 
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気になってネットであべのハルカスの画像を調べてみました。これはあべの筋(西側)真下から見上げた画像です。確かに側面がV字にくびれています。あべの筋側の敷地は南北まっすぐのはずなのになぜこんなくびれが入っているのでしょうか。ちなみに東側も同じようなくびれが入っています。
 
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中層階の平面図を調べてみると確かにV字カットになっています。左が西側、右が東側。東側の方がくびれは短いです。角度は同じように思われます。
単にデザイン的にV字状にしたのではなく構造的に強化するためにこのようなV字にしたように思いますが素人考えでしょうか。長さ50キロの上町断層の真上に立っているのですから地震対策をしっかりやっているのでしょうか。
 
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中層階を見上げた画像をみるともっと不思議なことがあります。JR天王寺駅側の中層階の壁の面と300メートルになるメインの棟のラインがずれています。敷地は完全な長方形だし平面図ではずれていません。なぜずれて見えるのでしょうか。
 
あべのハルカスに当初シャープの本社が入ることが取りざたされていましたが、経営破綻でそれどころではなくなっているでしょう。1万人のリストラとか。再就職なんてなかなか難しい経済情勢。生活保護が増えるでしょう。
 
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 大阪府庁舎。大正期の建築物です。
 当然耐震構造ではありません。耐震化をはかるより南港のWTCへ移転した方が安上がりだと、橋下知事は府庁舎の設置条例改正案と買い取りの予算案を春の議会に続いて再提案。春の議会では否決されたものです。この前の府議会では府庁移転の条例改正案は再び否決されました。しかし買い取りの予算は可決されました。知事はWTCを第2庁舎に使うのだという。どうもよくわかりませんなあ。

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 府庁舎の前は大阪城。実に大きなお城です。

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 大阪城公園にはたっぷり緑もあります。

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 南隣は建て直された大阪府警の新庁舎。近代的な建物ですがさすがいかめしい造りです。その左側の建物はNHK(府警から頭を出している方)と大阪市歴史博物館。

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 大阪府警、大阪市歴史博物館、NHKを難波の宮跡の南東側から眺めています。

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 近隣には国の出先機関の建物が並んでいます。

 府庁は関連の機関と近い方がいいんじゃないですか。沢山の職員が第2庁舎となる南港まで通わないけなくなります。その費用と時間は大変な負担になるでしょう。しかも南港は埋め立て地。いったん大きな地震や風水害が起きれば防災の拠点として不適切なことははっきりしています。

 橋下徹知事は先日、大阪市内で企業経営者ら約750人を前に講演。関西の活性化には都市ごとの役割分担が必要との考えを示したうえで、大阪について「こんな猥雑(わいざつ)な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」と述べたといいます。鉄道を引き大阪南港をカジノの街にしようというんです。そんな構想とんでもない。
 しかも右肩上がりの経済状況ではなくなっている今日、旧来の大型開発方式でうまくいくとはとうてい思えません。大赤字の関空を見てみなさいよ。WTCも大赤字。大阪市は1200億円もつぎ込みながら手放したくて仕方がなかった建物です。それを85億円で投げ売りに出したほど、この地はダメなのです。
 28日仕事で中央区馬場町へ。駅からぶらぶら歩いていきました。この辺りは上町台地が生駒山側に向かって緩く下がっている坂を登って行きます。史跡が多いところで、歴史散歩にいいところです。聖マリア大聖堂と越中井を紹介します。
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 聖マリア・カソリック大聖堂。
創立は1894年。創立時に建てられた「聖アグネス聖堂」は1945年の大阪大空襲により滅失。現在の大聖堂は1963年に落成した。
 敷地が細川大名家の屋敷跡という由縁もあって、大聖堂内内陣左側には細川ガラシャを描いた画が掲げられている。その「最後の日のガラシア夫人」および聖堂正面の壁画「栄光の聖母マリア」、右側の「高山右近」は堂本印象の筆、大小100の窓に施されたステンドグラスは羽淵紅州の作、十字架や聖像はオーストリアの彫刻家ルンガルチエの作と、当時一流の芸術家を集めて造られた。パイプ数2400の巨大なパイプオルガンでも知られる。 近代建築家・長谷部鋭吉の遺作ともいえる建築作品である(ウィキペディアフリー百科事典「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」の項より。

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 大聖堂の前に建つ細川ガラシャ夫人像。

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 越中井。
 「ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリスタン信者でありました。慶長五年(一六〇〇年)忠興公が徳川家康に従って会津上杉を征伐に出陣した留守中、反家康の石田三成が大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたが、ガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取り囲まれ、ぜひもなく家来に首を打たせ屋敷に火を放ちいさぎよく火中に果てました。
 この越中井はその屋敷の台所にあったと古くから伝えられています。昭和九年(一九三四年)当時地元の越中町内会の人々相寄りガラシャ夫人の得をしのび顕彰碑を建立したものです。
 碑の正面表題の文字は徳富蘇峰先生の筆で側面(左側)の由来説明は京都帝大文学部長新村出先生の文です」(説明板より)。

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