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ワンダーフォーゲルの山紀行
18才から50年山を歩いています。全国あちこちの名峰や関西の山を四季歩いています。スキーも大好きです。

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■3月23日(金)快晴 再びトファーナ
 今日も快晴だ。今回のスキーツアーの最終日は自由滑走。どこにするか昨夜のうちにトファーナに再挑戦することを相方と申し合わせていた。トファーナは2日目にも訪れたが、ガスと降雪で上部まで上がれなかった。そのリベンジである。毎朝ホテルの窓から望んだトファーナ。下からは隠れて見えないが、あの最上部の岩壁に岩棚があってゲレンデが広がっているとは容易に想像しがたい。どんなゲレンデが広がっているのだろうか?どうやって麓のスロープに降りてくるのだろうか?それを想像するだけでもわくわくする。
 自由滑走は二手に分かれたようだ。ひとグループは僕らと同じトファーナ再挑戦組、他のグループはチンクエトーリ組だ。ファルツァレーゴ峠まで無料バスが出ており、そこからラガッツォイ展望台に上り、ファルツァレーゴ峠に滑降。連絡路を滑走してチンクエトーリへ入ることができるのだ。そして昨日チベッタへ行くとき越えたジャウ峠から反対側へリフト一本分滑降することもできる。
 その新しいゲレンデにも魅力があったが、やはり最高所のリフトが2850メートルまで伸びているトファーナに興味が尽きない。日本のスキー場で最高所にリフトが架かっているのは志賀高原横手山の2300メートルぐらいまでだ。それも無理なコース取りをしている。3000メートル近い高所というのはどういう世界が広がっているのだろうか。後で分かったことだが、トファーナの最高所まで行き、下まで滑降してからタクシーを飛ばしてチンクエトーリまで行ったつわものの夫婦組もいた。僕らを上回る好きものがいるものだ。そこまでは思いつかなかったし、思いついてもやはりトファーナで有終の美を飾りたい。
 
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二つ目のロープウェイに乗り、トファーナ上部のゲレンデへ。ロープウェイは断崖絶壁に架かっている。トファーナがちょっぴり顔を出している。
 
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ゴンドラから上部と下のゲレンデの連絡路を見下ろす。まったくすごいところにゲレンデを作っている。雪はないのでかき集めている。
 
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ロープウェイを降りたところ。岩棚にゲレンデが広がっている。リフトがさらに上部に伸びている。
 
 循環バスに乗ってトファーナへのロープウェイ乗り場へ向かう。もう循環バスの乗り方も下車地点もガイド君なしでもすっかり覚えた。2本目のロープウェイに乗り継ぐ。ゴンドラの箱の窓から岩棚から下る連絡路のゲレンデが見える。岩壁にはまったく雪はないが、連絡路にはかき集められた雪で滑走可能にしてある。かなり急峻だ。下から見上げた際にはどういう風に連絡路が付けてあるのか不思議だったがこれで疑問が解けた。
 二つ目のロープウェイを降りるとそこは2450メートル。ここからさらにロープウェイが伸びている。3本目は間違いなく3000メートルを超えるところに架かっている。しかしこれは観光用で滑降ルートはない。しかも今日は運休だ。
 
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トファーナの絶壁を横目に二つ分のリフトを滑降。2400メートルの高度とあって雪質は申し分なし。快適な滑降を楽しむ。
 
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最上部へ上がる。右手の岩峰(トファーナ)にもロープウェイが架かっているが観光用で今は運休中。
 
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最上部のリフトを降りたところ。ここは2850メートル。なかなか急峻だ。
 
 雪景色が広がった。トファーナの赤茶けた横縞模様の地層を見せる胸壁が立ちはだかり、その前に岩棚のゲレンデが広がっている。ウーン、こういう風になっているのか、それで下から見上げた時には見えなかったのだ。納得。早速岩棚に沿ったバーンを数回滑降してみる。さすが高所のゲレンデとあって雪質がいい。今度はそのリフトと交差しているリフトに乗って最高所まで行く。途中で交差しているリフトなんていうのは初めてだ。イタリアという国はどんなところにもどんな風にもロープウェイやリフトを架けてしまうものだと感心する。地層が丸出しのトファーナの岩壁に見る見る近づく。
 最高所に立つと腕時計兼用の高度計は2700メートルを指している。僕の高度計は低めに出る傾向がある。確か2800メートルを超えているはずだ。ゲレンデマップで確かめるとやはり2850メートルと印されている。ここから最も下のゲレンデまで滑ると標高差1500メートルにもなる。日本では経験することができない標高差だ。一気に降りてみよう。
 
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岩棚に向かって滑降。立ち止まっては立ち止まっては写真を撮り滑り降りる。
 
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ファローリア(左)を望む。ここも岩棚のうえのゲレンデだ。右手奥のピークはソラピスか。
 
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クリスタッロを引き寄せる。この角度からは「トンバ谷」は尾根に隠れている。
 
 最初の急斜面をひと滑りして立ち止まり、次の急斜面でもひと滑りして立ち止まる。惜しみながらこの大滑降を楽しむ。2本目のロープウェイを上がった斜面に出た。ここから岩棚のゲレンデは数回滑っているので何の不安もない。今回のスキーツアーの滑りで何か新しい境地というものをつかみたいものである。物事には飛躍するということが稀にあるが、それは小さな進歩の積み重ねのうえにあるものだ。自分のスキー技術はもう10年来停滞しているように思う。長い停滞を打ち破るには何が必要か。それを超えなければ飛躍などということはありえない。どうしても超えなければならない障壁というものがあるはずだ。それを見つけることが新しい境地へ到達する道である。
 何を解決すべきか、その課題を見つけることは物事の8割も9割も解決したに等しいといわれる。相方は昨夜新しい境地が見えてきたような気がすると言っていた。それは僕にとっては何か。それを探し当てるには思うにどうも基本に立ち返ることではないかと思う。カービングの板が普及して久しい。カービング板の出現はスキーに革命をもたらしたといっていい。アルペンスキーにプラスティックブーツが出現したことに匹敵するかもしれない。ターンが格段にしやすくなったのだ。僕らが若い頃覚えたスキー理論は、谷足加重とその反動力、伸び上がりと沈み込みによる抜重、上体の谷姿勢の保持と下半身との捻れ(アンギュレーション)、前傾姿勢‥‥。しかしカービング板の出現によって昔のスキー理論は不要になったかのようにいう風潮がある。果してそうか。板がカービングになろうがスキーの基礎理論は変わっていないと思う。
 ではそのうち何が欠けているのか。ドロミテに来る前、首筋が痛み気になってかかりつけの整骨院で診てもらった。この院長先生は独自に開発した手法で施術する。それを説明しだすと長くなるので割愛せざるを得ないが、日常の生活の中で知らぬ間に「癖」が身体のバランスを崩し痛みをもたらすというのだ。だからこの先生は痛むところには触らずバランスを正す施術をする。
 その伝でいえばスキーの上達を阻んでいるのは、知らぬ間に身についてしまった癖にあるのではないか。その癖を正せば次の境地が見えてくるのではないかと思う。
 思いつくのは谷足加重が甘くなっているのではないかということ。それが滑降を不安定にさせていると推測
した。
 
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ちびっ子も一人前の滑降。この年頃からスキーを楽しんだら相当上手になるぞ。
 
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クリスタッロ(右)、クローダロッサ?(左 Croda Rossa 3146メートル)。
 
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岩棚から下のゲレンデへの連絡の入り口。急峻なうえに雪が緩んで荒れている。
 
 有終の美を飾る滑降だ。谷足加重と上体の谷姿勢を意識して滑り出す。谷足加重によって板がしっかり雪面をとらえている感覚がする。昨夜出したチューンナップの効能も効いているかも知れない。谷足加重と沈み込みから伸び上がり(抜重)が合わさりあって次の谷足への加重への移動がスムーズだ。少々の急斜面でも安定し滑らかな回転ができる。おお、新しい境地だ。浮遊感ともいうべき感覚を感じる。谷足加重と上体の谷姿勢保持というスキー技術の基本中の基本に立ち返ることによって得られたこの境地。この感覚を忘れまい、忘れまいと歓喜しながら岩棚のゲレンデを滑り降りた。
 思えばスキーを始めたのは30代になってからだ。もっと早く始めていたら足前はもっと上がっていただろうに残念でたまらない。スキーに限らないが、スポーツ音痴であっても長い間やっておればそれなりに上達するものだ。「好きこそものの上手なれ」である。18才の時から山に取り憑かれ、年間100日山行に出かけたこともあった。登山は「重力に抗する」ことだ。愚かな山屋だったので、スキーに対して「重力の助けを借りて滑べることが何で面白い」という極端な偏見を持っていた。もっともお金も時間もなかったが。その偏見がスキーに近づくことを妨げた。それが雪山を登る手段としてのスキー、すなわち山スキーに関心を持ち出したことがスキーに手を伸ばしたきっかけだった。しかし山スキーに必要な技術は斜滑降とキックターンさえできればいいという極論がまたスキーの上達を妨げた。そんな紆余曲折があってスキーに本格的に手を染めるのが遅れたのだ。
 さて岩棚から下部のゲレンデへの連絡路に差し掛かった。雪質が緩んで大きく荒れた急斜面だ。しばし足を休めて突入。さすがにスムーズな回転はできない。フォームは崩れ転倒を避けるのが精一杯だが今の到達点ではやむ得ない。嫌な連絡路を抜けると緩くなった斜面を一気に駆け降りた。
 再びリフトとロープウェイを乗り継いで岩棚のゲレンデに戻り相方と合流。ランチタイムをとったレストランの展望台からココルチナ・ダンベッツォの街を一望。ファローリアやクリスタッロ、ソラピス(3205メートル)やアンテラオ(3168メートル)も望めた。
 早めにスキーを切り上げ、目抜き通りのコルソ・イタリアにある生協の店にお土産を買い求めに行った。この生協の店がコルチナ・ダンベッツォ最大の店舗だ。イタリアは生協活動が盛んな国と聞いている。その生協の店舗をつぶさに見聞する余裕はなかったが、レジとレジ労働者に注目した。
 レジは客が自分の商品をレジにつながるローラー付きの台に並べる。次の客は仕切りの棒を置いて前の客の商品と区別する。ローラー付きの台は少し傾斜が付いていて商品が自然とレジ係の方へ流れていく。レジ労働者は座ったままセンサーに読み取らせていく。実に合理的でレジ労働者に優しい。このことは4年前のヨーロッパアルプス3大名峰めぐりの旅行記で小規模のスーパーで見聞したこととして紹介したことである。スイスで見聞したことがイタリアでも見聞されたことで、この方式がヨーロッパで普及しているのではないかと思った次第。
 
 
■3月24日(土)晴れ 帰国
 いよいよ帰国だ。6日間の滑降で訪れたのはドロミテのほんの一部だけである。何よりドロミテの女王「アルモラーダ」を滑降することができなかったのは残念だ。それにスキー場はないが、ドロミテの岩峰を象徴する「ドライチンネ」を見ることができなかったのも残念である。
 コルチナ・ダンベッツォは、モンブランを望むシャモニーやマッターホルンやモンテローザを望むツェルマット、アイガーを望むグリンデルワルトなど、名の知れた山を望む街ではない。しかし四方を3000メートルを超える岩峰に囲まれ、それぞれにこんなところにまでロープウェイやリフトを架けスキー場を開くかと驚かされた。またバスで遠征したアルタマディアやセラ山群、チベッタエリアも日本離れした山岳風景とスキー場だった。月並みだが名残惜しい。惜しむらくは時期が遅く雪が少なく下部は雪質が悪かったことだ。次の機会があるとすれば、ガイド君が勧めたように1月下旬か3月上旬を選びたい。
 午前5時40分、コルチナ・ダンベッツォを離れベニスマルコポーロ空港に向かった。来るときには深夜だったのでヴェネチアまでの風景を見ることができなかった。車窓から食い入るように岩峰群を見入り続けた。
■3月22日(木)晴れ チベッタ
 今日も快晴。3日連続で快晴だ。6日目の明日最終日も崩れる予報はない。結局コルチナ・ダンベッツォに滞在した6日間の内降られたのは1日だけ。それもガスに覆われたものの大降りというのでなく、激しく降ったのはほんの短時間だ。この山域は晴天率が高いと聞いてきたが本当のことだ。ガイド君は「晴天率が高いということは、雪が余り降らないんです」という。
 その話を聞いてあらためて日本海側の豪雪ぶりが思い起こされる。日本海側の冬はほとんど降りっぱなしといっていい。僕が生まれ育った福井では晩秋からしぐれが続くようになる。その時期がくると「弁当忘れても傘忘れるな」と言われたものだ。晴れ上がるのは西高東低の冬型気圧配置が崩れて移動性高気圧がやってくるときだけである。それも寒気が残っていると晴れ上がらずぐずつく。
 日本海側の山間は数メートルもの大量の降雪を見る。こんな降り方は世界的に珍しいらしい。大陸の高気圧から吹き出される冷たい気流が日本海を北上する対馬暖流に触れて大量の水蒸気を発生させ雪雲となる。それが日本列島の脊稜にぶつかって大量の雪を落とすわけだ。日本海がなかったら、対馬暖流がなかったらこんな大量の降雪をみることはない。こんな地理的気象条件があるのは世界的に稀なのだ。
 
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ジャウ峠から昨日巡ったセラ山群が望まれる。見事な2層パンケーキだ。
 
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マルモラーダの女王様も。ちょっと引き寄せている。
 
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峠にはこんな尖塔がニョキニョキつい立つ。
 
 ガイド君が案内するスキーツアーは今日が最終日。行き先はチベッタ山域だ。コルチナ・ダンベッツォの南西、ファルツァレーゴ峠の南に位置する。バスはファルツァレーゴ峠の手前を左折してジャウ峠を越えて行く。ファルツァレーゴ峠越えの際に左手に望まれていたチンクエトーリやアベラウなどの奇岩の反対側を回り込んでいく。ガイド君はヌボラウ(Nuvolao)という岩峰の脇を通過するとき、「ここの岩は回りの岩に比べて小さく崩れています。第一次世界大戦の際、オーストリア軍とイタリア軍が戦った時砲弾で崩れたんです」と紹介した。ゲレンデマップを見ると「第一次世界大戦ツアーコース」がファルツァレーゴ峠からこの辺りに南下してきている。峠を越えると、ゲレンデ一本、リフト一本というような小さなスキー場が点在している。ガイド君は「あそこの小屋は改装されました」と紹介したが、大きく、かつ高度のあるスキー場にスキー客が吸い寄せられて経営は大丈夫かと思ってしまう。むろん峠を越えてファルツァレーゴ峠側のチンクツェーリスキー場に繋がってはいるのだが。しかし料理のよさでリピーターを引き寄せているようだ。
 
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モンテペルモ。この岩峰は角度を変えてもあまり姿を変えず、どこから見てもそれと分かる。「ドロミテの灯台」という愛称があるのも頷ける。
 
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チベッタ。この山は奥へ奥へ長稜が伸びている。横へ回り込むとがらりと姿を変える。
 
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ヘルメットとゴーグルを付けること以外、特別に日焼け止めの対策は取らなかったがほとんど焼けなかった。焼けなくなったことも加齢現象か。
 
 チベッタスキーエリヤのペスカル(Pescul)に着く。リフトでスキー場に上がるとモンテペルモ(3168メートル)の岩峰が目の前だ。その麓の斜面には見慣れたチロル風の建物が点在。まずは足慣らしでリフト一本滑り込む。さほどゲレンデは長くないが北側斜面とあってまずまずの雪質だ。上がり直してリフトを乗り継ぐと反対側にチベッタ(3220メートル)が見え出した。こちらは独立峰のようなモンテペルモと違って長い岩陵が奥へ続く。岩の斜面にジグザグが切られている。登山道だ。山上湖があってそこまでハイキングコースがあるという。頂上へは夏道はなく、その先はロッククライミングの世界だ。
 雪がかろうじて残っている連絡路を長々下って登り返す。チベッタが奥に奥に長い稜線を伸ばしている。モンテペルモの方はほとんど姿を変えない。いくつかゲレンデを滑り込んでから、チベッタの岩峰の手前の岩尾根の間に回り込んで行く。岩壁の日陰の斜面は雪が締まり快適な滑降だ。耳元を風切る音に酔いしれながらランチタイムの山小屋に着いた。ここはピザ専門の山小屋風のレストランだ。ピザといってもかなりの種類がある。9人のメンバーがそれぞれ異なるものを注文し、シェアして食べることになった。その方が様々なピザを
食することができる。一皿のピザを9コマに刻むことは難しい。8コマに刻んで9人で食することにした。1人が食いはぐれることになるが、馬鹿でかいピザだから一切れ二切れ食いはぐれて丁度分量がいい。
 最初に滑った斜面に戻る途中、搬機の隣に座ったガイド君が「このリフトは今年架け直しました」というので、「日本ではスキー客が減っているし、閉鎖されてきているスキー場もあるというのに、投資できるというのはイタリアではスキーが人気を保っているんですね」と相槌を打った。ガイド君は意外にも「スキーはブームであってはいけない。文化として定着させなければならない」という。スキーに限らないが、一時のブームというのは過ぎ去れば過剰な投資となってしまう。スキーを文化として定着させることが安定したスキー客を呼び込むことになる。スキー客の減少は海外スキーツアー会社にとっても他人事ではない深刻な問題だ。今回のツアーメンバーをみても海外スキーに出かける人は、リタイアして時間的にも資金的にも一定程度余裕のある中高年だ。その中高年はさらに高齢化して確実に減っていく。それに続く世代が減少しているのだから、海外スキー会社の将来をも危うくする。
 文化としてのスキーを定着させるには何が必要だろうか。それを考えさせてくれるヒントがある。ガイド君はイタリアのスキーハイシーズンは2月だという。ということは海外側からいえば2月は避けるのがベストである。雪質を考えれば1月下旬か3月上旬を選ぶべきというのだ。では何故イタリアで(ヨーロッパではと置き換えられる)2月がハイシーズンなのか。ガイド君は「スキー休暇」ともいうべき休暇の取り方があるというのだ。スキー文化が定着するには働くルールと働き方、休暇の取り方と家族との過ごし方という根本的な問題が横たわっているように思われる。

 
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姿を変えたチベッタ。奥に伸びた稜線を横から眺めている。
 
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ランチタイムを取ったピザ専門の山小屋風レストラン。古いスキー板が展示してあった。
 
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大きな皿に乗せられた様々な種類のピザが出される。これに各種のスパイスを振りかける。
 
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前景の地肌はちと残念だが、チベッタはなかなかいい形の岩峰だ。夏は一般ハイカーが山頂直下まで足を伸ばせる。
 
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ホテルの女性従業員がチロルの民族衣装を身につけてキャンドルディナーサービス。コルチナは南チロルと呼ばれるほどにチロルそのものの風俗だ。
 
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ツアーメンバーはほとんどリタイア組。若い頃のスキーを復活させたという人が多い。山スキーを高じる人もいた。ヨーロッパアルプスやカナダのスキー場を梯子している人が多い。
 
 ガイド君が「今日の仕上げは自由滑走。かなり長いコースです。多分下の方は緩んできて荒れていると思いますが自分の力量に合わせて滑ってください」としんがりに付くことになった。それに気をよくしてガンガン飛ばす。途中で先行者を抜き去り、さらに「ガンガン組」のメンバーも抜き去ってしまう。性格丸出しの滑降だ。下部は荒れてきた。ほとほと疲れてきたが一気に滑り降りる。メンバーが降りてくるまで相当待たされた。ホテルへのバスの中で耳を傾けていると、みなさん腐った雪に手こずり、膝の筋肉はパンパンになったようだ。日頃山を歩いている効能だろうか、少々の荒れたバーンでも堪えられる足腰に鍛えられているようだ。
 帰りのバスの中でガイド君から板のチューンナップのサービスが紹介された。29ユーロだというから日本の価格の半分以下だ。しかもホテルで引き取ってくれ送り届けてくれる。これまでなかなか上級域に入れない自分の足前では板の性能は影響しないのではと板は使いっぱなしだった。しかし明日最終日の自由滑走を前に少しでも滑りの足前を上げたいという願望が生まれた。チューンナップに出すことにした。
 今宵はキャンドルディナー。従業員の女性たちがチロルの民族衣装を身につけてもてなしてくれた。
■3月21日(水)快晴 セラロンダ
 
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赤が時計回り緑が逆回り。4つのスキー場エリアをジグザグにひと回りする。僕らは右上のコルバラからスタートした(現地のゲレンデマップはイタリア語なのでネットから日本語表記付き画像を借用)。
 
 4日目も快晴に恵まれる。今日は今回のスキーツアー最大のイベント「セラロンダ」。セラはこれまで触れてきたように、ドロミテ山塊の中の大きな岩峰の山群のことである。最高峰はピッツ・ボエ(Piz Boe)3151メートル。セラは「セッラ」と表記されることもある。ロンダは英語のroundに当たる言葉で「ぐるっと一回り」という意味だ。この山群を取り巻くロープウェイやリフトを使って一回り滑走することをセラロンダという。もっとも一回りするといっても、周辺の4つのスキー場エリアのロープウェイやリフトを乗り継ぎながら回るのでジグザグ回りだ。一回りは約50キロ。πで割れば直径15キロほどの円を一回りすることになる。峠越えでいえば4つの峠を越える。滑走距離でいえばそのうち半分はロープウェイやリフトを使うからその半分の25キロほどを滑るということになる。厳密にいうなら逆回りもしてこそセラ山群を取り巻くゲレンデをすべて滑走したということになるだろう。空いている時期に朝一番にスタートして昼食はゴンドラの中で取るという芸当をすれば逆回りまで可能らしい。
 なおネットの記事で知り得たことだが、ドロミテにはセラロンダ以外に、グランデ・グエッラというツアールートがある。現地でもらったゲレンデマップにも「GRANDE GUERRA SKI TOUR」と明記されている。グランデ・グエッラとは第一次世界対戦のことで、この辺り一帯でオーストリア軍とイタリア軍の激戦が繰り広げられた。その戦場が点在しているところを中心に滑るものだが、リフトなどが整備されてツアーコースになったのは2000年頃からだという。場所はセラロンダの近くで、時計回りと逆回りがあり、距離はセラロンダより長いうえにマルモラーダの氷河を滑降する変化に富み、人気が出つつあるようだ。実はファルツァレーゴ峠か
らロープウェイで上がったラガッツォイ展望台から滑降したツアーコースはこの「第一次世界大戦スキーツアーコース」の一部だったのだ。
 第二次世界大戦は日本が直接侵略戦争にかかわったのにたいして、第一次世界大戦は直接関わっていないので身近に引き寄せて考える機会が少ない。しかしヨーロッパ人にとっては深刻な戦争だった。何しろ地続きの隣国同士のオーストリアとイタリアが血みどろで戦ったのだ。戦争はどんなに美化しようとも醜い事実を引き起こすものである。東洋のどこかの「大国」では第二次大戦で引き起した、従軍慰安婦や南京事件など都合の悪い事柄を隠したり否定することに熱心である。しかしあの戦争が「正義の戦争だった」とは言えず、その時々の為政者は「歴史が評価を下す」と逃げた答弁を繰り返す。それに対してイタリアに限らずヨーロッパ諸国では戦争に向き合い、戦争が引き起こした実実を直視する姿勢が根付いている。それは「過去に眼を閉ざす者は、未来にたいしてもやはり盲目になる」(ヴァイツゼッカー元独大統領)という名言の精神があるからだ。
 スキーツアーのコースに「第一次世界大戦コース」とネーミングすることにその精神が発揮されているように思われる。ツアーに参加して戦争の傷跡を思い起こすことも意義あることだろう。このスキーツアーコースは今後開発されていくようだが、このような努力もドロミテにリピーターが多い理由のようだ。ヨーロッパアルプスに「オートルート」(「高き道」の意)というスキーツァールートがある。アルプスの最高峰モンブランの麓・シャモニーから氷河や峠を越えてマッターホルンの麓・ツェルマットへ山小屋に泊まりながら山スキーで1週間かけて大縦断する山岳ルートのことだが、ともあれヨーロッパ人はぐるりと回ったり、大縦断することがお好きのようだ。
 セラロンダはドロミテを代表する人気コースで、ヨーロッパのスキーヤーの夢だという。ということで午前中に稼いでおかないとゲレンデが荒れてしまう。それで今日は「イタリア時間」の8時ではなく7時から朝食を取り、8時ホテルを出発。昨日のアルタバディアの終了地点・ラビラの隣のコルバラへ1時間バスに揺られる。昨日越えたファルツァーレーゴ峠を再び越える。この峠は何度越えても素晴らしい。標高が高いのでまだ一面に雪景色が残っているし展望もすこぶるいい。
 
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コルバラからロープウェイで上がった降り場付近は大変な混雑。空いたところへ一滑りしてガイド君から説明を聞く。
 
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しっかりガイド君の説明を聞いてスタート。奥に見えているのがマルモラーダ。ガイド君は「どんどん大きくなってきますよ」と期待を持たせてくれる。
 
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赤が時計回り、緑が逆回り。はぐれても赤の表示をたどっていけばスタート地点に戻れる。
 
 コルバラのロープウェイ乗り場は大変な人出だ。次々大型バスが到着する。乗り場は押し合いへしあいの盛況。人気のほどが知れようというものだ。日本でもいえば百名山巡りみたいなブームがあるのだろうか。ここからロープウェイで上がる。かなり長いロープウェイだ。降り場も大混雑なので一滑りして移動してからガイド君の説明を受ける。セラロンダは時計回りと逆回りがあるが、時計回りの方が易しい。僕らも時計回りをやることになったが、万が一はぐれた場合は赤い標識を見ていけばいいとのこと。因みに逆回りは緑色の標識だ。マルモラーダが見えている。
 滑り降りてカンボ・ロンゴ峠を越える。登り返してアラッパに滑降。ここからはアラッパモルモラーダスキーエリアだ。ロープウェイが繋がっておらず、板を脱ぎ担いで街中をしばらく歩かなければならない。次の駅舎は車道をまたいでちょっと小高いところにある。そこをスキー靴で登るのは大変。ここにはさすがにスロープコンベアが設けられており助かる。
 
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回り込むにつれ刻々とセラ山群が姿を変える。
 
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アラッパに滑り込む。高度が下がり南向き斜面とあって雪質が緩む。いったん板を脱いで隣のスキーエリアに歩くなど、テンションが下がるところもある。
 
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セラ山群がパンケーキを2層にしたように見える。傾いた地層が多い中でこれは珍しい。地殻変動を繰り返した結果であって最初から水平ではなかっただろう。

 刻々とセラ山群の姿が変わる。この辺りから眺めるセラ山群はパンケーキを2層にしたように見える。斜めに傾いた地層の岩峰がほとんどの中にあって、ここから見るセラ山群は真横に太い地層が走りたっぷり冠雪している。そして遠望していたマルモラーダがみるみる近づき大きくなってくる。ポルタベスコボ(Porta Vescovo)に登り返すとマルモラーダが真ん前に大きい。他の山は岩峰で雪がほとんど付かなかったり地べたが見えはじめていたが、マルモラーダは完全に白無垢である。レストラン風山小屋の展望台に立って飽かず眺め入る。
 ドロミテの岩峰の多くは尖塔であったり、ずんぐりした巨大な岩の塊であったりするが、マルモラーダはゆったり両翼にウイングを伸ばしている。氷河は左手の岩陵直下に伸びていそうだ。目を懲らすとその雪の斜面にリフトが伸びているのが認められる。ゲレンデマップで確かめるとそのリフトとは別のロープウェイが左手(東側)の谷を跨いで掛かっている。高度は3250メートル。3343メートルの山頂近くまで伸びている。恐らくドロミテ山塊の最高所に架かるロープウェイだろう。氷河の中を滑り出てさらに山麓を滑降してたどり着くロープウェイ乗り場、マラガ・チャペラ(Malga Ciapela)の標高は1446メートル。標高差は実に1800メートルにも及ぶ。ああ、ここを滑って見たかった!
 ここで女王さんは見納めとあって、ツアーのみなさんは記念撮影に余念がない。滑降しボルドイ峠へ登り返す。ボルドイ峠に近づくとセラ山群の岩壁が間近に迫る。垂直の断崖絶壁の上に雪をいただくセラ山群の一つのピークがちょこんと乗っかっている。まるでコロラド峡谷と見間違うほどだ。ドロミテの東の町コルチナ・ダンベッツォと西の町ボルツアーノを結ぶドロミテ街道も峠を超える。街道はゲレンデの下を通しており、スキーヤー優先だ。ここは冬でも車が入ることができるとのことだ。

 
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マルモラーダが真っ正面に見える。眼を懲らすと山頂から左手の斜面にリフトが見える。ゲレンデマップを見ると左手の稜線下の谷から稜線を跨ぐようにロープウェイも架かっている。
 
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さあ、ボルドイ峠の鞍部めざして滑降だ。ガイド君の指示を聞く。
 
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角度によってはセラ山群がこんな風におとなしく見えるところもある。地肌が見えてパッチワークだ。
 
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ボルドイ峠は冬も車が入れる車道が通じている。ゲレンデが車道を跨いでいる。
 
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ボルドイ峠に出ると3つの岩峰からなるサッソルングが望まれる。
 
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セラ山群がコロラド峡谷のように絶壁に。その上に雪を付けたピークの一角がちょこんと乗っている。西部劇の舞台のようだ。
 
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サッソルングめがけて大滑走だ。
 
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滑走の前にサッソロングをバックに記念の一枚を。
 
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近づくとこじんまりして迫力がなくなったサッソルング。上の写真でいうと岩峰の基部の白い部分に立っているので高度感がなくなっているからだ。
 
 峠からは3つの岩峰を連ねる巨大な岩山を遠望。サッソルング(3181メートル)だ。その岩峰目掛けて大滑降である。ガイド君は「サッソルングを目の前に望むレストランでランチタイムを取ります」と宣言。そこで5分の3を回ったことになるとのことだ。半分を過ぎたらスタート地点に戻っていることになるのだが、どんどん奥に入り込む感じだ。ガイド君は「3つの岩峰のサッソルングはこの先で回り込むと一つの大きな岩峰に姿を変えます。ルングとはイタリア語で長いという意味です」。大きく曲がり滑り込むとアレレ、一番手前の岩峰が横長のずんぐりした岩峰に姿を変えてくる。まったくの豹変にどうしてこんなに見えるのだろうかと不思議に思ってしまう。存分滑り込んで登り返すとサッソルングを目の前にしたレストランだ。団子付きのパスタを注文。これまたもてんこ盛りだ。驚いたのはデザートのフルーツポンチだ。それだけでも腹一杯になりそうなてんこ盛り。これも折角なので胃に押し込んだが、こんなことを続けていたら間違いなく病気になってしまうだろう。
 滑り込み再び登り返すとサッソルングの岩塊は小さく遠のき、セラ山群の北側に回り込んできた。午後の光が右横から当たるようになり、セラの岩壁に彫りが出てきた。ほれぼれするような岩壁を横目に見ながらぐんぐん降りていく。再び登り返すと見覚えのある風景が近づいてきた。もうゴールは近い。予定通り午後3時30分スタート地点のコルバラに着いた。
 
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 グループがばらけないよう中間の集合場所を確認し合う。
 
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3つの岩峰だったサッソルングが回り込むとこんなずんぐりむっくりの岩峰に大変身。
 
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セラ山群の北側をぐんぐん滑走してスタート地点コルバラに戻った。
 
 
 
 
 
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岩峰群を眺めながら滑降クルージング。眺めに気を取られているとコースアウトしたり、転倒しかねないので要注意だ。しかしこの絶景にはついつい眺め入ってしまう。
 
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ガイド君が「右下にスコットニー小屋が見えてきたよー」と指呼。眼を懲らすと大岩壁の麓に小さく見える小屋が見えた。
 
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小屋前で滑降してきたルートを振り返る。中央の岩峰の右手を降りてきた。
 
 平坦になる所まで標高差1000メートル、数キロのダウンヒルが続く。気温は高めだが谷間とあって陽射しが遮られ快適な雪質だ。得も言われぬ滑降が続く。ガイド君が「ずーっと下に小屋が見えてきました。あそこでお茶しましょう」と指呼した先の平坦地に山小屋がある。下ってから見上げると岩峰群の絶壁の下を見事にコースレイアウトされている。スコットニー小屋前にはてんでばらばらに板が脱ぎ捨てられている。ガイド君は「これイタリア式です」と笑いを誘う。「郷に入っては郷に従え」とばかりに僕らもイタリア式にならった。スキーヤーは小屋のベランダで飲食をしながら日光浴だ。僕らは紅茶を注文してしばし腰を下ろした。
 山小屋はドイツ語でヒュッテ、イタリア語でリフッジョ(rifugio。rif.と略される)。日本でもドイツ式に「○○ヒュッテ」とネーミングされた小屋も見かける。同じ山小屋と呼ばれるが日本のそれとは随分イメージが異なる。だいたい日本の山小屋は有人、無人を問わず登山者を泊めることを目的としている。有人の営業小屋も避難小屋的性格を有しているので予約なしでも泊めなければならない不文律がある。有人小屋なら食事は付いているが「料理を提供する」ことに主目的が置かれているわけではない。あくまで泊めることにある。日本のスキー場の中に山小屋などありはしない。あるのは大型のレストハウスだ。それに対してイタリアに限ら
ずヨーロッパではスキー場内に山小屋が点在している。主目的は料理の提供だ。だからレストラン風山小屋といった方が分かりやすい。もちろん宿泊もできるが予約が原則だ。
 ガイド君は小屋からちょっと降りたところで止まるよう指示を出した。指示された所は蒼い氷瀑群だ。滝ではなく岩壁から染み出た水が氷瀑を作っているようだ。ガイド君はここでも記念撮影サービスだ。

 
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氷瀑の前でガイド君が撮影。陽が射し込まない谷間なので氷瀑が発達するようだ。
 
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「ホースリフト」の馬君に「ありがとう」。2馬力でした。
 
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「Jバーリフト」で小高い丘に上がり、そこからロープウェイ乗り場へ滑り込む。
 
 長く続いた谷間のスキーツアーは限りなく斜度が緩んでフィナーレ。次のアルタバディアエリアへ行くには平坦地がしばらく続く。ファルツァレーゴ峠から僕らがツアーしてきた左手の山腹を巻いてきた車道が横切る手前で馬車が待っている。2頭立の馬ソリから伸びた綱につかまり引いてもらうわけだ。ホース(馬)リフトだ。もちろん有料。業者はこれで生業を立てているわけだから、到着するたびに出発するという、非効率なやり方はできない。スキーヤーが一定人数溜まるまでしばらく待たされた。30人ほどが溜まると出発。下半身に微妙なテンションを保たなければならないがすぐに慣れた。
 誰ひとり転倒することもなくアルメンタローラに到着。距離にして1・5キロぐらいの牽引だったが、板を履いてこいでいくのもつらいし、さりとてスキー靴で板を担いで歩くのもつらい。利用価値のあるホースリフトだ。恐らく馬ソリの牽引リフトというのはここだけのことだろう。さらに小川沿いのコースをゆるゆる進むと、Jバーリフトで引き上げられる。日本ではTバーリフトと呼ばれているものだ。何故Jバーリフトというのかといえば、ワイヤーから吊されている器具がJに似ているからのようだ。搬送の原理は日本のTバーと同じ。ただここのJバーリフトは股に挟む器具が円盤なので挟むときの失敗が少ない。Tバーリフトの場合はTの器具を太股にTの「一」を直角に挟まないと不安定になる。斜めに挟んでいるとすっぽり抜けて転倒する場合だってある。Jバーリフトの方が一日の長がある。
 Jバーリフトで丘に上がると、ニョキニョキ天を突く奇岩とその山麓の丘にチロル風の建物が散在する谷を見下ろす。こんな風景があちこちにある。いったん滑り込んでリフトを乗り継ぐと四方八方広々とした明るいアルタバディアのスキー場が現れた。高度差はさほどないが、こんなに伸びやかで明るいスキー場というのを見たことがない。もう見え出した地肌と雪原がパッチワークのように広がる。スキー場に地肌が見え出したら醜いものだ。それはスキーヤーの目から見ればのことであって、見方を変えれば自然の造形が作り出した見事なパッチワークデザインだ。その広々としたゲレンデの奥には明日巡るセラ山群やマルモラーダ、そして尖塔のサッソンガー(2665メートル)が天を突いている。この岩峰はこの辺りのランドマークだ。

 
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岩峰の麓は丘陵。点在するチロル風の建物。こういう光景はあちこちで見られる。
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アルタバディアのスキー場は広々として明るい。まず目に付くのは尖塔の岩峰・サッソンガー。このスキー場のランドマークだ。
 
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明日巡るセラ山群。あの大きな山の周りの4つのスキー場を巡ってセラ山群を一回りするのだ。
 
 ランチタイムの後、今日の終着地ラビラに向かって滑降。広いゲレンデ脇で何やら盛り上がって大会をやっている人だかりがある。ガイド君は「草大会ですよ。イタリアに限らないけど様々な形の草大会があります」という。こういう草の根のスキー熱があってこそ広大なスキー場を支え、金メダリストも育まれるのだろう。日本ではスキー人口が減り始めて久しい。ゲレンデを占有しているスノーボーダーも減り始め、閉鎖されるスキー場も出てきている。スキー文化が衰えるというのは残念なことだ。
 
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昼食は「海の幸スパゲテイ」を注文。大皿にムール貝がてんこ盛りのが出てきた。見るだけでげんなり。スパゲティはきしめんのように平べったい。
 
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オーストリアアルプス山脈を遠望。国境まで50キロ足らず。ヨーロッパアルプスの東端であるオーストリアは高度はドロミテクラスだが、緯度が高い分雪はたっぷりのようだ。
 
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ワールドカップコースを滑降し終着地・ラビラへ。かなり急峻なうえに雪が緩み荒れ出している。尻餅つきながら滑り終えた。
 
 進む先に真っ白の山脈が遠望されてきた。はてどこの山脈だろうか?ガイド君に聞くと「アルペンスキー発祥の地、オーストリアアルプスだ」という。元々スキーは雪原を歩く手段として北欧で生まれた。それをアルペン滑降に完成させたのはオーストリアなのだ。コルチナ・ダンベッツォがヴェネチアの北だからそこより北側に見えるのはオーストリアとの国境だなと頭の中で地図を描いた。数箇所を移動しながら滑降した後、ワールドカップJA競技会場にもなるという急斜面をラビラに滑り込んだ。急斜面の途中ガイド君がワールドカップスローラム(回転)のスタート地点を紹介。何と丸太小屋だ。最後もう一度この急斜面に挑戦。疲れて踏ん張りがきかず尻餅をついた。
 今夕の夕食はホテルではなく、地元の牧場主が「自社」生産している肉や野菜を使ったレストランで取る。むろんこの料金はツァー代に含まれている。ガイド君によるとこういうスタイルのレストランが増え出しているとのことだ。食事の良し悪しはスキーツアーであっても重要な要素である。夕食をホテルとは別の場所で取るというのはツァー企画に変化を持たせていると感心する。ちなみに連泊しているホテルの夕食のメニューは一人一人選択できる。朝食時に当日夜のメニューが示され、好みの物をチョイスすることになっている。これもなかなかユニークだ。
 タクシー相乗りで10分ほど走った高原のレストランへ。牧場の中のレストランだから牛の糞香がちと漂うのは致し方ない。食事中に簡単な自己紹介があった。東京からの参加者が「最高齢になると思いますが72才になってもスキーを楽しんでいます」と挨拶したのを聞いて、ついつい「18才から山を、その延長でスキーを楽しむようになりましたが、80才まで楽しみたい」などと夢みたいなことを言ってしまった。ウッデイな館でしばし会食を楽しんだ。
■3月20日(火)快晴
 
 今朝も早朝に目覚めて外をみると満天の星が出ている。今日は快晴だ。夜が白むのを待つ。トファーナ(3243メートル)の岩峰が赤く燃えてきた。ベランダの手すりにカメラを押しつけてスローシャッターでモルゲンロートのトファーナを撮る。相方に誘われてホテルの裏手の丘に登ると岩峰がすごい迫力だ。ゲレンデマップで調べてみるとポガマニョンというクリスタッロから派生する岩尾根だ。昨日トファーナへ一つロープウェイで上がったところから目を見張った、あの岩峰でもある。クリスタッロはこの岩尾根に隠れて見えない。
 
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3日目の朝、モルゲンロートに染まったトファーナが望まれた(拡大してみれます。以下同じ)。
 
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もう少し前の時刻のトファーナ。刻々とモルゲンロートが変わっているのが分かる。
 
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初日に望まれたヌボラウ(左)やアベラウ(右)が快晴の空にくっきり浮かび上がる。ちょっと引いて(望遠側にズーム)撮っている。
 
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カメラを左に振るとクローダ・ダ・ラーゴ(右)が望め、それより左側の山並みを遠望。
 
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ローダ・ダ・ラーゴを引き寄せる。露出を落とし空の青を強調
 
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引くのもよいがこういう前景を入れるとなお見栄えのいいローダ・ダ・ラーゴになる。高度感も出ている。
 
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ホテルの後ろに迫った大迫力のポガマニョン。
 
 ガイド君は「チベッタに行く予定をしていたが、今日は絶好のお天気なので展望がいい、第一次世界大戦スキーツアーコース〜アルタバディアに変更します」と宣言。「それは第一次世界対戦の激戦で岩に弾丸の跡が残っているというところですか」と質問する。事前に調べてきたネットの記事の中にそういう下りがあったことを思い出し確かめたのだ。ガイド君は頷く。スキーにきて歴史の勉強でもないだろうが、戦争の傷跡を見ることは第一次世界対戦という、日本人にとって時間的にも空間的にも遠い世界史の大事件が身近に引き寄せられる。
 今日からツアー会社がチャーターした専用バスで移動だ。1日目よりちょっと早い9時出発。まずはファルツァレーゴ峠(2105メートル)に向かう。峠に近づくと全面雪景色に変わってくる。チンクエトーリやアベラウなど奇岩が目に入ってくる。それらの奇岩の麓に小さな規模のスキー場が点在している。規模は小さくても子ども向けだとか練習用だとか、そのスキー場の特色を出して集客の努力をしているようだ。車窓の右手にトファーナから続く岩峰群が目を見張る。
 
 
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 うっひょう、あの大岩壁に中間の支柱なしでロープウェイが架かっている。標高差は700メートル近い。ゴンドラが小さく見えている。
 
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ロープウェイで一気に上がると ラガッツォイ展望台。手前でポーズを取るのは相方。若く見えても古希を迎えた。ちょっと衰えもあるがまだまだ元気だ。
 
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ドロミテ山塊の最高峰・マルモラーダ。まだ遠いので引き寄せている。逆光なので画像がちょっと眠いのが残念。氷河は左側の斜面だろうね。ここを滑ってみたいものだ。
 
  ファルツァレーゴ峠で下車。目の前に絶壁をなすラガッツォイ展望台のある大岩壁(2778メートル)がつい立っている。峠との標高差は670メートル余り。そこにロープウェイが中間の支柱なしに一気に架かっている。ロープウェイ乗り場の裏手に第一次世界対戦で使われた大砲が置かれていた。道路側のバスの中から見えたのですぐ分かった。すぐゴンドラに乗り込まなければならないので近づいて見ることができないのは残念。ここのゴンドラの扉はちょっと変わっていて上の方にスライドする。ガイド君は「ギロチン扉が閉まるよ」と面白可笑しくいう。扉が降りてくるのが断頭台の斧が落ちるのに似ているからだ。しかしこの扉は合理的である。ロープウェイのゴンドラの開口部を目一杯取ることができるので短時間に乗客を乗降させることができる。
 ネットの記事にイタリア兵がオーストリア兵が攻め入ってくるのを狙撃した弾痕が岩肌に見えると紹介されていたので目を懲らす。岩壁まで距離がありそれは難しい。5日目にチベッタエリアへ滑降しに行ったが、ジャウ峠付近のヌボラウという岩峰の麓でもガイド君は「岩が砕かれているのは砲撃のためです」と説明していた。岩をも砕く大激戦があったのだろう。
 ファルツァレーゴ峠の展望台に立つと日本離れした大展望が開ける。これまでにも目を見張る風景を目にしてきたが、大展望といえるのはここが最初だ。心配された雪不足どころか、白銀の山並みが広がっている。しかしまだ山並みになじみがない。それと分かるのはドロミテ山塊の最高峰・マルモラーダ(3343メートル)だ。「ドロミテの女王」と呼ばれる。イギリスでも女王制度だしヨーロッパ文明では女性上位が文化のようだ。望遠側にズームすると山頂付近に氷河をいただいているのがはっきり分かる。マルモラーダはドロミテ山塊では氷河を擁する数少ない山だ。ここも滑走可能なエリアだという。最終日は自由滑走。是非ここに行きたい。ガイド君に「マルモラーダに行きたいが」と持ちかけると「遠いし、初めての者がガイドなしで行くのはお勧めできない」と止められた。残念。
 明日巡る予定のセラ山群はまだ遠い。周りに目を移すと見覚えのある岩峰だ。ツアー会社のパンフレットの表紙を飾っていた岩峰ではないか。ゲレンデマップで調べてみると、トファーナ・ディ・ロゼスという岩峰だ。その岩峰の下を滑走するスキーヤー。その雄大さに引き込まれた。この一枚の写真もドロミテを選んだ有力材料だった。岩峰に昨日降った雪が岩溝にうっすらとへばり付いている。規則正しく幾重にも走る地層にはよりしっかり雪が付く。無機質の岩壁にアクセントを作り出している。
 ラガッツォイ展望台直下からやや急な斜面のゲレンデが伸びる。滑り出しに立つとキュッキュッと懐かしい音がする。新雪の音だ。昨日降った雪の量はわずかな量だが音は一人前である。次々スキーヤーが滑走していく。一段と華麗なフォームで滑り降りて行くのはテレマーカーだ。あの膝を曲げてひざまずくようにターンする独特のフォーム。もっと若かったらテレマークをやってみたい。もうワクワクである。ガイド君のスタートの合図が待ち遠しい。
 ガイド君は「展望台直下を滑り降りるとT字路になる。右に取ればロープウェイ駅に戻るし、左を取ればアルタバディアへツアーコースに入ります。このバーンを一度だけではもったいないので右にコースを取り、ロープウェイでまた上がって来ましょう」と嬉しいことを言ってくれる。ガイド君は「このツアーコースは第一次世界大戦スキーツアーコース」と紹介した。もうむずむずした身体が待ちきれない。ガイド君に次いでゲレンデに飛び出した。適度に急な斜面、適度に荒れた斜面。快適に弧を描く。上体がガンガン前に出る。前傾姿勢が意識されるときはフォームに攻撃性が出て好調な時だ。快調さにご機嫌になってロープウェイ駅に戻った。
 
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目の前に見覚えのある岩峰が。ツァーパンフレットの表紙を飾っていたものだ。その名はトファーナ・ディ・ロゼス。トファーナの南端を反対側に回り込んできていることになる。
 
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展望台直下をテレマーカーが滑り降りていく。両手を広げ膝を曲げてターンする華麗なフォーム。突き当たりのT字路を右に行けばロープウェイ駅に戻り、左はツァーコースに入る。
 
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ちょっと滑り込むと第1次世界大戦コースの谷が開けてきた。トファーナの裏手の岩峰群との間の谷を滑降することになる。
 
 再び展望台に上がって今度はT字路を左にコースを取るとツアーコースに入る。ほとんどのスキーヤーは右折してロープウェイ駅に戻って行く。このツアーコースはリフトもロープウェイも一切ない下り一方である。だからこのツアーコースを楽しむためには、車利用ならファルツァレーゴ峠の駐車場に1台、ツアーコース終点か途中にもう1台回しておくか、公共交通機関を利用するしかない。我々はチャーターしたバスが終着点に回されることになっている。こういうスキーツアーは終着点からの足を確保した者のみがチャレンジできる。ということでツアーコースに入ると人影が少なくなる。岩峰群の間の谷を降りていく。谷といっても幅広い平原の中を行くような所もあれば、切り立った岩壁の合間の急斜面を降りる所もある。まったく日本離れした風景だ。次々現れる風景に見とれながらの滑降だ。見とれているとおっとっと、コースアウトだ。
 

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