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雪山讃歌
作詞/西堀栄三郎 作曲/モントロ−ズ 1.雪よ岩よ われらが宿り 俺たちゃ 町には住めないからに 2.シールはずして パイプの煙 輝く尾根に 春風そよぐ 3.煙い小屋でも 黄金の御殿 早く行こうよ 谷間の小屋へ 4.テントの中でも 月見は できる 雨が降ったら ぬれればいいさ 5.吹雪の日には 本当に辛い ピッケル にぎる手がこごえるよ 6.荒れて狂うは 吹雪か雪崩 俺達 そんなもの 恐れはせぬぞ 7.雪の間に間に きらきら光る 明日は のぼろよ あの頂に 8.朝日に輝く 新雪ふんで 今日も行こうよ あの山こえて 9.山よサヨナラごきげんよろしゅう 又来る時にも 笑っておくれ この歌もよく歌いましたね。この歌が作られた経過は以下のようです(ウィキペディアによる)。
1927年(昭和2年)1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎(のち第一次南極観測越冬隊隊長)が、冬場の雪で足留めを食らった際に、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」を話し合い、詩を書いた。それがこの曲である。
山岳部の仲間内で気に入っていたという『いとしのクレメンタイン(Oh My Darling, Clementine)』のメロディーに言葉を当てはめ、好きなままに詩を作ったということを、西堀自身が後に著書で明かしている。 この曲が世に出た時は、作詞者不詳とされたが、桑原武夫(京都大学人文科学研究所教授)が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税に拠って京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もある。 後に、鹿沢温泉に『雪山讃歌』の歌碑が建立された。 また、この歌の発祥の地である嬬恋村では、正午を告げる防災無線のチャイムに使用している。 では「いとしのクレメンタイン」はどうしてできたのでしょうか。これも二木紘三さんの解題でどうぞ。
世界各国でさまざまな歌詞がつけられており、わが国では、西堀栄三郎(元南極越冬隊長)らの作詞になる『雪山讃歌』がよく知られています。
この歌はゴールドラッシュのころのカリフォルニアが舞台になっています。
1848年、カリフォルニアのアメリカン川沿岸で砂金が発見されると、世界中から一攫千金の夢見る人びとが殺到しました。とくに1849年には10万人もの男たちがカリフォルニアに殺到したといわれています。原詞の1番にある「フォーティナイナー」は、そうした金鉱掘りを指しています。 余談ですが、ジョン万次郎も帰国の費用を貯めるため、金鉱掘りをしていたそうです。 歌詞は、金鉱掘りの娘が川に落ちて死んだ話を歌ったものです。金の夢にとりつかれて娘を未開の地に連れてきたあげく死なせてしまった父親――その慟哭が聞こえてきそうな歌詞ではありませんか。 この歌が世界的に知られるようになったのは、1946年に公開された西部劇『荒野の決闘』(原題はMy Darling Clementine)の主題歌に使われたことがきっかけのようです。
ジョン・フォード監督の手になるこの映画は、OK牧場の決闘を軸に、伝説の保安官ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)と元外科医の賭博師ドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)の交流、さらに東部からやってきたドク・ホリディの許婚者クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)への淡い恋心を描いたものです。
モノクロの美しい画面とクレメンタインのメロディーとが相俟って、この映画をただの活劇ではない詩情を感じさせる作品に仕上げています。 実在のドク・ホリディはペンシルベニア歯科大学卒の歯科医師でしたが、この映画では外科医(surgeon)となっています。
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根張りは、時代を感じますね。
リハビリ登山出来るまでに回復し、嬉しいです。(私事)
根気!大切と、実感です。




