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年明け早々から高見山から下山中捻挫して山にもスキーにも行けない。イギリスの著名な登山家で詩人のC.W.ヤングは「山の本を読むことも登山である」と言いました。山関係の本を読んで山に行った気分に浸ります。
田部井淳子「再発!それでもわたしは山に登る」(文藝春秋)は、二度目のがんの腹膜がんを患い、一旦寛解したものの脳に転移した2014年から亡くなる直前までの、闘病中の登山や講演、社会活動の記録だ。エベレスト登頂後も田部井さんは7大大陸最高峰を極め、各国の最高峰を巡り歩いていた。また東日本大震災後は、東北の高校生を励まそうと高校生を招いて富士登山のプロジェクトに取り組んでいた。
田部井さんの病気に向き合うスタンスは、「とうとうくるものが来たか、でもがんでよかった。がんはこうして話す時間があるからいいのだ。脳梗塞のようにばったりしゃべれなくなるのは大変だ」「がんでグラグラしてはいけない。受け入れつつ最大の時間を使って楽しもう」「病気であっても病人であってはならない」。
二人に一人ががんを患う今日、いつ自分が発症するかもしれない。最後まで明るさ、前向きの生き方を貫いた田部井さんから心構えと元気をもらった。
田部井政伸「てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方」(宝島社)は、同じ登山好きの夫婦のあり方、結果として田部井淳子さんをサポートすることになった夫さんからみた淳子像が描かれている。
「互いにやりたいことを事前に伝え、そのときどきで、どちらかが応援に回ればよい」「夫婦の間にはカレンダーがあり、『そこに(山の)日程を書き込んだほうが勝ち!』」
田部井淳子さんは、若い頃は谷川岳の岩登りに夢中になり、先に触れたように女性として世界初のエベレスト登頂者であり、7大大陸の最高峰を極めた著名な登山家だ。夫さんは淳子さんのネームバリューとは雲泥の差がある。山好き夫婦として夫さんが気負いもなく淡々と当然のごとくサポートした姿勢がいい。それにしても夫さんの妻に対する対等感というのは、どこで育まれたのだろうか。
そんな世界的クライマーも歳を重ねて山に向かう考えが変化する。
「ロープウェイを利用して上まで上がり、爽やかな山の空気と荒涼とした火山の光景を眺めながら散策し、足もとに風雪を乗り越えて咲く高山植物を愛でたとき、『そういう登山、その人に合うような登り方、楽しみ方があっていい』」と。
我らシルバー世代もこういう楽しみ方にぼつぼつシフトしていかねばなるまい。
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「山の本」の紹介と感想
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コメント(4)
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これまでクマに関する本はこれまで何冊も読みましたが、本書は実際襲われた6つのケースをノンフィクションライターならではのリアルな筆致でレポートしている。
登山者はクマのテリトリーに入るのだから、クマに遭遇することはありうると思っているが、自分が遭遇するとは多くの人は思っていない。
私も50年以上山を歩いているがクマに出逢ったことはない。それはクマがいなかったのではなく、鈴やラジオを着けて歩いているのでクマがいても遠ざけた結果だと思っている。 それはさておき、クマと出逢っても一定の距離がある場合は、刺激しないようにしながら静かに後退りして離れるというのが一般的な対処法である。しかし出会い頭(至近距離)でクマと遭遇してしまった場合、この対処はできない。至近距離の場合はほとんどクマとにらみ合いとなり、格闘になっている。 にらみ合いの末、クマが逃げたというケースも紹介されているが、多くの場合引っ掻かれクマが馬乗りになり首筋の急所を狙われてきている。頸動脈をやられたらアウトだ。両手を首の後ろに回し頭を抱え込むようにして頭部と首を防御する姿勢を取り、クマが立ち去るのを待つことだ。 そこで思うのだが、ヘルメットをかぶっていると頭部は完全に守られる。クライミングや岩場の通過の場合だけでなく、一般コースを歩く場合でも最近ヘルメット姿を見かけるようになったが、クマ対策上も有効だと思う。風防付きジャケットならとっさにかぶれば完全でないにしても首を守ることに役立つと思う。 万が一に備えることは考えだしたら切りがない。しかし本書で紹介されている事例は、冬眠しているはずのクマが上越国境の雪山に出没している。本来臆病なクマが人には近づかないのに観光客があふれている乗鞍岳の畳平駐車場に出没している。奥多摩では休日に人出があった山頂付近に現れている。近畿の近場では高島トレイルで遭遇している。 帽子の代わりにヘルメットを、ジャケットはできるだけ風防付きというのは、考え方次第だと思う。
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モンベルは押しも押されぬ登山、アウトドアのメーカーに成長した。私もモンベルの製品を愛用している。そのモンベルの創始者の経営哲学に関心があって読んだ。
今の企業経営は短期完結型の収益至上主義がはびこり、株価を上げることにやっきになっている。株価を維持し上げるためには、容赦なくリストラをすすめ、賃金の安い非正規社員を雇用する。「株価資本主義」ともよばれる。その結果、技術の継承が廃れ、人材が失われ、結果として企業競争力が落ちている。かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛され、終身雇用制度を典型とする日本型企業経営は姿を消している。
著者は「経営者は株主の顔色を見て、儲けるための方法論でしか物事を考えなくなっている」と批判する。30年後を見据えて起業し、収益を中長期の視野において立てて経営戦略を立てている。
モンベルは終身雇用制度を前提に若者を採用している。人を採用すれば、どうしても期待する働きができない社員が出てくる。その場合首は切らない。「ただただ時間をかけて教えるか、その人の特性にあった仕事を見つけ出すしかない」と言い切っている。それはモンベルが障害者を積極的に雇用していることについてもいえる。人を大事にする企業風土が組織を成長させているのだろう。
有償モンベルクラブ会員制度は異彩を放っている。ポイントカードはほとんどの場合無償だが、モンベルの場合有償だ。しかも毎年1500円の会費を払い続けなければならない。その会員が50万人に達し、それが中長期経営の基盤となっている。67年の長きにわたって中日新聞が発行してきた山岳雑誌「岳人」を今年8月からモンベルが継承したのも、この会員制度があってこそ読者は獲得できると決断したことを述べている。
著者は企業の社会的責任ということにこれまで多くのことを発信してきた。その第一はユーザーに支持される商品を提供することにあることはいうまでもない。それにとどまらず阪神大震災や東日本大震災の際の救援活動は、アウトドア会社ならではの救援活動を展開した。それを売名行為と批判することはたやすい。しかしモンベルの企業行動は、社会との連帯、自然との共生がどうあるべきかを考えさせられる。
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著者は富山県警山岳警備隊長を経験し、退職後は登山教室を主宰。その卒業生などと富山県の山を中心に登山活動をしています。表題の「アルプス交番」というのは実在しません。
著者は警官でしたから上から目線の文章がちと気障りですが、それをさておいても現役時代山岳救助を多数経験しているだけに、参考になることが少なくないです。 山はちょっとした判断ミスが遭難、事故につながります。遭難、事故を回避するためには危険を予知できるようになることを至る所で強調しています。
著者が言いたいことは、登山は自己責任でやる行為、登山者は自立せよということです。
もう51年も山を歩いていて慢心になることを恐れます。この一書を読んで自戒としました。
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7月に北海道の山旅をした際、十勝の剣山の登山口は剣山神社でした。そこの登山道入り口に数十体の石仏が並んでいてメンバーから「神社なのに何故石仏が並んでいるのか」と疑問の声が上がりました。しかし昔は神仏習合・神仏和合の風習が広くありました。今も神棚を祀りながら仏壇を置いているという風に一般家庭の中にも広くあります。
そんな問題意識があってこの本を手にした次第。現役の金峯山修験本宗宗務総長が書いた本だけに類書よりわかりやすい。とくに著者の神仏和合の宗教観がよく出ていて興味をひきました。明治政府が神仏分離令を出したことで廃仏毀釈の運動が広がったことはよく知られていますが、何故そのような宗教弾圧を引き起こすようなことが行われたのかもよく分かりました。
以下私なりに理解した本書の要約と感想です。ここでは修験道そのものについては省略します。
八百万の神々が宿っている倭の地に大陸から新参者がやってくるや天皇や貴族がこぞって帰依し、仏教を国教としその教えで国づくりを始めた。しかし高邁な哲理に満ちた真言密教を信じたのは支配階級の貴族であり、庶民にまで広がらなかった。庶民に広がるのは「南無阿弥陀仏」「南妙法蓮華経」と唱えれば救われると説く鎌倉仏教の出現を待たなければならない。
庶民は依然八百万の神々を氏神として信じていた。仏教を普及させたい支配者側はその数多の神々とどう折り合いをつけるか知恵を絞った。そこで考え出されたのが神仏習合・神仏和合である。その思想は神は仏が仮に現れた姿(権現)であるとみなし、神と仏を一緒に祀る。その後仏教が民衆に中に広がっても氏神信仰は廃れず、神仏習合はすっかりこの地に定着した。明治以前、お寺の中に神社があり、神社の中にお寺があるのが普通だった。
それを明治維新政府は天皇中心の支配体制を確立するために、天皇という現人神とその先祖(天照大神など)に対する信仰を強要する神仏分離令を出した。この命令は寺と仏像を破壊する廃仏毀釈の運動となり、寺には神道へ改宗を迫り僧は迫害された。修験道にも「廃止令」が出され、17万人の山伏が職を失った。17万人というのは当時の日本の人口が現在の4分の1程度だったことを考えるときわめて多いが、それほどに修験道が日本社会に定着していたことを示すものだ。
なぜ明治政府はこのような国家神道を政策をとったのか。日本を急速に「近代国家」にするために、キリスト教国と同じような一つの価値観で国民全体のエネルギーを集めるためだった。その国家神道は軍国主義、侵略戦争のイデオロギーとなった。
しかし日本社会に定着してきた神仏習合の文化は、命令や法律一本でそう簡単にはなくなるものではない。我が国は神と仏が共存する珍しい宗教文化である。絶対神である一神教のキリスト教やイスラム教の文化ではありえないことだ。日本の宗教は悪くいえば曖昧であり、良くいえばおおらかである。
明治以降修験道は廃れたが、2004年紀伊山地の霊場と参詣道が世界文化遺産に登録されたことは画期的なことである。何しろ広いとはいえない紀伊半島に真言密教(高野山と町石道)、熊野信仰(熊野3山と大辺路など参詣道)、修験道(山上ヶ岳と奥駈道)という性格の異なる3つの宗派の聖地があり信仰道が存在しているというのは世界でも珍しいことだ。著者は世界文化遺産を契機に修験道再興のスタートにしたいと展望を語っている。
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根張りは、時代を感じますね。
リハビリ登山出来るまでに回復し、嬉しいです。(私事)
根気!大切と、実感です。




