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既報の通り、Yahoo!ブログが12月15日でサービス終了と発表されました。個人的にはオーマイニュース(日本版)に記事を投稿していたのが2006〜08年で、無くなるのでイザブログで記事の転載と続報のまとめを続けていましたが2013年に無くなり、再移転してきて今年で6年になります。元々の記事を書いていたのはもう11〜13年も前なのでそろそろ対応終了してもいいとも思われますが、何かできることがないかもう少し考えてみます(※単純にブログを丸ごと移転するのは、前回でもリンク周りの調整等に5か月ほど掛かったので多分難しいです)。
その前に、Yahoo!ジオシティーズが今日で終了になります。一般にはこちらの方がメジャーだったのではないかと思われますが、ブログよりもさらに古い物ですし潮時でもあるでしょうか。内容が失われてしまう件についての記事を紹介しておきます。
◆Yahoo!ジオシティーズが終了する
「Yahoo!ジオシティーズ」が2019年の3月31日に終了する。ジオシティーズがアメリカで誕生したのは1994年、日本法人が設立されたのは1997年、その後、ヤフー株式会社に買収され、2000年からは「Yahoo!ジオシティーズ」として運営されていた。日本法人設立から22年、その長い歴史に幕が下ろされることになる。(※略)他にも大小様々な無料でWebサイトを公開できるサービスが存在していた。私はそれらを、片っ端から使っていた。そうした無料ホームページサービスは、ユーザーが公開したページに自動で広告を挿入することで収益化を図っていた。
◆20年近く前の、個人ホームページの時代 20年近く前、世の中は個人ホームページの時代だった。Webサイトではなく、ホームページと呼んでいた。(※略)インターネットの世界は全世界に公開されていたが、小規模な人間関係に分断されており、人々が無秩序に繋がり合うことはそれほどなかった。当時はネットの発言が短時間で拡散することもなく、現在のように個人の発言が瞬時にバズるための基盤が存在していなかった。 ◆ブログやSNSの台頭と、Webの情報発信の変化 そうした牧歌的な時代は、ブログやSNSの台頭で終わる。(※略)サーバー上で、効率的に時系列の情報を発信できる「ブログ」は、「weblog」を「Blog」と略したものだ。「log」は航海記録などを指す言葉である。時系列に次々と情報を発信するブログは、万人ジャーナリストといった文化を作り、ブログの執筆者はブロガーと呼ばれた。この時期からインターネット上のコンテンツは、ストック型からフロー型に質が変わった。蓄積するものではなく、旬な情報をニュースのように流して消費する形に移行した。 (※略)ブログとSNSの台頭により、個人でWebサイトを作るという文化は急速に廃れた。専門的な情報を発信するならブログで十分であり、情報拡散やコミュニケーションを狙うならSNSを使えばよい。情報を蓄積するだけで、外へと伝える機能がない個人ホームページは、その価値を大きく落としていった。「Yahoo!ジオシティーズ」の終了は、こうした時代の変化から10年以上を経て起きた現象だ。よく耐えたと言える。とうとう終わりが来たのだなという感想だ。時代が変わったのだ。仕方がないと言えるだろう。 ◆過去の無料HPサービスの終了と、失われる人類の情報資産 収益力の低下、寂れたサービスに人材を割り当てることの無駄。この先、サービスが盛り返すこともないだろう。営利企業であることを考えれば、妥当な判断だと言える。しかし、サービスの終了によって失われる人類の情報資産は大きい。言うならば、10年分ほどの日本中の書籍が、一気に消滅するようなものだ。その時期に書かれた情報が、この世界から丸ごと消えてしまうことになる。人類の歴史から、ある時期の記録が丸ごと消えるというのは大きなことだ。それに、当時のホームページがストック型だったことも大きい。様々な分野について、膨大な情報を集積しているホームページが少なからずあるのだ。そうした中には、書籍になっていない情報もある。20年前がサービスの最盛期であることを考えれば、書き手が既に故人となっており、移転先を探さないケースも多いはずだ。 インターネット上のサービスが終了するたびに、こうした情報の喪失が起きる。Web上の情報のアーカイブサービスもあるが、全てが完全に保存されているとは言いがたい。無料サービスを使わずに、有料で運営していれば大丈夫なわけでもない。企業は倒産するし、人間は死ぬ。失効したドメインが売買されている現状が、そうしたことを物語っている。インターネット上の「hbol.jp」のようなドメインは、定期的にお金を払わないと使用権を失う。データの保存場所も有料だ。インターネット上で人々が活発に情報発信をするようになって20年から30年が経過した。これから続々と過去の情報の喪失が始まるだろう。願わくば、そうした情報が、どこかに保存されて欲しい。そして簡単にアクセスできるようになって欲しい。こうした出来事のたびに、そう考えてしまう。 <文/柳井政和> やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。 といった具合ですが、日本においてはブログまではストック型的な部分もかなり残っていたのではないかとも思われます。元々の「ログ」的要素ですね。一方でフロー型への移行を担ってきたのが、(※多数引用してきた「痛いニュース」等の)ライブドアブログだったかもしれません。という話は置いておくとして、筆者紹介の近著タイトルにある「レトロゲーム」からもう1題あります。
「レトロゲーム本」発行ラッシュの影に潜む由々しき問題(Yahoo!ニュース個人、2019/3/27)より抜粋
ゲーム機の復刻ブームとももに、レトロゲームの関連書籍も続々と登場
ここ2年ほどの間に、80〜90年代に登場した古いゲームを紹介した書籍やムックが相次いで発行されている。その契機となったのは、任天堂がファミリーコンピュータを手のひらサイズにアレンジした、「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」を2016年に発売し、人気商品となったことである。(※略)筆者としても、仕事の参考資料としてだけでなく、プライベートで遊ぶ際にも活用できるのでたいへんありがたい。と、言いたいところなのだが、実は困った問題が起きている。今となっては貴重な、古いゲームのパッケージや画面写真、解説文が見られるのはうれしい反面、非常に拙い記述が目立つ本が少なからず見受けられるからだ。 「手抜き」としか言いようがない、誤記や説明不足、意味不明な掲載の例
(※ゲームブログではないので具体例は省略します) いかがだろうか? このように単なる誤植ではない、ライターや編集者がゲームをちょっと遊んで調べたり、校正時に文面をチェックすれば気付くであろう、基本的な事実関係の誤りや、意味不明な記述が目立つ本が少なからず見受けられるというのが、本当に残念なことだが筆者の偽らざる実感なのだ。 クオリティに疑問を持たざるを得ない、レトロゲーム関連書籍が作られる理由
なぜ、かくもクオリティに問題のある記述が目立つ書籍が世に出ることになってしまったのだろうか?その理由のひとつとして、これらの書籍のほとんどは、各メーカーの監修を一切受けていないことが挙げられる。もっとも、メーカーの監修を受けた場合には、広報担当者が著者の解説やレビューの内容に干渉し、文章の修正や削除を指示するという、ゲーム業界特有の慣習に従わされるデメリットが生じるので、この点に関しては版元を一方的には責められない。(※この問題は、詳しく説明すると膨大な量になってしまうので本稿では書かないが、また別の機会に改めて触れたいと思う。) ライターも編集者も、紙媒体が主流だった頃の世代とは入れ替わって若返り、レトロゲームが新作として世に出回っていた当時の事情を知る人が少なくなったのも大きな要因と言えるだろう。だからこそ、解説文に「高い評価を受けた」「酷評された」などと書いてあるのに、そう評した根拠が具体的に何も説明されていないという、にわかには信じがたい構成のまま出版される事態が起きてしまうと考えられる。力量不足のライターが執筆に参加した可能性も大いにあり得る。上記の例に挙げたような、実際にゲームをプレイしないで書いたとしたか思えないような記事や、ひどいものになると既刊の関連書籍の記述やWikipedia、個人ブログなど、誰が書いたのかも正しい情報なのかもよくわからない、有象無象のネット上の情報を参考にして書いたと思われる文章も、本によっては随所に見受けられるからだ。 ライターの証言から明らかになった、本の制作上の問題点
また、近年に発行されたレトロゲーム関連書籍の執筆、編集を担当したライター数名に話を聞いてみたところ、ほかにも大きな問題がいくつもあることがわかった。あるライターによると、某レトロゲームカタログ本の編集部では、事実関係をきちんと調べたうえで書き上げた原稿を、どういうわけか担当編集者が勝手に書き換え、しかもWikipediaなどのネット情報を元にして書き換えたので間違いだらけにされてしまったことがあったそうだ。しかも、外部からゲームに詳しいフリーのライターや編集者をブレーンとして招き、書面全体を監修する体制を作ったにもかかわらず、デタラメな状態のまま発売されてしまったという、実に不可解なことも起きていたというのだ。 さらに、別の某ガイドブックでは校了前に著者校正を行わず、誤った箇所を直さないまま入稿したり、なかにはゲーム画面などの写真をインターネット上から無断で転載した本もあったというのだから、もう開いた口が塞がらない。最初から、「ネットの情報を参考にして記事を書き、低予算で本を作ろう」という企画コンセプトで作られるケースがあることも、極めて深刻な問題だ。(※略)また、本によっては記事ごとに担当ライターの署名が入らなかったり、奥付に全ライティングスタッフの名前が一切載らない場合もある。よって、ライター側としては自身の宣伝ができないため、ますますモチベーションや責任感の低下につながってしまうのだ。 誤った情報・歴史が拡散される、負のスパイラルからの脱却を
クオリティに疑問符が付く本が増えた結果、Wikipediaの書き手がこれらの本から引用した記事を掲載することによって、誤った情報がさらにネット上で拡散されるという悪循環がすでに起きている。今後も、「ネットの記事を参考にしながら原稿を書け」とライターに指示を出し、低予算で本を出し続ける出版社が減らないようであれば、ライターがWikipediaなどの誤った情報をまた引用した結果、おかしな本がまた新たに生産されてしまうという悪循環が生じてしまう。ゲームの歴史や文化を後世に残すための取り組みである、アーカイブ活動という観点からも、不確かな情報の拡散は非常に大きな問題だ。 (※略)筆者自身も、過去にレトロゲーム関連書籍の原稿を何度も書いた経験がある。なので、古いソフトやハードの調達をはじめ、資料調査や写真撮影、各メーカーへの掲載の許諾等々、出版するまでにたいへんな手間が掛かることは重々承知しているつもりだ。だが、ゲームメディアに限らず出版不況と言われて久しい昨今、せっかく良いチャンスを得たのに内容が拙い本を乱発した結果、読者にそっぽを向かれては元も子もないだろう。繰り返すが、20年も30年も前に発売されたゲームソフトやパッケージ写真が並んだ本を、今なお作れる環境があることは本当に素晴らしい。だからこそ、これからレトロゲーム本を出そうと考える出版社の方々には、お金を払って買ってくれる読者に対して失礼のない、相応のクオリティを担保した書面に仕上げていただきたい。同時に、ライターに対しても労働の対価に見合った原稿料が払えるよう、適切な予算編成と無理のないスケジューリングによる制作体制の構築も併せてお願いしたい。(鴫原盛之) 2つめの下線部あたりでひとつ補足しておくと、例えばファミコンブームでも30年ほど前ですから、ライターや編集者だけでなくメーカー側としても当時の関係者が仮に残っていたとしても相当偉い人になっているはずですし、引退された方や故人も少なくないはずです。手持ちの具体例をひとつ紹介してみます。
『ブレイザードライブ』第1巻(岸本聖史)より引用
こちらは2008年頃におそらくコミック版とゲーム版をほぼ同時進行で制作されていまして、原作者がセガの人に「SG-1000」(※1983年、ファミコンと同日発売されたゲーム機)について語ったら「そんなの知らない」と言われたそうです。11年前の時点でこんな状況ですから、現在だとメーカーの監修を受けるにしてもかなり上の方に話を通さないと意味が乏しいでしょうし、既にメーカー自体が無くなっていたりゲーム事業から撤退していたりもするでしょう。
その次、原稿をどういうわけか担当編集者が勝手に書き換えて間違いだらけにされてしまった件というのは私もオーマイニュース市民記者当時に経験があります(典型的な例リンク)。というのは少数派だと思われますが、文章を書いて編集に回したことが無い方に向けて言っておくと、この世には不思議なことがままあるのです。さらには勝手に削除されてしまう事例もあるようです(関連記事リンク)。
そして、出版物となったのでWikipedeliaに「出典」として貼られてしまい、ネットを通じてさらに拡散される悪循環が起きているというのがゲーム系ライターの方からの報告です。しかし、これは別に近年のゲーム分野に限った話でもなく、何ならネット環境の普及以前から広く存在していた問題だったのではないかというのが私の意見です(※最近取り上げたアンチワクチンなども古いですね)。こういう点もあり、できる範囲でログを残しておきたいという思いはあるのですが……。
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