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心の中に希望を持ち続ける限り!〜、 人は前進するものである!・・・ 日本を愛する人々に希望が芽生えれば!〜、
日本国の再生には手が届く・・・
今日は、天が与えた人々に与えた最大の贈り物!〜、
希望の諺を取り上げました!・・・ ジェームズ・アレン!(James Allen)〜、 1864年11月28日 - 1912年、イギリスの作家である。自己啓発書と詩によって知られる。
✦ 気高い夢を見ることだ。あなたは、 あなたが夢見た者になるだろう!・・・ あなたの理想は、あなたがやがて何になるかの予言である。 アルベール・カミュ -(Albert Camus)!〜、 1913年11月7日 - 1960年1月4日)は、フランスの小説家、劇作家、哲学者。フランス領アルジェリア出身
✦ 希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである、… そして、生きることは、あきらめないことである。 1884年10月11日 - 1962年11月7日)、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。あくまでもリベラル派(自由主義者)なのであって、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的であり、明確に一線を画していた。 ✦ 未来は美しい夢を信じる人のためにある!・・・ 1547年9月29日 - 1616年4月23日、マドリード) 近世スペインの作家で、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の著者として著名
✦ つまらぬ財産を持つより、立派な希望を持つほうがマシだ
✦ 生命のあるかぎり、希望はあるものだ!・・・ ミシェル・ルイ・リケ(仏・神学者)!〜、 ✦ 我々は望むことが全てできるわけではない。 しかし、可能なことは全て望まねばならない!・・・ H.J.ブラウンJr!〜、
ニューヨークタイムズのベストセラーであったライフ・リトル・インストラクション・ブック(Life's Little Instruction Book)のインスピレーションを受けた著書によく知られているアメリカの作家。
✦ 自分で夢のある生き方が出来ない人が、
他人の夢を笑う!・・・
エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)!〜、 1830年12月10日 - 1886年5月15日。 アメリカの詩人。生前は無名であったが、1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けており、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は今や不動のものとなっている。 ✦ 希望は鳥のようなもの。心の止まり木で羽を休め、詩のない歌を奏でる。そして、決してとどまることはな!・・・ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe!〜、 1749年8月28日 - 1832年3月22日)、ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲学、汎神論)、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。 ✦ あなたができること、あるいは夢見られることはなんでも始めよ。 毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように!・・・ ✦ 何事につけても希望するのは絶望するよりも良い。 可能なものの限界をはかることは誰にもできないのだから!・・・ 1688年5月21日 - 1744年5月3l0日)はイギリスの詩人。父はカトリック教徒のリンネル商。 生来虚弱で学校教育を受けず、独学で古典に親しみ、幼少の頃から詩作を試みた。 ✦ 希望は永久に人間の胸に湧く。 人間はいつでも、現在幸福であることはなく、いつもこれから幸福になるのだ!・・・ ✦ 希望は頼りにならないものであるが、心地よい道を経て、 我々を人生の終わりまで運ぶことだけのこと
はしてくれる!・・・ モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。 ✦ 奇跡を期待しなさい。しかしそれだけに頼らないこと!・・・ リチャード・ヘンリー・デイナ(Richard Henry Dana)!〜、 1815年8月1日 - 1882年1月6日、アメリカ合衆国の法律家、政治家。『帆船航海記(Two Years Before the Mast)』の著者 ✦ いつも世界のどこかで朝が訪れている!・・・ ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli)!〜、 1804年12月21日 - 1881年4月19日、イギリスの政治家、小説家、貴族。 ユダヤ人でありながら保守党内で上り詰めることに成功し、ダービー伯爵退任後に代わって保守党首となり、2期にわたって首相(在任:1868年、1874年 - 1880年)を務めた ✦ 絶望は愚者の結論である!・・・ ✦ 多くの影を取り除くのには一筋の陽光で十分である!・・・
ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller)!〜、 1880年6月27日 - 1968年6月1日、アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。 ✦ 希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ、何事も成就するものではない!・・・ 1866年1月29日 - 1944年12月30日)、フランスの作家。理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持った。 ✦ 人は望む通りのことが出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ!・・・ ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)!〜、 1803年5月25日 - 1882年4月27日、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。無教会主義の先導者。 ✦ どんな人でも生きているかぎり存在の必要がある!・・・
✦ 希望は底の深い海のうえでなければ決して
その翼を広げない!・ オリバー・ウェンデル・ホームズ(Oliver Wendell Holmes !〜, 1809年8月29日 - 1894年10月8日、アメリカ合衆国の作家、医学者。彼の代表作は『朝食テーブルの独裁者』(1858)を始めとする「朝食テーブル」シリーズであり、しばしば19世紀の最も優れた作家の一人として称される。また、著名な医学の改革者とも言われる ✦ 青春は色あせ、恋はしぼみ、友情の木の葉は落ちる。 だが、母親の密かな希望はこれらにもたえて生きつづける!・・・ 1848年12月8日 - 1908年7月3日、アメリカ合衆国のジャーナリスト、民話研究者。「リーマスじいや」 (Uncle Remus) の物語で知られる。 ✦ 欲するものが全て手に入りつつあるときは警戒せよ。肥えてゆく豚は幸福なのではない!・・・ 西洋の諺!〜、 ✦ 最善のものを希望せよ。しかし最悪のものに備えよ!・・・ 本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet、 1694年11月21日 - 1778年5月30日、フランスの哲学者、文学者、歴史家である。歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する。 ✦ 神はこの世におけるさまざまな心配事のつぐないとして、我々に希望と睡眠を与え給うた!・・・ 1579年12月 - 1625年8月、ジャコビアン時代のイングランドの劇作家。ウィリアム・シェイクスピアの後を受けて、国王一座の座付作家となった。当時としては多作かつ影響力の大きい劇作家だった。存命中ならびに王政復古初期にはシェイクスピアと並び称された。 ✦ 希望は、それをもとめる気の毒な人を
決して見捨てはしない!・・・
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール
(仏: Jean de La Bruyère)!〜,
1645年8月16日/17日 - 1696年5月10日/11日)は、フランスのモラリストであり作家である。
17世紀のフランスの宮廷人たちを描き、人生を深く洞察した著書『カラクテール』(フランス語: Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle)(和訳: 『人さまざま』)(1688年)によって知られる。
✦ 人間の希望は絶望よりも激しく、人間の喜びは悲しみより激しく、
かつ永続するものである!・・・ ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー!〜、
ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。ゲーテと並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者である。
✦ 太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く!・・・ トマス・ア・ケンピス(Thomas à Kempis)!〜、
1379年(1380年) - 1471年7月25日)、中世の神秘思想家。彼の著した信心書『キリストに倣いて』(イミタツィオ・クリスティ)は聖書に次いで最も読まれた本であるとさえ言われる。
✦ より多く持つことよりも、
より少なく望むことを常に選べ!・・・ 希望を胸一杯に膨らませて!〜、 日本再生の為に頑張りましょう!!!・・・ |
ネットデモ・転載記事
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
平成最後の明治節の日です。明治、大正、昭和の御代を過ぎ、畏くも今上陛下の御代も残すところ僅かになりました。
本年は王政復古の大号令より百五十年の秋を迎えました。何ら意味を為さない文化の日という呼称、日本人にとって11月3日という大切な日を、祝日法を改正して「文化の日」を「明治の日」に改めようとする動きが、保守系の市民団体や国会議員を中心に本格化しています。当然ながら戦前の「明治節」の復活を意図しております。
筆者が子供の頃、11月3日は明治節、23日を新嘗祭として祝う家庭がまだまだ多かったです。祝日には国旗が各家庭に掲げられ祝日を国民あげて祝ったものでした。筆者の祖父、祖母はもちろん、子供の頃は明治生まれの方々が必ず身近にいて、そのお年寄りから伝統、歴史、慣習など多くを学んだものでした。
故事「天知る、地知る、我が知る」が祖母の口癖でした。不正や悪事、嘘を許さない明治人の高潔さをよく表したものです。
今日11月3日は、明治天皇陛下の生誕の日、戦前は四大節の一つとして新年と紀元節、天長節とともに盛大に祝われていました。 明治天皇陛下の偉業は、多くの文献、史書にとりあげられています。
では、明治日本では天長節をいかに祝っていたのでしょうか?
田山花袋の『田舎教師』は病死した青年教師の日記などをもとに明治の末、書かれたものですが、その中に11月3日の天長節、つまり明治天皇陛下誕生日のことが記述されています。
先生や生徒、父兄、それに村の有力者らが晴れ着姿で集まり「君が代」などを歌い、子供たちはお菓子をもらって帰る。
先生や村長たちは茶話会に移り、さらに田んぼの中の料理屋での「2次会」に繰り出す。そこで校長と村長は今年の豊作について話しこむ。
地方の隅々に至るまで、天長節が楽しい行事として国民の生活に溶け込んでいたことが偲ばれます。
しかし、明治時代は悠久の往古の古きよき習俗も近代化にともない捨ててしまった残念な時代でもあります。しかし、その一方で明治とは古きよき時代の息吹を残そうと我々の先祖が必死だった時代でもあります。
平成日本は昭和の息吹すら簡単に捨ててしまう軽薄な時代です。
とても残念でなりません。
明治という文字は失ってしまった日本人のこころを、明治という時代の日本人の一体感のようなものをも感じさせます。
明治日本を訪れた諸外国の識者、文化人はこの頃の日本を絶賛しています。
家に鍵をしなくとも生活できるくらい安全だ った治安、貴重品を公共の場に忘れても、財布の中身も無事に届けられた節度が この頃の日本にはありました… 皆さんご存じのように台湾の国策顧問を成し、日本人に帰化された金美齢女史は、2010年1月の「正論」で次のように述べられていますので抜粋します。
一国のパスポートは身分証明書であり、外国に出たら「最後の頼みの綱」である。その頼みの綱を失ったとき、私は個人にとっての国家がいかに大切であるか、個人は国に守られて生きているということを肌で感じた。台湾(中華民国)のパスポートではどこへ行くのにもビザ(査証)が必要になるが、パスポートがなければビザの申請自体を受け付けない国がたくさんある。 先人の偉業、戦禍に倒れた英霊に感謝のこころさえ忘れてしまった日本人。 金美齢女史が述べられているように、今の日本の信用は今の日本人が築きあげたものではありません。
建国以来、道義を大切にし、それを行なってきた先人の遺産なのです。
これを、現世の日本人の都合で変えてはならないのです。
明治日本は僅か半世紀足らずで、極東の小国「日本」を世界に知らしめました。
明治節の日にあたり、明治大帝の御遺徳をしのび、明治大帝の下、道義国家日本を世界に知らしめた先人に感謝し、失ってしまった「日本人の誇り」「日本人としての矜持」を取戻して欲しいと願うばかりです。
明治大帝が人の心のあり方について詠まれた大御歌(おおみうた)に、次のようなものがあります。 久かたの 空に晴れたる 富士の根の
高きを人の こころともがな
(大意:晴れた大空にそびえる富士山の高根のように、気高い心を自分の心としたいものだ)
あさみどり すみわたりたる 大空の
ひろきをおのが 心ともがな
(大意:浅緑色に澄みわたった大空のように、広々とした心を自分の心
としたいものだ)
目の見えぬ 神に向ひて 耻(はじ)ざるは
人のこころの まことなりけり
(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)
人は親に育てられ、やがて自らの人生を歩みだします。誰にとっても親は、人生について教えてくれた最高の恩人です。明治大帝は親について次のように詠まれています。
たらちねの みおやのをしへ 新玉の
年ふるままに 身にぞしみける
(大意:年々、新しい年を重ねるにしたがって、身に染みわたるのは、
自分を育ててくれた親の有り難い教えである)
人には誰しも友だちが必要です。真の友情は、人を磨き、人を成長させます。明治大帝は、そのことを次のように詠まれています。
あやまちを 諌(いさ)めかはして 親しむが
まことの友の 心なるらむ
(大意:過ちがあれば互に注意しあって、親しんでゆくが、本当の友だちの心である)
明治大帝は、一人一人の自分の努力の大切さを、わかりやすく歌に詠まれています。
つもりては 払ふがかたく なりぬべし
ちりばかりなる こととおもへど
(大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、
そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなって
しまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)
思ふこと おもふがままに なれりとも
身をつつしまん ことを忘るな
(大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人は
わが身を慎むことを忘れてはならないぞ)
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならない。 他国の習俗であるクリスマスや、商業イベントである、バレンタイン、ハロウィーンに踊らされることなく、日本人本来のお祭り、神事、祝い事を大切にしたいものです。
11月3日が「明治の日」になり、菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。
誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」・・・・
そして「日本人よ日本に帰れと」願うばかりです。
今日は、国旗を掲げましょう・・・・・・ |
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天皇陛下の「ご譲位」の準備は、「退位」と「即位」に分断され、
新天皇の御代にて天皇を廃絶する青写真に沿って進んでいます。
この阻止には、悪法「退位特例法」を即時改正する必要があります。
転載・拡散、お願いいたします!
「退位」と「即位」の分断工作が着々と進行中ご存知ですか?
本来、「譲位 即 践祚(せんそ、即位)」である伝統的な儀式を、
わざと、宮内庁は、古文書をこじつけ解釈し、
「退位の礼」を行い、
翌日に「即位の礼」を行うことが、
あたかも伝統にかなうかのような工作が行われています。 詳しくは、「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか」(並木書房)を書かれ、
「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン」を出しておられる、
斎藤吉久さんの記事をご覧ください。
要点は、
ということです。 つまり、フェイク情報にもとづく 「フェイク譲位」 が行われようとしています。
この他、
などの破壊・矮小化が目白押しです。
さて、この原因は何でしょうか?
憲法でしょうか?
皇室典範(こうしつてんぱん)でしょうか?
いいえ、
例の「退位特例法」そのものです。
間違った法令により、
悪法が暴走しているのが原因です。
問題の解決はどうすればいいか?
個別対処ですか?
精神勝利法でしょうか?
いいえ、問題の根本を断つ=「悪法」の改正こそ、
対処の基本です。
天皇陛下の「ご譲位」が正しく行われるよう、
その時が近づいているからこそ、
悪法「退位特例法」を正しく改正することが急務なのです。
正しい譲位特例法「新・皇室典範補遺(こうしつてんぱん・ほい)」とは法令名
「今上天皇のご譲位に関わる皇室典範補遺」
前文
今上天皇陛下に対しまして、第193回国会は、皇室典範補遺を奉呈(ほうてい)申し上げます。
第1条
光格天皇の先例にならい、今上天皇陛下がご譲位されるに伴い、皇太子殿下は直ちに受禅(じゅぜん)される。
2 皇太子殿下の即位の大礼は、政令で定める。
第2条
今上天皇陛下のご譲位の日は、政令で定める。
第3条
ご譲位後の今上天皇は、上皇となられる。
2 上皇の敬称は、陛下である。
3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。
4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第二項及び第三項並び
に第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。
第4条
上皇の后は、上皇后となられる。
2 上皇后の敬称は、陛下である。
3 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。
第5条
第1条が定める、皇太子殿下の受禅によってあらたに皇位継承順位第1位となられる皇嗣は、皇室典範第8条が定める皇太子と同じ皇太弟の位を継がれ、東宮となる。
2 皇太子に係る皇室典範の規定すべては、新しい東宮である皇太弟と置き換える。
3 皇太弟の立太子の礼は、政令で定める。
以上
天皇陛下の「ご譲位」が正しく行われるよう、
その時が近づいているからこそ、
悪法「退位特例法」を正しく改正することが急務です。 新年度予算の概算要求が固まる前に行動を
尊皇のこころをもった国会議員は、
悪法の制定を主導した安倍内閣の過ちを正すべく
行動をお願いいたします。
転載・拡散、お願いいたします!
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東條元首相
東條英機元首相公的遺書全文
開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は個人的には慰なぐさめられておるが、国内的の自らの責任は死を以もって贖あがなえるものではない。 しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。 天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。 元来日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志おんこころざしに依より行動すべきものであったが、一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。此度このたびの戦争に従事してたおれた人及び此等これらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。心から陳謝する。 今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨のぞまなければならないのではないか。此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。 天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。天皇存在の形式については敢えて言わぬ。存在そのものが絶対必要なのである。それは私だけではなく多くの者は同感と思う。空気や地面の如ごとく大きな恩めぐみは忘れられぬものである。 東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相あい協力すべきものである。東亜民族も亦また他の民族と同様に天地に生きる権利を有もつべきものであって、その有色たるを寧むしろ神の恵みとして居る。印度インドの判事には尊敬の念を禁じ得ない。これを以もって東亜諸民族の誇りと感じた。 今回の戦争に因よりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。 現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本人の米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。又日本人が赤化しないように頼む。大東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされねばならぬ。実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因であったと考えている。 今後日本は米国の保護の下に生きて行くであろうが、極東の大勢がどうあろうが、終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯かくの如くである。今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。 今、日本は米国より食料の供給その他の援助につき感謝している。しかし、一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食料の不足などが、米軍が日本に在るが為ためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。依よって米軍が日本人の心を失わぬよう希望する。 今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。従ってトルーマン大統領が再選せられたことはこの点に関し有り難いと思う。 日本は米軍の指導に基づき武力を全面的に抛棄した。これは賢明であったと思う。しかし世界国家が全面的に武装を排除するならばよい。然しからざれば、盗人が跋扈する形となる。(泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものである) 私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。現に世界各国、何いずれも自国の存在や自衛権の確保を主として居る(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。国家から慾心を除くということは不可能のことである。されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此この通りである。それ故ゆえ、第三次世界大戦は避けることが出来ない。 第三次世界大戦に於おいて主おもなる立場にたつものは米国およびソ連である。第二次世界大戦に於いて日本と独乙ドイツというものが取り去られてしまった。それが為、米国とソ連というものが、直接に接触することとなった。米ソ二国の思想上の根本的相違は止むを得ぬ。この見地から見ても、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。 第三次世界大戦に於いては極東、即ち日本と支那、朝鮮が戦場となる。此この時に当たって米国は武力なき日本を守る策を立てねばならぬ。これは当然米国の責任である。日本を属領と考えるのであれば、また何をか言わんや。そうでなしとすれば、米国は何等なんらかの考えがなければならぬ。米国は日本八千万国民の生きて行ける道を考えてくれなければならない。凡およそ生物として自ら生きる生命は神の恵である。産児制限の如ごときは神意に反するもので行うべきでない。 なお言いたき事は、公、教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。今は既に戦後三年を経過して居るのではないか。従ってこれは速すみやかに止めてほしい。日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。 我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。戦犯者の家族には保護をあたえられたし。 青少年男女の教育は注意を要する。将来大事な事である。近事、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響から来ているものが少すくなくない。この点については、我が国の古来の美風を保つことが大切である。 今回の処刑を機として、敵、味方、中立国の国民罹災者の一大追悼慰霊祭を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。勿論、日本軍人の一部に間違いを犯した者はあろう。此等これらについては衷心謝罪する。 然これと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。 最後に、軍事的問題について一言する。我が国従来の統帥権独立の思想は確に間違っている。あれでは陸海軍一本の行動は採れない。兵役制については、徴兵制によるか、傭雇兵制によるかは考えなければならない。我が国民性に鑑みて再建軍隊の際に考慮すべし。再建軍隊の教育は精神主義を採らねばならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。この点については、大いに米軍に学ぶべきである。 学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。人として完成を図る教育が大切だ。言いかえれば、宗教教育である。欧米の風俗を知らす事も必要である。俘虜のことについては研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。 辞世 我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき |
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最近、ベストセラーと称され、中吊り広告やテレビでよく取り上げられる
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)は、
子供たちを共産主義運動に洗脳する戦前からのトンデモ本。
大人も子供も騙されないようご用心。
![]() 中川八洋教授による許可を得て、転載させていただきます。
なお、文中の表現は文意を変えない範囲で一部変更してあります。
吉野源三郎は、ソ連軍に我が国を侵略させて、日本がソ連に無限に収奪し続けられる “国家喪失地獄” となるよう画策しつづけた。 “凶悪な共産主義者” であり、狂気のスターリン教徒であった。 そんな悪魔のような人間が、日本の子供たちを “ソ連人=狂気の共産革命の戦士” に改造するために書いた赤化・洗脳教本が 『君たちはどう生きるか』 である。 今、その漫画版が、超ベストセラーになっている。 すでに170万部を突破したという。
![]() 『君たちはどう生きるか』 は、1937年7月に新潮社から出版された。 “究極のスターリン狂”で共産主義者・近衛文麿が、「対蒋介石戦争」を開戦した1937年7月と同じ年/同じ月であった。 コミュニストたちは、「対蒋介石殺害戦争」を、当時も「日支事変」だと偽装語で誤魔化し、戦後もまた「日中戦争」だと嘘ラベルを張った。 しかし、この「八年間の対支戦争」は、近衛文麿が日本国民を騙して日本の国費と日本の若者の命を蕩尽した戦争であった。 その戦争目的は、中国共産党の毛沢東に依頼されるままに、「“反共の蒋介石”を殺害して支那全土を毛沢東の手に渡すこと」だった。
そればかりではない。 1937年は別の意味でも特別な年であった。 吉野源三郎に少年用赤化洗脳教本の書き方を教えたコミュニスト山本有三が、大東亜戦争を煽動して昭和天皇/吉田茂など親英米派・大東亜戦争反対派を封殺した朝日新聞に『路傍の石』を連載開始したのも、この1937年であった。 山本有三は、河上肇の直系で近衛文麿グループの一味であった。 人脈図を描けば、「吉野源三郎──(少年を共産革命戦士に改造する教本の書き方の師弟関係)──山本有三──(ソ連軍の日本侵略誘導の赤化集団)──近衛文麿」ということになる。 つまり、吉野源三郎の正体は、東アジア共産革命戦争(=「大東亜戦争」)のれっきとした一味で、悪魔そのものの “スターリンの犬” だった。
なお、『君たちはどう生きるか』は、一時的に目を患った山本有三に代って、ピンチ・ヒッター的に吉野源三郎が書いたものである。 山本有三が企画編集した(1935年に第一回配本の)全十六巻「日本少国民(=「少年少女」のこと)文庫」の最後の配本第十六冊目であった。 この「日本少国民文庫」シリーズは、日本の若者をアジア共産化革命の“祖国叛逆”大東亜戦争に駆り立てるべく、山本有三が近衛文麿に依頼されて企画出版したと考えられる。
山本有三も吉野源三郎も、大東亜戦争の八年間にわたり一度も、小声ですら大東亜戦争に反対していない。心底からアジア赤化の大東亜戦争に狂喜乱舞していたからだ。
“凶悪なスターリン狂”吉野源三郎や山本有三がせせら笑った“ザル法”治安維持法 |


























