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自民党政権は 「国民の総意」 という言葉の真意を知らず、
天皇制廃止を唱える勢力や 皇室を自爆させようと罠を張る勢力までも、
国会で合意させないといけないと錯覚しているらしい。
まったく不見識ではないか。
この記事では、「国民の総意」 とは何かを解き明かすべく、
皇位および皇室を未来永劫子々孫々に継承するのに最低限必要な
「皇室典範の奉還」について書き記すことにした。
結論を先に書いておくと
「国民の総意」とは、
多数決のことや大多数のことではなく、
その時々の世論の移ろいと無関係に、
大昔からの「当たり前」を「当たり前」通りにする、
という意味で、
憲法第1条は、
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(き万世一系、不可侵である)」
の意味であり、
「天皇陛下の御位は日本国が生まれた時より国民の総意にもとづいて定まっているものでありますので、その時々の国民の世論に左右されるものではありません。天皇を廃絶しよう、皇室に共産革命を持ち込もうというような勢力の賛同を得る必要もありません。」
の意味です。
政府はビシッとお願いします。
●「退位」問題過去に例の無い「女系天皇論」や「女性宮家論」では、
国民を騙しきれないと判断した共産主義者達は、
明治皇室典範で禁じた「譲位」
(過去に何度も例は有ったが諸問題が多かった為)
を持ち出し、
国民が納得せざるを得ない「陛下のご意向」を利用して、
皇室典範改悪の道を開く戦略を立てたのだろう。
もともと「退位」という言葉は、
戦後まもない頃、
共産主義者達が昭和天皇を強制的に退位させて、
A級戦犯として絞首刑に処したい
という願望から使用されていた共産党用語だった事を
国民は思い出すべきだ。
「譲位」という正しい言葉を使用せず
「退位」を使い続ける異常さを
もっと問題視すべきである。
「譲位」というのは、
天皇位がA天皇からB皇太子に譲り渡されることである。
AとBの間に隙間はない。
AからBへ手渡しする感じだ。
一方、A天皇が「退位」して、B皇太子が即位する、であれば、
AからBへの手渡しではなく、
Aからまず天皇位を机の上にでもおいて、
それからBが机の上から手に取る、感じになる。
AとBの間に隙間ができることがわかるだろうか。
AにもBにも天皇位が属さない瞬間ができる。
机の上にある瞬間である。
この隙間を悪用すれば、
A天皇が退位し、B皇太子が即位するまえに、
などの世論工作を行い、
B皇太子が即位を辞退する、
という皇位破壊工作が可能になる。
もし「譲位」であれば、
有無を言わさず、自動的に、
皇位は、A天皇からB皇太子に受け渡されるのである。
皇后陛下が 「え、生前退位ですって」と、
衝撃をうけられるのも当然ではないか。
野党やマスコミ各社が
「譲位」という正しい言葉を使用せず
「退位」を使い続ける異常さを
もっと問題視すべきである。 「皇位は、天皇陛下個人の「思い」で左右されるものではありません。 ●皇位継承問題陛下がこころを悩ませておられる皇位継承の問題は、
戦後のドサクサにまぎれて、
明治皇室典範を現行典範に改悪したこと、
旧宮家の皇籍離脱を断行したこと、
この2点こそが原因である。
現皇室典範を明治皇室典範に戻して、
旧宮家末裔の皇籍復帰を行なえば、
皇位継承問題は簡単に解決する。
その他の解決法は、
共産主義者の詭弁でしかない。
我が国の皇統は、
歴代天皇の個人の「ご意志」や「思い」等とは全く無関係である。
過去の皇祖皇宗によって積み重ねられてきた遺訓に対して、
歴代天皇が畏敬の念を持って継承(世襲)し続けてこられたものである。
この歴史事実全体を貫通する普遍の「世襲の法」が
「万世一系、男系の皇統」なのである。
無論、皇族各個人の「ご意思」や「思い」とも関係がない。
陛下を含む皇族方が、
太古からの「世襲の法」にぬかづかれ、
従われるが故に、
国民は敬意をもって、
「我々とは違う尊い方」と認識するのである。
ただ、皇族が個人個人に思い思いに好きなことをされるのであれば、
一般国民と何が違うのだろうか?
国民の側も誤解してはいけない。
皇族方が「歴史の継承」をしてくださっているがゆえに、
我々国民は各自が思い思いに好き勝手な暮らしをしていても、
この国はなんとかなっているのである。
もし、最高権力者が好き勝手を始めれば、
我が国は突如、
独裁的な諸国と同列に落ちる。
「皇室の伝統とは多くの人が集団で支えてきたもので、 ●旧宮家が皇室におられない問題皇室財産の国有化(没収)はGHQの方針であった。
しかし、十一宮家つぶしの真犯人、
それは大蔵省であった。
当時の大蔵省は、
皇族(旧宮家)への歳費を予算計上しないという、
宮家に対する「兵糧攻め」と
皇族へ過酷な財産税をかけた。
これによって、臣籍降下は強制された。
皇室に対する、
大蔵省のこのような嫌がらせは
戦後も一貫して続いている。
高度成長で物価が上昇し、
他の予算額が急上昇しても、
宮廷費も内廷費も皇族費(この三つを合わせて皇室経費という)は
事実上据え置かれた。
インフレの中、
実質的に皇室経費を大幅に削減するという
悪辣極まる策を続行した。
また、皇族の財産に、
一般国民と同様に税制を適用する事が狂気である。
昭和天皇が崩御された際、
私有財産だからという理由をつけて、
約4億2000万円もの相続税を
今上陛下に課した暴挙を
繰り返しさせてはならない。
旧宮家の復帰を簡単に成し遂げる方法: ●「皇嗣殿下」問題秋篠宮殿下を
「皇太子」or「皇太弟」と呼ばず
「秋篠宮皇嗣殿下」と新しい敬称を生み出す目的は、
「皇太子」を空位とする事で、
秋篠宮殿下の天皇即位を阻止する準備である。
最終報告で
「国民に広く親しまれてきた秋篠宮家が独立の宮家として存続しなくなること」
を理由にあげているが、
本当の理由ではない。
また、秋篠宮殿下が
「皇太子」という称号に難色をしめされた
という話も流布されている。
「皇太子」ではなく「皇太弟(こうたいてい)」と申し上げるべきこと。 これは国民側が尊崇してお願い申し上げることである。
そもそも、 皇位継承に皇族各人の「ご意思」は無関係である。
「ご意思」を逆手にとり、
あたかも皇室の意に沿うような姿をとりつつ、
皇室が自爆するように道筋をつけてゆく。
皇室に襲いかかっている敵は、
とんでもない戦略をとっている。
「特例法で譲位を可能にする」という「大嘘」によって、
密かに典範を改悪するのは、
重大な犯罪行為である。
「秋篠宮皇嗣殿下」なる造語を用いて、
皇統史で継承され続けてきた「皇太子」を空位にしようとする謀略を
絶対に許容してはならない。
共産主義者達の皇統断絶への悪意が集約された恐ろしい策である。
「秋篠宮殿下に「皇太弟」になっていただくよう懇願することが、 ●「皇室典範」の格下げ問題明治皇室典範は、
憲法と並立する法典であり、
天皇陛下が制定し、
帝国議会の関与を否定していた。
戦後、改悪された現行典範では、
憲法に基づく法律に格下げされ、
国会が制定し、
制定や改正は国会が議決するとされている。
立憲君主国家の法体系では、
①憲法中心の「政務法体系」と ②皇位継承法を中心とする「宮務法体系」に分けられ ①と②は同等とされる。 故に、明治皇室典範は憲法と並立する存在であった。 しかし現典範は国会の議決により改正できる「法律」に格下げされている。 戦後、皇室典範を国会で改悪できるという異常な状態に陥ったのは、
宮沢俊義をはじめとする共産主義者(天皇廃止願望者)達による
明治皇室典範の改悪が原因である。
明治皇室典範にもどすことによって、
国民が皇統に干渉出来る異常事態は解決出来る。
現在、皇室典範は「国民が簒奪(さんだつ)」した状態にある。
皇族方は皇室会議にただオブザーバーのように座しているだけである。
そして政府・宮内庁は、
皇族の平民化、
皇室の破壊を嬉々として押し付けて命令している。
こんな常軌を逸した状況を改める為にも、
皇室典範を皇室に奉還しよう。
「まずは、国会を紛糾させて「退位法」の成立を阻止し、 ●「皇室会議」「皇族会議」問題1946年の臨時法制調査会第一部会で、
共産主義者の宮沢俊義と杉村章三郎らによって 「皇族会議」が解体され、 似て非なる「皇室会議」が強制された。
皇室から皇室典範改正権を剥奪し 「国会」に移譲するという信じ難い暴挙である。 明治皇室典範における「皇族会議」は
成年男子皇族によって組織された機関である。
正しく「皇族の会議」なのであった。
議長は天皇陛下であり、
非皇族の構成員は、
内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名だけで、
全体の1/4に過ぎなかった。
改悪された現典範における「皇室会議(名前が微妙に変わった)」は、
皇族2名に対し、非皇族8名であり、
4/5が非皇族という異様な構成になっている。
天皇陛下は参列されない。
「皇室会議」と名乗っているが、
皇室関係者がほぼいない「皇室不在会議」なのである。
共産主義者の宮沢俊義と杉村章三郎らは、
陛下や皇族方の自治を破壊する為に
「皇族会議」を解体した。
代わりに、
陛下は親臨できず、
内閣総理大臣が議長を務める「皇室会議」にすり替え、
皇室が皇室のことを自治する「宮務法体系」を崩壊させた。
もっとも、昭和の時代には、
まだそんな「皇室会議」も正常に機能していた。
三笠宮寛仁親王殿下が”皇族をやめて一般人になる”とおっしゃった時、
当時の内閣はちゃんと皇室会議を開いた上で
「聞くだけ聞いたが、却下」と評決した。
今の内閣に、なぜあの胆力がないのか。
”陛下が天皇を辞めて一般皇族になるとおっしゃた”からと、
「じゃあ、退位法つくりますね」となるのは、
どれだけ異常なことか。
真逆ではないか。
一刻もはやく、 ●「国民の総意」問題「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法第一条)。
この条文を、
国民の意見で天皇を廃止していい、
という意味に解釈するのは単なる曲解である。
皇位はつねに絶対多数の国民の支持をえなければらない、
ということですらない。
鎌倉時代は朝廷と幕府は敵対的ですらあった。
江戸時代などほとんどの国民は皇室のことを知らなかった。
幕末でも、佐幕派と尊王派に分かれていた。
過去2600年以上、
どんな政変でも、
戦乱でも、
また外国軍による占領においてですら廃止されなかったのが、
「天皇」という制度である。
つまり、
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(き万世一系、不可侵である)」
の意味である。
言い換えれば、
の意味である。
の意味である。
「国民の総意」という言葉が使われているのは憲法でここだけであり、
圧倒的な重みをもっている。
もし、
選挙のように、
ふらふらする国民のその時々の意見で基づいているのであれば、
とでも表現すればいいことである。
しかし、
それが「総意」の意味である。
あれだけもてはやされている憲法9条のどこかに、
「国民の総意」とでも書いてあるのか?
「降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」 それゆえ、
政府は遠慮なく、
と断言すればよい。
また、
与党で2/3をもっている今こそ粛々と本来なすべきことをなせばよい。
破防法の監視対象になっている野党や、 ●「不敬罪」の不在問題メディアは好き勝手に不敬極まりない報道を続け、
国民の尊皇の心が奪われるプロパガンダを繰り返している。
我が国は立憲君主国家でありながら不敬罪が失われたままだ。
戦後の占領下に刑法から削除された不敬罪(第73条〜第76条)の
復活を怠ったのは我々国民である。
天皇陛下や皇族方への「ヘイトスピーチ」が横行する状況を、
我々は早急に改めるべきである。
国民だけではない。
宮内庁は国家公務員の守秘義務すら守らず、
事態を意図的に誤誘導するために
「ご意向テロ」を重ねている。
そして、
共産党肝いりの「皇室法概論」などをつくり、
対皇室テロの理論武装を重ねている。
それが、陛下の側近なのである。
世も末とは、
このことでなくてなんであろうか。
不敬罪の不在により、
一般国民はもとより、
メディアどころか、
宮内庁までが逆賊となっていることを自覚できない。
むしろ、
「よいことです」と勘違いして不敬を働く
というまでに至った。
まず不敬罪の復活。
同時に、
国家公務員法の守秘義務違反で
「ご意向テロ」の首謀者を処罰しなければならない。
「「宮内庁幹部がこう言った」「皇室に近い人物がああ言った」という報道に私が信憑性を感じないのは、皇宮警察トップを務めた愛国の叔父や、現在東宮で働くいとこ(皇太子殿下の学友だった)が、身内にすら皇室に関する情報を一切もらさないのを見ているからだ。「本物」は、メディアなどには語らない。」(詠み人知らず) ●「宮内庁」の逆賊化問題「陛下の激務に配慮して、皇室典範を改正すべき」
という世論を巻き起こそうと必死な共産勢力。
これは天皇廃止のために、
戦略的にまきおこされている工作である。
しかし、公務を激務にしているのは宮内庁である。
陛下が重んじられている「祭祀」の簡略化を進めているのも宮内庁である。
宮内庁のいう「陛下への配慮」は偽装であり、
の流れを生み出したい工作の片棒をかつがされているのである。
「開かれた皇室」
「敬称の不使用」
「政教分離」
「女系天皇」
「女性天皇」
「女性宮家」
「旧宮家の(復帰ではなく)養子入り」
「内親王の尊称保持」
「公務ご負担の軽減」
「宮中祭祀の簡素化」
「埋葬方法の変更」
「墳墓の調査解禁」
「譲位ではない生前退位」
「皇室典範改正」
等多数。
平成になって加速しているこれらはすべて、
皇室を崩壊させるテロ行為であり、
宮内庁が主導してきた。
宮内庁は戦後のどさくさで、
一般官庁に格下げされた。
かつては、天皇陛下に直属する官庁であった。
国民は、宮内庁には昔の公家の末裔かどなたかがおられる
と思っているかもしれないが、
もうそんなものはない。
官庁からの出向者が集まり、
それをいいことに共産党の工作拠点に変化してしまっている。
戦前の宮内省は皇室自立の原則に従って独立官庁であった。
皇室典範を根拠とし、
皇室典範に属する法体系「宮務法」のもとで成立していた官庁である。
「宮務法」は、皇室に関係する一連の天皇の命令である。
皇室典範と同様、制定・改定には帝国議会は関与しなかった。
同じ大臣でありながら宮内大臣は内閣の構成員ではなく、
宮内大臣は宮内省の人事に関わる権限や
皇室令の制定や改廃に関する権限を有していた。
皇室の官吏と政府の官吏はそれぞれ別系統であり、
皇室の事務は政府の事務から一線を画すという
「宮中と府中の区別」の考えが貫かれていた。
これを宮中の側からみれば、
「皇室の自治」が確保されていたことになる。
また、皇族に対する教育上格別の配慮がなされ、
皇室就学令をはじめとする法令の制定や、
皇子付き職員ないし東宮・皇子傅育官の設置、
宮内大臣による学習院の管理など(学習院官制)、
さまざまな制度が整えられていた。
「宮内省は宮中の組織でありました。 ●宮内庁を皇室直属の「宮内府」に戻そう今後、
皇室典範を皇室へ奉還し、
旧宮家を皇籍に復帰いただき、
堂上公家を復活させ、
「皇室会議」を「皇族会議」に戻し、
「宮内庁」を内閣府に上位する「宮内府」に昇格させることが必要だ。
そして、
宮内府の長官・次長・書陵部長、
侍従長・東宮大夫は公家の専菅に正す必要がある。
皇室を元の姿に復元する事のみが、
唯一許される現皇室典範の改正である。
我が国の皇統は、
歴代天皇の個人の「ご意志」や「思い」等とは全く無関係であり、
過去の皇祖皇宗によって積み重ねられてきた遺訓に対して、
歴代天皇が畏敬の念を持って継承(世襲)し続けてこられたものである。
この歴史事実全体を貫通する普遍の「世襲の法」が
「万世一系、男系の皇統」なのである。
これを守り、
皇族方をさとし、
支え、
国民からの不当な干渉をはねののけ、
皇室を未来永劫継承していく重責を担っているのが宮内庁なのである。
今やっていることは真逆ではないか。
『「直系主義だ」と皇室典範をあらん限りに歪曲・捏造する 平成29年5月26日
平岡憲人
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ネットデモ・転載記事
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陛下の譲位を今後悪用されないように万全の意をくだくことこそ、
臣下の努めです。
自民党からは「サムライ」が絶滅し、 選挙屋だけの集団に成り果てたのでしょうか?
ポスト安倍が見当たらない中、 ここで護国に立ち上がるものにこそ、ポスト安倍の資格があります。 記事の拡散をお願いします。
●陛下のお言葉「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」(天皇陛下) ●昨今の議論の動向さて、5月19日に
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(以下、退位法)」と称する、
「天皇廃絶法」が閣議決定された。
誠に痛恨の極みである。
保守を称する安倍内閣によりこれがなされたことは、
さらに一層その憂いを深くさせる。
この法案がなぜ「天皇廃絶法」となってしまうのかは、
このブログでも追って解説する。
それまでは、こちらの記事をご一読願いたい。
本記事では、こころある自民党の政治家や官僚、学者、
「退位法」にいいようのない不安を感じておられる健全で用心深い国民各位に、
具体的に法案のどこをどう直せばよいのかをお示しする。
法案そのものは特別な専門用語がならぶため、
簡単な解説の後、
法案の概略を伝える「法律の骨子案」をお示しし、
その上で、「法律案」を示す。
なお、昨今の報道などについてひとこと。
皇室内部で皇族方がお考えを表明されるのは自然なこと。
しかし、本来は側近に公家衆や学者が控え、
伝統に照らして助言されてきた。
一種の諫言である。
現在、その機能は喪失し、
だれも諫言せず、
逆に皇族方を誤誘導する。
そして、サヨク好みの発言を引き出したら、
「ご意向だ」という御意向テロに悪用。
情けない限りなのだ。
断固として御意向テロには屈しない。
●本来あるべき譲位特例法が備えるべきこと・ご高齢になられた天皇陛下たってのご意向であるため、譲位の議は謹んでそのみ心をうけたまわる。
・しかしながら、「生前譲位は過去の歴史に照らして望ましくない」とのことで明治皇室典範にて封じられ、現行皇室典範においても同様に封じられている。
・陛下のお言葉にある「我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」というのは、「過去に譲位の例が多数あるからよいではないか」の意味ではない。過去の例の中で弊害が多いものは先例としない、ということこそ歴史に学ぶ知恵である。
・今回の譲位を特例とし、今後の先例としないよう、皇室の旧慣(よい先例のこと)を損なわないよう最小限で細心の注意を払った特例としなければならない。
・言い換えれば、新たな制度創出は不可である。また、今回の例外処置は速やかに効力を失うようにしておかなければならない。
・また皇太子殿下への皇位継承は自動的なものであり、国会が一切そこに関与できないよう、皇太子殿下が即位されることへの条件付けを排除する。
具体的には
・譲位を退位と即位に分断する「退位」という言葉は使わず、御位に隙間の生じない「譲位」という言葉を用いる。
・天皇陛下の「お言葉」を踏まえて、皇位の安定的な継承を趣旨に明記し、逆に皇太子殿下のこれまでのご活動などの明記は皇位継承の条件付けとなるので言及しない。
・上皇に関する規定は、上皇が崩じられる時に効力を失わせる。また、この特例法そのものも、現皇太子殿下から秋篠宮殿下への皇位継承に伴い効力を失わせる。この特例法は皇室典範と一体のものとみなす規定を設けない。
・譲位後は、譲位後の新たな天皇から見て「皇弟」ととなられる文仁親王殿下(秋篠宮殿下)を、「皇太弟」と申し上げ、宮内庁の東宮職がその事務を司る。お住いを「東宮御所」と申し上げる。
・皇太弟殿下や皇太弟妃殿下は、皇太子殿下や皇太子妃殿下と同じ処遇を受けられるようにする。これにより、悠仁親王殿下は自動的に将来の天皇にふさわしい処遇となる。
・今上天皇の践祚にあたり当時の大蔵省は相続税の支払いを強要したが、その愚は繰り返させない。
・なお、骨子や法案には述べていないが、慣例に従い、上皇陛下のお住いは「仙洞御所」と申し上げ、京都の現仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称する。
●天皇陛下の譲位に関する皇室典範特例法の骨子●天皇陛下の譲位に関する皇室典範特例法案浅学の私ごときがこのようなものを世に問うのは、
まことに申し訳ない仕儀でありますが、
誰もなすものがないのなら、
恥を忍んでこれを記すものであります。
こころある政治家、官僚、学者、国民の行動を心から望んでのことです。
陛下の譲位を今後悪用されないように万全の意をくだくことこそ、
臣下の努めです。
自民党からは「サムライ」が絶滅し、
選挙屋だけの集団に成り果てたのでしょうか?
ポスト安倍が見当たらない中、
ここで護国に立ち上がるものにこそ、ポスト安倍の資格があります。
記事の拡散をお願いします。
●陛下のお言葉「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」
(天皇陛下)
平成29年5月23日
平岡憲人
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陛下の譲位を今後悪用されないように万全の意をくだくことこそ、
臣下の努めです。
自民党からは「サムライ」が絶滅し、 選挙屋だけの集団に成り果てたのでしょうか?
ポスト安倍が見当たらない中、 ここで護国に立ち上がるものにこそ、ポスト安倍の資格があります。 ●陛下のお言葉
「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」(天皇陛下) ●昨今の議論の動向
さて、5月19日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」と称する、
「天皇廃絶法」が閣議決定された。
誠に痛恨の極みである。
保守を称する安倍内閣によりこれがなされたことは、
さらに一層その憂いを深くさせる。
この法案がなぜ「天皇廃絶法」となってしまうのかは、
こちらの記事をご一読願いたい。
本記事では、こころある自民党の政治家や、
「退位法」にいいようのない不安を感じておられる国民各位に、
具体的に法案のどこをどう直せばよいのかをお示しする。
なお、法案そのものは特別な専門用語がならぶため、
簡単な解説の後、
法案の概略を伝える「法律の骨子案」をお示しし、
その上で、「法律案」を示す。
●本来あるべき譲位特例法が備えるべきこと・高齢になられた天皇陛下たってのご意向であるため、譲位の議は謹んでそのみ心を承る。
・しかしながら、生前譲位は過去の歴史に照らして望ましくないとのことで明治皇室典範にて封じられ、現行典範においても同様である。
・今回の譲位を特例とし、今後の先例としないよう、皇室の旧慣を損なわないよう最小限で細心の注意を払った特例としなければならない。
・言い換えれば、新たな制度創出は不可である。また、今回の例外処置は速やかに効力を失うようにしておかなければならない。
・また皇太子殿下への皇位継承は自動的なものであり、国会が一切そこに関与できないよう、皇太子殿下が即位されることへの条件付けを排除する。
具体的には
・譲位を退位と即位に分断する「退位」という言葉は使わず、御位に隙間の生じない「譲位」という言葉を用いる。
・天皇陛下の「お言葉」を踏まえて、皇位の安定的な継承を趣旨に明記し、逆に皇太子殿下のこれまでのご活動などの明記は皇位継承の条件付けとなるので言及しない。
・上皇に関する規定は、上皇が崩じられる時に効力を失わせる。また、この特例法そのものも、現皇太子殿下から秋篠宮殿下への皇位継承に伴い効力を失わせる。この特例法は皇室典範と一体のものとみなす規定を設けない。
・譲位後は、譲位後の天皇から見て「皇弟」ととなられる文仁親王殿下(秋篠宮殿下)を、「皇太弟」と申し上げ、宮内庁の東宮職がその事務を司る。お住いを「東宮御所」と申し上げる。
・皇太弟殿下や皇太弟妃殿下は、皇太子殿下や皇太子妃殿下と同じ処遇を受けられるようにする。これにより、悠仁親王殿下は自動的に将来の天皇にふさわしい処遇となる。
・今上天皇の践祚にあたり当時の大蔵省は相続税の支払いを強要したが、その愚は繰り返させない。
・なお、骨子や法案には述べていないが、慣例に従い、上皇陛下のお住いは「仙洞御所」と申し上げ、京都の現仙洞御所は、「京都仙洞御所」と改称する。
●天皇陛下の譲位に関する皇室典範特例法の骨子●天皇陛下の譲位に関する皇室典範特例法案浅学の私ごときがこのようなものを世に問うのは、
まことに申し訳ない仕儀でありますが、
誰もなすものがないのなら、
恥を忍んでこれを記すものであります。
こころある政治家、官僚、学者、国民の行動を心から望んでのことです。
陛下の譲位を今後悪用されないように万全の意をくだくことこそ、
臣下の努めです。
自民党からは「サムライ」が絶滅し、
選挙屋だけの集団に成り果てたのでしょうか?
ポスト安倍が見当たらない中、
ここで護国に立ち上がるものにこそ、ポスト安倍の資格があります。
●陛下のお言葉
「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」
(天皇陛下)
平成29年5月23日
平岡憲人
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先帝陛下ご真影
先帝陛下崩御 先帝陛下崩御 先帝陛下崩御
今日は昭和の日、先帝陛下の誕生日にあたります。
かって我国は、畏くも天皇陛下の誕生日を「天長節」皇后陛下の誕生日を「地久節」として国家挙げて祝い慶びました。 戦前の祝祭日は、根拠、目的、由緒がはっきりとしたものでしたが、戦後の祝日法によって定められた祝日は、目的、由緒が漠然としており、これでは何の為の祝日かわかりません。 昭和の日を「昭和節」文化の日を「明治節」とし、皇室祭祀にまつわる祭日も本来に戻すことこそ愛国心を涵養し、今の日本にとって大事なことです。 昨今、伝統の何たるかを忘れ、わが国の文化を否定する風潮が多々見られ、それに伴い治安の悪化が著しい・・
先人を否定し、文化を忘れ、日本人らしさを失っていくのは自らのルーツを否定しているのと同じではないかと筆者は思うのです。
昨今の日本を見るにつけ、日本が日本で無くなっているような錯覚にとらわれ落胆させられることが多々あります。
今一度、日本という「祖国」「母国」について熟考せねばならぬ時代が来ているのではないでしょうか? 「降る雪や明治は遠くなりにけり 」
昭和58年に亡くなった俳人、中村 草田男(なかむら くさたお)氏は明治生まれでした。昭和の時代を目の当たりにして、雪が降るという季節の節目に立ち、母校の小学校を尋ねた際に作った句だそうです。 生まれた時代を振り返って、明治という時代が遠くになったものだな、と言う感慨を句にしたものと思います。 昭和に生まれた筆者も還暦を前に、時々昭和という時代を懐古し、今日の日本と対比することが多々あります。今日のように物質的に恵まれ豊かな時代に暮らしていても、何か大きな忘れ物をしたような?大事なものを置き去りにしてきたように思えてなりません。地域の紐帯は薄れ、個人主義が蔓延り訴訟社会になってしまった平成の日本。豊かではなかったけれど幸せだった昭和の時代。
「昭和は遠くなりにけり 」と・・・
冒頭の画像は一般参賀、続いて先帝陛下ご不例(ご病気)において当時の国民が平癒を祈り記帳に駆けつけた画像です。誰一人として動員をかけられた人はいません。心より先帝陛下を慕い平癒を祈ったのです。
祝い事やイベントを自発的に日本国民は自粛し、ご快癒を祈りました。一億国民の願いも届かず、先帝陛下は崩御あそばされた。多くの日本国民は悲しみました。
激動の時代に君臨された先帝陛下。その御稜威は今日においても色褪せることなく昭和の国民のこころに焼き付いております。
先帝陛下のエピソードをいくつかご紹介させていただきます。
薨去あそばされた寛仁親王殿下「公平無私の上御一人は私にとって命がけでお守りする存在でした」
――昭和天皇とお二人きりでお話になられたことはございましたか?
昨年7月亡くなった皇室記者ひとすじ56年・松崎敏弥さん殿下 二十代の頃でしたが、将来のために陛下とどうしても直接お話をして伺いたいことがあると高松伯父様にお願い申し上げたら、二度実現しました。その時の記憶で特に鮮明なのは、陛下が「自分は半生の中で自らの意見を述べたのは二度ある」と淡々とおっしゃったことでした。一度目が二・二六事件の時、二度目が終戦の時というのです。本来陛下を補弼(ほひつ)する責任を持つ重臣たちが、前者の場合は消息不明であり、後者の場合は意見を伺いたい旨を言上(ごんじょう)したわけで、いずれの場合も陛下ご自身がお動きにならざるを得ない状況におかれたのです。この話は後に陛下が記者会見でも発言されましたが、その時は初めて聞く話でしたから、仰天すると同時に背筋がゾッとしました。
またある時、高松伯父様が「若い者が陛下のところに行ってお話ししろ」とおっしゃるので、私と弟の高円宮の二人で陛下のお側に行きました。私は青少年育成で日本中を回っている時の話を色々申し上げました。自分が直に全国各地の青少年と議論をして聞き出してきた、各地方の特色ある生の声を得意になってご説明したのですが、陛下はみんなお見通しでした。「その地方の若者はこういうことを言わなかったか」と、実に的を射たご下問をなさる。各地の若者たちの悩みや問題点をじつによく把握なさっていました。私は帰りの車の中で高円宮と「これは一体どういうことか、不思議なことがあるものだ」と話し合いました。 ――昭和天皇は実に細やかな気配りをなさる方であったと伝え聞いております。 殿下 これはあまり世に出していない話ですが、私が昭和五十五年に結婚(信子妃殿下は麻生太郎元首相の実妹)した時に、両陛下をはじめご親族を招いて晩餐会を開いたのです。 義祖母の夏子おばあちゃん、義母の和子女史や義兄の太郎をはじめ、麻生家の親族に列立してもらって、陛下に拝謁を賜りました。父が一人ずつ紹介しようとしたところ、陛下は皆に向かって突然、 「太賀吉は元気でおるか?」 とおっしゃったのです。 実はその時、岳父の麻生太賀吉氏は食道がんで入院中でした。その情報はもちろん陛下のお耳には届いていたのでしょう。それでも陛下のお心遣いに一同言葉にならず、ただポロポロと涙を流すばかりで、とても紹介どころではありませんでした。このような絶妙なタイミングで、思い遣りのお言葉を自然に出されるのが昭和天皇でした。 ――国民に対するお気遣いも有名でした。 殿下 台風の時など、まず「稲穂の状況と被災民の様子」を常に心配されて、侍従を通してご下問がありました。それは見事に自然な形で発せられるので、地元の人々はこのお言葉を翌日の紙面で知ると勇気づけられますし、奮起するのです。どの災害、事件の時も同じでした。あれほど「公平無私」の心をお持ちの方を私は知りません。 ――今の日本の繁栄があるのは、昭和天皇が常に国家の平安を祈られ、国民を激励し続けてこられたからではないでしょうか? 殿下 敗戦国の元首が国民の中に分け入って熱狂的な歓迎を受けるという例は、世界史上皆無でしょう。ここに、他国の王室や皇室とはどうしても比較できない、陛下と国民の間の人間的な絆があるのです。 ある時、過激派への対策として、皇居や赤坂御用地に機動隊のバスがずらりと並んでいたことがありました。それをご覧になった高松伯父様は宮内庁の役人に、 「お前たち、皇室は軍人や警察官に守られて二千数百年も続いたんじゃないぞ。国民に守られてきたんだ。あんなものは即刻撤去せよ!」 とおっしゃり、翌日、すべての配備をときました。もちろん、何も起こりません。 また、伯父様はこうもおっしゃっていました。 「京都御所を見てみなさい。わずか三十センチくらいの疏水が流れているだけで、誰でも乗り越えられるし、どこからでも侵入できる。でも、長い年月、何者にも侵されていない。それは歴代の国民が守ってくれたからだ」 まさにおっしゃる通りだと思います。良識ある国民の総意で万世一系の百二十五代は続いてきたのです。 [激励]足掛け8年半で3万3000キロ 2万人に声をかけられた焼け跡の中の全国巡幸
当時の天皇と国民との関係については、私にも印象的な思い出がある。小学生のとき、学校の夏期合宿からの帰り、軽井沢の手前の横川駅で昭和天皇のお召列車とすれ違ったときのことだ。引率していた女性教師が、汽車の窓を開けてはいけないと注意した後に、「私は天皇陛下万歳とはいいません。そういう人間ではありません」といった。ところが、いざお召列車が目の前を通り、天皇陛下がこちらに手を振っておられた時、その女性教師は他の乗客たちと一緒になって「天皇陛下万歳」と叫びながら、号泣していたのである。
後に、先生が婚約者を戦争で亡くしていたと聞いた。複雑な感情を持ちながら、それでも目の前を通るお召列車に向かって泣きながら「天皇陛下万歳」といわずにはいられなかった姿を、皇室記者になってからも、たびたび思い出した。 先帝陛下は酒を嗜まれず、美食を好まれなかった。衣類についても飾ろうとされることがなかった。側近にすすめられて、公務の場で着られる洋服を新着されても、新調した服が傷まないように、奥に入られると几帳面にすぐに古い背広に着替えられた。昭和天皇陛下・香淳皇后陛下は、戦時中の昭和19年の暮れから、防空施設として作られた御文庫に、居住されておられました。
そこは、元侍従長の入江相政氏によると、屋根には砂が盛られ、湿っぽく、居住性の極めて悪い施設だったそうです。しかし、昭和天皇陛下は戦後もそこに住み続けられました。何回か新しい御所を作ることを進言申し上げたのですが、昭和天皇陛下は、「国民はまだ住居がゆきわたっていないようだ」といって、断り続けられました。そして、国民の生活水準が戦前をはるかに上回り、神武景気も過ぎた昭和36年の11月、先帝陛下はようやく現在の吹上御所に移られました。
新宮殿が創建されたのは、それよりさらに遅れて昭和43年のことでした。
そして先帝陛下は、以下のように仰せられた。 「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ。」 先帝陛下は終戦の詔勅において日本国民に向けて発せられておられます。
「常に汝ら臣民とともにある。」と・・・
昭和の日に先帝陛下のご遺徳を偲び、御国の隆昌と皇室の彌榮(いやさか)を願ってやみません。
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桜の木の下でのめぐみさん、父横田滋さんが昭和五十二年四月に撮影
今日四月九日、産経新聞一面に「めぐみへの手紙」と題してご両親の悲痛な叫び、政府への不信、めぐみさんへの痛々しいまでの呼びかけが綴られています。そしてこころある人々へのお願いと謝辞が記されています。
同じ子供をもつ一人の親として、同じ日本人として胸がいたみました。
こころある方々は読んでいただきたい。
また、三月三十日の産経ニュースにも
家族会結成から20年、拉致から40年… 家族、日本の「これから」としてコラムが記載されています。「宿命は変わらない。宿業と感じるときさえある」 米国がシリアへ行った制裁措置でもある爆撃によって中東はじめ極東アジアへも緊張が一気に広がった。北朝鮮によるわが国への脅しともいえるミサイル発射も頻繁に行われるようになったが、国会やマスコミはこれらに対して論ずることなく、この二ヶ月議論されてきたのは「森友騒動」、新聞各紙、テレビ各局がその件に関して占有してきた時間、紙面の無駄は膨大なものといえる。残念ながら国家の主権、拉致問題に真摯に取り組んでいるのは産経だけでした。
上記引用文にもある、横田めぐみさんの母、早紀江さんが「日本には北朝鮮に共鳴する人が今も存在するのではないか。拉致の解決が進まないよう、押さえつけているのではないか」とさえ述べられている。今も北朝鮮に忠誠を誓い、祖国と仰ぎ、革命なるたわごとを夢見ている大馬鹿者が筆者も存在しているように筆者も確信します。わが国にテロや拉致が二度と起こらぬように審議する重要法案さえも野党各党はこぞって反対している。ならばどうやって国民を他国の侵略、武力、テロから護るつもりなのか?
具体的な対案さえも出さず、法案採決において「審議を尽くしていない」などと叫び、プラカードを掲げ、委員長席に詰め寄りおよそ日本人らしくない光景が再現される。これらいつもの風景に新聞、メデイアは馬鹿野党の立場に立って貴重な紙面、テレビは時間を費やしていくのです。国民の生命と財産を護る使命をよそに・・・彼らに国の為に、国民の為にという意識の欠片もありません。ただただ権力闘争だけです。
国がやらねばならぬ第一は「国民の生命と財産を護る」「拉致された日本人を取り返すこと」ではないか? |



