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童謡 - ふるさと
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申しあげます。
最近、マスコミ、テレビ等での外来語の汎用は目に余るものがあります。
レジェンド(伝説的)レガシー(遺産)アウトソーシング(外部委託)・・・
枚挙すればきりがありません。不用意な外来語の使用は伝統ある我が邦の言葉、文字文化の伝承のうえにおいても残念としかいいようがありません。
文化の伝承は百年後、千年先に日本人が日本人であるために、日本国が日本国であるためにも必要不可欠なものです。日本人が日本語を話さなくなったらもはや日本人ではありません。
今日日本人が憧れる欧米は奴隷や、人種差別が行われてきましたが、「和」の国日本では、古来から人種差別が行われたことがなく、海外から仏教が到来すると、神仏が争わずに、「神様仏様」といって混淆(こんこう)した歴史があります。海外のように宗教抗争や、奴隷制度が行われたこともなく、何事においても差別しない文化が日本の精神の特色です。
江戸末期、わが国は鎖国を解き、わが国は開国しました。
明治時代の日本には、欧米からたくさんの考え方や技術が一気に入ってきました。ダムが決壊して大量の水が一気に流れ出したような勢いで情報や文化が流入してきました。それらを理解し国づくりに役立てるためには翻訳しなければならず困ったことがおこりました。
当時、西洋語にあって日本語にない概念が多く存在しました。現代でもそうですが、似たようなことばが見つかっても、日本語と英語とでは、概念の範囲がずれているのです。概念としてずれているということは、西洋語の意味にぴったり合う日本語の単語は「ない」ということと同じであり、このような事態に対して、まったく新しいことばを作ったのが明治の造語です。それまで日本語にあった似た意味の言葉で代用したりして、訳語を決めていった。そのようにしてできたことばの多くは、それ以後、西洋の単語に対応することばとして、日本語の中に定着し、いまでも使われている漢字です。
欧米の語彙をもとに日本でつくられた語
亜鉛 暗示 栄養 遠足 温度 概算 概略 会談 会話 回収 改訂 拡散 活躍 関係 観点 間接 直接 寒帯 基準 協会 共鳴 強制 金婚式 銀婚式 緊張 空間 契機 経験 系統 化粧品 原則 現役 現実 現代 効果 高潮 肯定 国教 固定 採光 雑誌 作用 時間 刺激 指導 実感 失恋 資料 宗教 集団 出版 常識 承認 進度 新聞記者 制限 清算 性能 石油 積極 絶対 接吻 宣伝 総合 促進 体育 体操 代表 対象 単位 探検 単行本 電池 伝統 農作業 背景 否定 否認 必要 批評 評価 標語 不動産 方式 本質 蜜月 目的 目標 理想 理念 了解 類型 運動 改革 階級 解散 幹部 議員 議院 議会 企業 協定 金融 銀行 共産主義 社会主義 業務 共和国 組合 警察 景気 経済恐慌 軽工業 決算 権威 現金 公民 広告 工業 下水道 上水道 高利貸 国税 債権 施行 思想 市長 自治領 指数 事務員 実業 資本家 社会 重工業 消費 商業 証券 情報 所得税 人権 信託 進歩 人民 政策 生産手段 政党 選挙 総理 代議士 闘争 同士 法人 無産階級 輸出 立憲 労働組合 労働者 基地 軍国主義 国際 将軍 退役 領海 領土 冷戦 幹線 航空 終点 出発点 乗客 速度 鉄道 電車 電報 道路 飛行機 医学 遺伝 意訳 概念 科学 化学 学校 学生 仮定 擬人法 客観 教育学 教科書 教養 経済学 形而上学 原子 原理 元素 建築 講演 講座 講師 光線 酵素 個体 質量 社会科学 主観 進化 進化論 心理学 水素 成分 退化 単元 蛋白質 窒素 抽象 直径 定義 哲学 電子 電波 電流 図書館 物質 物理学 平面 方程式 放射 母校 密度 唯物論 要素 理論 倫理学 論壇 論文 論理学 黄熱病 看護婦 神経衰弱 伝染病 百日咳 病院 保健 演出 歌劇 喜劇 銀幕 芸術 図案 展覧会 美術 舞台 漫画 (2013.ワック出版『歴史通』5月号宮脇淳子「歴史エッセイ」より転載)
「神話」も明治訳語の一つで、それまでは「ふること」といいました。
今日の日本語のなかには、おびただしい数の明治訳語が我が物顔をして、氾濫し、闊歩しています。
たとえば、音読みの熟語「幸運」が漢語、「ラッキー」が外来語、「幸い」がやまと言葉です。まだまだ知らず知らずのうちに我々はやまと言葉を使っています。
「ごきげんよう」は少し前のNHK朝ドラ「花子とアン」で繰り返し使われた挨拶の言葉で、ここちよい響きが印象的でした。
漢字では、「ご機嫌良う」で、意味としては「次回会うまでご機嫌良くお過ごし下さい」=「お元気で」といった気持ちが込められています。 冒頭の動画は不朽の名作、唱歌「ふるさと」です。
最近の小学校では、唱歌はあまり教えなくなったと聞いています。
唱歌「故郷」は、誰もが聞いたことのある心の歌であると思います。
この歌は、長野県中野市(旧豊田村)出身の高野辰之氏によって作詞され、高野氏が生まれ育った地の風景が、歌詞のモデルとなっています。 この唱歌は多くの日本人のこころに響く名曲です。その理由の一つが歌詞のすべてが大和言葉であることです。
大和言葉も最近の学校ではほとんど教えなくなりました。
大和言葉とは往古の昔、我々の祖先が創り出したわが国固有の言葉であり、悠久の昔より連綿と紡いできた、伝統の上に生まれた言葉です。
「山」「川」「夢」「ふるさと」これらみんな大和言葉です。
現在の日本語の単語は三種類、残るふたつは漢語と外来語ですが、漢語は支那語から採り入れた言葉で、「山地(さんち)」「河川(かせん)」などがわかりやすいです。
「ふるさと」も漢語では「故郷(こきょう)」となります。
漢字の読みで言えば、音読みで発音される言葉が漢語、訓読みが大和言葉です。外来語は支那以外から来た言葉で、多くはカタカナ表記で表されます。
「故郷(こきょう)」よりも「ふるさと」が日本人の心に染みるのは、わが国の美しい風土のなかで生まれたもので、大和言葉そのものが祖先よりの送りものであり、一音一音が祖先の感性が投影されたものです。
最近は造語能力に富む支那語おしゃれで格好よい外来語に押されて、長く長く使われ、愛され、祖先からの贈り物である大和言葉が使われていないのを残念に思います。
言葉の乱れは世相の乱れとも言います。
大和言葉は美しい潤いのある言葉です。
うつくしい言葉にふれると、気持ちがよくなり、まるで心が洗われるようです。
では大和言葉とは、どんな言葉なのでしょうか?。
わかりやすく言えば、万葉集に収められた歌は、わずかな例外はあるものの、ほぼすべてが大和言葉です。誰もが一度は耳にしているであろう明治期に作られた唱歌も、ほとんどに大和言葉が使われています。
唱歌が長く謡い継がれ、万葉集が不朽の名作と言われる由縁はわが国独自の言葉だからなのです。
前述しましたが、言葉、文字は遠い祖先から連綿と継承してきた日本人の国宝であり、ありのままを伝える大切な至宝です。継承されてきた先人の知恵、努力を忘れ、安易にカタカナ文字を濫用することはいかがなものでしょうか?
今のままでは平成の民は「不遜(思い上がった)」と後世の民から言われても仕方がありません。行き過ぎた濫用を慎み、日本古来の文字、言葉の使用こそ大切なことではないか?
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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明治23年(1890年)10月30日126年前の今日、明治大帝より「教育ニ関スル勅語」が渙発されました。
GHQの四大指令の4 番項目により廃止してしまったことにより荒廃した今日の日本社会、國を顧みない政治家の横暴、すべて戦後教育の歪みであります。
明治大帝渙発による「教育ニ関スル勅語」は戦前まで日本国民の精神を培った教育基本法です。これは明治大帝が新たに決めたものでもなく日本古来からの伝統であり教訓をこれを普遍的に続く道徳であるとして、明治大帝みずからも努力して実践しようではないかと国民に呼びかけているものであり、陛下が一方的に国民に押し付けたものではありません。
戦後敗戦国となった日本は連合国に「教育勅語」を廃棄・失効させられ、これに代わって日本人の魂を狂わせ、戦後の教育や社会が悪化・堕落するように周到に仕掛けてあった社会科教育などの占領政策である。
現在の70歳以下の国民は戦後の教育で育ち現在の教育に何ら矛盾を感じないのです。
戦前は社会科という教科はなく、「修身・地理・歴史」という教科で学びました。
連合国は日本の精神の強さ、気品ある国柄を恐れ、再軍備し再び米国に立向かわないよう教育の場から「骨抜き」にしてしまったのです。
占領期間はわずかな期間で終わりましたが、占領政策に関しては倍の年数をかけています。
なぜなら、占領政策は「魂の原爆」となって、二度と米国に刃向かわないよう属国とし、日本の戦後70年の間、社会や教育悪化に深刻な影響を及ぼす骨抜き政策だったのです。
教育勅語こそ、先祖代々・明治以来百年の父祖の精神、品格ある国家と品格ある日本国民を生んだ大本だったのです。 連合国は、日本人を恐れ「教育ニ関スル勅語」を恐れたのです。
現在連合国の罠にまんまと嵌り、もがき苦しんでいます。
今日、世界で賞賛される日本人の礼節、謙譲、博愛のこころ、道徳が決して戦後教育によってのみ培われたものではなく,戦前からの継続性に基づいていることが明らかです。我々の先祖が教育勅語、修身教育によって身につけた内容は子供や孫に伝えられ,それが知らず知らずのうちに日本人の心に刷り込まれて今日に至っているという道徳の歴史的継続性を認識することも学校教育において重要なことではないでしょうか?
これらに気がつかず、国会にて「教育勅語」「修身教育」の復活すら議論されないことが異常であり、日本人が日本人であるために、百年後、千年後の日本に日本人らしさを継承するためには「教育勅語」は必須です。
教育勅語を否定することこそ尋常ならざることです。
朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す
爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい)和し 朋友(ほうゆう)相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學を修め業(ぎょう)を習ひ 以(も)って智能を啓発し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し、進んで公益を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開き 常に国憲を重んじ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如(ごと)きは 独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰(けんしょう)するに足らん
斯(こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず 朕爾臣民と倶(とも)に挙々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(そ)の徳を一(いつ)にせんことを庶(こ)ひ幾(ねが)う
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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最近は東京の市場の話題ばかりで日本の行く末を論議されているとは感じられません。こういう時はマスコミが何事かを隠蔽、それらから国民の目をそらせていることがおおいのです。
平成の御代にはいり欧米の価値観が蔓延し、勝ち負けにこだわり日本人のあるべきすがたが残念ながら見えなくなってしまいました。
大東亜戦争に敗れながらも奇跡の復興、発展を遂げれたのは大正世代の方々の身命をなげうつ努力の精華でした。決して今日のわが国の繁栄は今の世代のものではありません。著書「永遠の0」の著者、百田尚樹氏が大正世代の方々の強さ、素晴らしさは世界最強世代であると言われます。筆者も左様に思う。
大正世代の方々の両親は当然のことながら明治生まれです。
明治人の教育、薫陶があってこそ大正世代の方々の人格ができたのです。
明治という時代は明治の御一新により、近代国家へと変わらねば欧米列強に呑み込まれるかもしれない激動の時代でした。 欧米の価値観、文化、いわゆる文明開化の嵐が吹き荒れ、「西洋のものなら何でもよい」という考えすら出てきて、子供は古い考えの親や祖父たちの言うことを聞かず、古きよき伝統を安易に捨て去ろうとした時代もあったのです。これらに憂慮あそばされた明治天皇は「教育勅語」を渙発され、脱線直前の世相を修正されました。
冒頭のい画像は、美術の世界に触れたことのある方々なら誰もが知っている明治美術、思想界の巨人、岡倉天心です。
天心は欧米、欧米と草木もなびいていた明治前半、日本美術の優秀性、を説き、日本美の伝統の擁護、振興に尽力された。
かって大学の競争率一番だった東京芸大の前身、東京美術学校の設立に尽力、わずか二十七歳でその校長、三十五歳で日本美術院を設立、ここから巨匠、横山大観、菱田春草らの画家が育った。
天心は英文にて、「東洋の理想」「茶の本」を執筆、「茶の本」は天心の名を世界に知らしめた。
天心は世界に向かって、日本の文化、美術の価値を力説し、次のように述べている。
「一系の君主を戴く比類のない幸せ、征服されたことのない民俗の誇り高い自尊心、膨張を犠牲にして祖先伝来の理念と本能を守った島国的孤立が日本をアジアの思想と文化を託する真の貯蔵庫とした」「アジアの文化遺産をその秘蔵品によって一貫して研究できるのは日本においてだけである。・・日本はアジア文明の博物館になっている。いや博物館以上のものである」と。
国家の存亡をかけ戦った日露戦争時には米国にあって「日本の覚醒」を英文にて執筆、日本の立場をアメリカ人に訴えた。これらは大きな反響を呼び、天心は万丈の気を吐いた。
「日本にあって鉄砲を肩にしご奉公下以上に尽くした」と家人に語っている。
天心は齢(よわい)五十にて没した。しかし、その生きざまは炎(ほのう)のような生涯でした。前述しましたが、明治を代表する思想的巨人であり、天心ほど日本を愛し、文明を愛し、深く信じた人物は比肩なき巨頭っだったと言えましょう。今日でも天心の輝きは色褪せることなく輝きを放っています。
平成の御代に天心のような巨人がいないことが混迷、迷走している世相を反映しています。
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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畏くも秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下におかせられましては、「敬老の日」発祥の地として町おこしを進める兵庫県多可町で15日、「敬老の日制定50周年記念式典」(県、同町主催)が開催され、秋篠宮両殿下がご台覧あそばされた。両殿下が同町にお成りされるのは初めて。
平成14年までは毎年9月15日が敬老の日でした。 敬老の日の起源は、筆者の生まれ故郷と隣接する、兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が昭和22年に提唱した「としよりの日」が始まりとされています。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、当時は農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが昭和25年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がりました。 両殿下がご台覧あそばされた多可町文化会館ベルディーホール(同町中区中村町)で開かれた式典には町民ら約500人が出席。秋篠宮両殿下は「発祥の地であるこの地から敬老の精神を発信し、その心を次の世代に引き継いでいくことは、誠に意義深いことと考えます」とお言葉を賜りました。
ステージでは小学生による祖母への感謝の手紙の朗読なども行われた。式典後、両殿下は多可赤十字病院をご覧になられ、併設の老人保健施設を見学された。 沿道では、町民が日の丸の小旗を振って両殿下を歓迎。式典会場前で両殿下から「これからも元気でいてください」と声をかけられた同町中区中村町の園崎武さん(101)は「感激しています。長生きして良かった」と話していた。皇室と臣民の紐帯の精華だと筆者は思います。 ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほど 人は強さを掴むから 夢を見る
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し
あなたと歩んだ あの日の道を探す
ひとりの祈りが 心をつないでゆく
空に手をひろげ ふりそそぐ光あつめて
友に届けと放てば 夢叶う
はてなき想いを 明日の風に乗せて
私は信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し
NHKスペシャルドラマとして放映された司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」テーマ曲、「Stand Alone」の歌詞です。
「Stand Alone」とは「自立」を意味します。 筆者の幼少の頃、筆者の祖父母らはほとんど明治生まれでした。
「明治生まれ」というのは、当然ですが日本にしかありません。又、今現在明治生まれの方は最年少であっても104歳を越えています。 平成23年統計では総人口に対する明治生まれの方々が占める割合は、0.1%、大正生まれの方々が総人口に対する割合は、3.3%・・・ あと、10年も経てば・・・人間の寿命というものを考えてみた時、明治生まれの方はほとんどこの世の中にいらっしゃらなくなるでしょう・・・ 他界して30年になる筆者の祖母の口癖は「ありがたい」「もったいない」「人様のため」「自分を下に下に」「親を大切に」...でした。まさに教育勅語の精神でした。 また、「怒り・憎しみ・妬み・嫉妬・不平・不満」は全て、増上慢、思い上がりだと教えてくれました。いつも感謝と笑顔の人だったと...今でも記憶しています。 筆者が知る明治人は皆、「凛」としていました。 現在の人々にはない起居振舞や姿などがりりしくひきしまっていたように思えます。 筆者らの世代ぐらいまでが、明治人の薫陶を僅かながらに受けた世代ですが、荒んでいく世相、荒廃していく道徳。先人が遺してくれた大事なものを一つ、また一つ失っていく様は、日本に住みながら別の国にいるようです。 一日また一日、辞世されていく、明治、大正世代の素晴らしい先人たち。
しかも、何かを為し、使命を達成したかのごとく颯爽とされています。 「ありがとうございました」と感謝の言葉しか見つかりません。 拙記事の一部は昨年九月十九日にエントリーしたものを引用しています。
エントリーした拙記事に対し、筆者が尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄は次のようにコメントいただきました。
大家族は継承家族とも言います。戦後、大家族が核家族になり、今ではその核家族も個人個人になっています。祖先の知恵を受け継ぐ場所がなくなって日本らしさがどんどん遠のいています。年寄りはよき知恵を継承も出来ずに孤独に亡くなっていきます。これで本当によいのでしょうか。
また煎茶道松月流家元、渡辺宗敬宗匠は 明治に生まれた人が素晴らしかったのは、江戸の世に生まれた人に育てられたからです。国風文化の頂点の香りを、色濃く残していたんだろうと思います。そこには、歴史と文化の継承が間違いなく存在してました。私達、団塊ジュニア世代には、その大切な継承がありません。何故か?親が大切な事を知らないから…。これが、戦争の一番の犠牲なんだろうと思って居ます。しかし、教育勅語を始め、正すべき「大和心」の範が沢山残って居ます。この原点に、今一度立ち返る事が必ず出来る筈だと信じて居ます。我々、大和の民は、常にこの原点帰りを繰り返してきた歴史があります。諦めず、沢山の教えを残してくださいませ。私の娘は、「凜」と申します。悠仁親王と、この子達の世代が活躍出来るお手伝いをするのが、中抜きされた私達の努めだと信じて居ります。
とコメントいただきました。
またタケシさまは
頑固者が明治生まれの代名詞みたいに言われる昨今ですが、とんでもない!
これほど美しい世代の先人に学ばねばモッタイナイです。 戦後日本が忘れた課題、問題点を提起してくださいました。
世代間の魂の継承がなされず断絶した感がある今日の日本。
しかし、日本を世界に知らしめ、尊敬された世代が間違いなく存在するのです。
筆者は常に自問自答しています。
凛とした日本人でありたい、先人が歩んだ道を照らせる日本人でありたいと・・・ |
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陛下のお言葉は、
今後も皇位が常に「途切れることなく、安定的に続いてゆく」ことが 根本にあります。 その上での、天皇陛下が高齢になられた時のお話です。 ●陛下のお言葉 「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」(天皇陛下) ■「象徴とは」と、陛下のお心を悩ませるようなことではありません。
天皇陛下にこのようなことをつきつけ続ける現行憲法典の運用は、まったくもって誤っています。「伝統に適合するように憲法典を運用する」のがごく当然のことです。これを「憲法典に適合するように伝統を運用する」と転倒していますから、陛下のみならず無数の矛盾が生じております。 自衛隊を筆頭とする危機管理と国防の破壊も、あるいは、生活保護や年金を筆頭とする家族福祉の破壊も、あるいは、アベノミクスと称する自由経済の破壊も、傷めつけられた皇室制度の放置や公家制度廃止の放置も、すべて、同根の矛盾です。明治維新の際に生じた「近代化幻想」の副作用・後遺症と考えます。 「憲法典に天皇をあわせる」というのは、「創作70年のものに2700年のものをあわせろ」というお話ですので、本末転倒とはこのことです。 「憲法典にあわせた」ところで、何の保証もありません。もし結果として日本国が滅んだところで誰も責任とりません。逆に2700年の伝統は2700年存続してきたという保証があります。2700年続いてきたものはその伝統を踏襲することにより、今後2700年続く可能性が高いという保証が。 そもそも「象徴」とは、英国王室のありかたから引用された言葉です。「君臨すれども統治せず」を指している言葉です。つまり、英国王室程度にずうずうしくする、ことが含意された言葉なのです。陛下が萎縮されるような文言ではありません。宮内庁官僚は文言の運用を180度誤り、転倒し、悪意をもって逆に使って、陛下を恫喝するのに悪用しています。 天皇陛下も皇族方も、日々宮内庁に追い立てられ、脅迫されて戦後ずっとお暮らしになってきたのです。本当に申し訳ないことです。 また、「象徴」というのは、英国王室のように「君臨すれども統治せず」であり、同時に、「神様(GOD)ではない」ということを意味しています。英国女王は、イギリス国教会の教主ではありますが、GODではありません。同じ意味において、天皇陛下は神道界の大祭主であられます。しかしながら、昭和天皇が昭和21年のいわゆる人間宣言において、神格を否定されたように、GODではあられません。つまり、「象徴」であることと、祭祀王であることは、矛盾しません。言い換えれば、政教分離の枠外であると言えます。 ●陛下のお言葉 「天皇が健康を損なった場合、社会が停滞することが懸念されます。更に、終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。こうした事態を避けることは出来ないものか。」 (天皇陛下、要約) ■陛下の御位はそうするに値する尊いものです。 天皇陛下は、「象徴」という文言に呪縛させられ、天皇という御位に自信を失っておられます。「国民に寄り添って」というお言葉には、大きな愛情と「国民と平等でない」という罪悪感が埋め込まれています。我々国民は、「お心だけでありがたいので、悠然・泰然とお過ごしください」と申し上げねばなりません。 天皇、皇族という身分は、現行憲法典においてすら章立てを別にされている身分です。戸籍も別ですし、権利義務も異なります。天皇陛下や皇族方には皇位を継承するという崇高な義務がかせられております。我々はそれを奉戴する、ありがたくいただき忠義を尽くすという義務を負っています。 天皇陛下と皇族方のおかげで、方々が崇高な義務を追われているがゆえに、我々国民は泰平と安定をいただいています。国家の中枢が不安定であれば、国民の生活が不安定になるのは自明です。皇位が安定しているからこそ、我々は長年の信頼関係やおもいやりやまごころで毎日を暮らすことができるのです。その結果として、我が国の繁栄があります。 陛下が重篤になられ崩御される際の自粛は、泰平と安定をいただくものの自然の道理です。いつも無事に暮らせ稼がせていただいていますから、せめて諒闇の時は自粛させてください、というのが国民の理りなのです。 国民に迷惑をかけないように、という陛下のご配慮はありがたくお気持ちだけいただきます。ですので、国民に遠慮などなさらず、国民統合の象徴として、神武建国を彷彿とさせる大喪と即位を淡々となさってください。その泰然自若のありさまをみて、我々国民もまたグローバル化と高齢化の進む我が国に誇りをもち日々暮らしてゆけますから。 ●陛下のお言葉 「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」(天皇陛下) ■陛下のお言葉は、今後も皇位が常に「途切れることなく、安定的に続いてゆく」ことが根本にあります。その上での、天皇陛下が高齢になられた時のお話です。 ここには、天皇廃止をも含む「退位」というものはなく、次の代に継承する「譲位」の発想しかありません。 マスコミと宮内庁から発せられる「生前退位」という言葉は、マスコミと宮内庁によるクーデターです。天皇制を破壊し、日本を共産主義国家にする勢力によるものです。 「譲位、退位については、明治憲法のときも伊藤博文ら明治の元勲らにより論じられ、「ない方がよろしい」と決まった。日本国の安定した未来のための選択であった。国民にも政府にも冷静な判断が求められる。退位は時に政治的な意味合いを持つ。それをきちんと認識し、政治的な利用は排除されなくてはいけない。」(櫻井よしこ) 皇位継承の安定化に対してなせることは、極めてシンプルです。女性天皇でも、女性宮家でも、女系天皇でもなく、そして、恐れ多いことですが、生前譲位ですらありません。
2について述べれば、現在、皇室典範は「国民が簒奪」した状態にあります。皇族は皇室会議にただ「オブザーバー」のように座っているだけで、発言権もありません。そして政府・宮内庁は、皇族の平民化、皇室の破壊を、嬉々として押し付け、命令している、そんな状況です。 2005年にその皇室会議の前段階で開かれた「有識者会議」では、まさに、国民の代表と称する東大総長経験者が、女性天皇、女性宮家、女系天皇を嬉々として押し付け、命令しておりました。 まず、皇室典範を皇室にお返しし、皇室会議を皇族会議にお戻ししなければなりません。 ■特別立法すら不可 なお、一部民族派は、共産党による工作だとも見破れず、皇太子殿下や同妃殿下への中傷工作に駆りだされ、もし天皇陛下が生前譲位なさったとしても、譲位先こそ問題だ、とわめいています。 ”退位”よりも”即位”が問題なのでは? 時事随想ブログ
皇位継承順位は、長年の「法」によりすでに決まっていることで、一般国民が口出すことではありません。もし、皇位継承が国民の口出し、つまり、「民主主義」で決まるなら、王朝的世襲という民主主義と原理を異にするしくみを国家に内在させる意味がなくなります。 また、今回のお言葉を受けて、安倍政権では、特別立法にて生前譲位を可能とすることを検討していると漏れ伝わっております。しかしながら、女性天皇などを推進した有識者会議のリーダーであった園部逸夫・元最高裁判事すら、こう述べていることを知るべきです。 <生前退位>特別立法軸に検討 政府、制度化を避け 毎日新聞 8/11
「あらかじめ制度化するより特別立法とする方が、恣意(しい)的な退位や強制退位の弊害が比較的小さい」(園部逸夫・元最高裁判事) 「弊害が比較的小さい」というのは、弊害は無視できないということ。特別立法としたところで、恣意的な退位や強制退位の弊害は防げないということ。なぜなら、退位させたくなったら、あるいは、即位させたくなかったら、特別立法すればよい、ということなのだから自明ではないか。 ■結語 我が国の近代化の後遺症とも言えるこのような事態が収束するのが早いか、我が国が滅びるのが早いか。我が国は存亡の危機に立っております。陛下がおいたわしく、また、臣民としてまことに申し訳ないと感じております。 平岡 憲人
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