《一煎一話集》桃李不言 下自成蹊
お・ま・け
この写真に写る急須は、常滑焼の新進作家・山田想さんの作品に為ります。おじいちゃまに、人間国宝の故・山田常山さんを持つだけに、腕前は天才と言っても過言ではない才能の持ち主です。チョッと小生意気なところもありますが、若さ故の勢いにも感じられます。そして、その若さに、「同じモノを作って居ても、今の時代に合わせた商品価値を高める努力が必要」と、逆に教えられました。
現代煎茶趣味の確立は、急務です。歴史と伝統の継承。そして、新しい感覚の融合を目指して取り組んでます。そこで、色紙とは別に、こんな「ポストカード」を作ってみました。日本の伝統文化の多くは、わび・さびや粋(いき)と言う静かな世界感が背景にあります。どうしてもビジュアル的に弱いので、押し出しを強くする必要があるので、そこは悩みどころでもあります。背骨と申しましょうか?本筋を弄らず、少しずつ時代に合わせて、出来る事から改めて行く努力をしてみたいと思って居ます!!
お蔭様で、今年は、桃を沢山頂戴致しまして、美味しく頂きました。桃李の如くありたいものです。so-kei♪ |
一煎一話集
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《一煎一話集》竹有上下節
下手な字を書き生活の糧とさせて頂いて居ります。その中に、私自身の思いを込めたメッセージを入れさせて貰ってます。その時々の思いなので、自分自身の成長と共に内容も変わる事もありますが、その心はいつも一つです。そして、時々読み返す事もあるのですが、中々に立派な事を書いている割に成長しない自分に反省致すものです。恥の上塗りの様な人生ですが、謙虚に受け止め、自らの信じる道を進みたく願うものです。
しかし、この頃、改めて思いますのは、同じ言葉であっても受け取り方によっては、全くの別のものに為ると言う事です。文中にもあります「平等」と言う言葉ですが、これは本来日本人ならば誰しもが持ち得た素晴らしい伝統なんですが、西欧風のインチキな垢に塗れてトンデモナイ解釈がまかり通る世の中と為りました。
人間とは、そもそも自由でも無ければ平等でも無いのですが、だからこそお互いがお互いを思いやって、それぞれが分相応に感謝して暮らしてきたのが、日本人の英知でした。ところがルソーやマルクスが言うところの哲学によって、「恨み・辛み・妬み」と言った歪んだ精神が、これら大切な言葉を汚らわしく上書きしてしまいました。
残念ながら、これが明治以降行われた欧米化の一番の弊害だと思っています。お茶の世界には、「茶席の上での平等」と言う言葉があるのですが、これは立場の違いがあるからこそ成り立つ文化であり、立場の差を乗り越えてこそ成立する素晴らしい伝統だと信じるものです。今時の味噌も糞も一緒の平等とは、質が違います。
敢えて言わせて貰えるのなら、日本人には尊敬と謙譲で結ばれた、平等よりももっと素晴らしい伝統があります。これが、「和の心」に導かれた真実の人間の関係です。更に日本には、「ナガサキ」と言う言葉があります。「ナ」とは「アナタのナ」です。私よりも、あなたが先と思えた時、人生に光が差します。
お茶の世界は、先輩・後輩の上下関係も煩く、完全なる縦社会です。私自身、長い間「茶席の平等」について悩んできました。けれど、威張らず驕らずに、相手が一歩引けば、自分はもう一歩引き、どこまで行っても、相手よりも上に行かないと言うのが、古来からの日本人の英知みたいです。尊敬と謙譲、感謝の心と思いやりの心で結ばれる仲間を増やしていきたいものですね!!人間なんて、結局は理屈じゃなく「こころ」です。
では、下がるばかりで良いのか?こちらが頭を下げているのに、それを踏みつけてくる無法者には正しい対処が求められます。話して分かる相手には、上手に諭して上げるのも正しい関係を維持する為には必要です。ただし、話しても分からない連中には、時に鉄拳もやむなしかも知れません。「馬鹿に、馬鹿と言える日本人に為りたい」ものです。「お前こそ…」と言われそうですので、今日はこの辺りにて失礼致します(笑)。
今日の出逢いに感謝です。嘘の平等に「NO!」を突き尽きてやりましょう(^^)v …by so-kei♪ |
「歴史を繋いで行くという事」〜今の私達「松月の仲間」が目指すべき世界〜ここに一枚の写真があります。もう彼是、数十年前の豊川稲荷での献茶式の風景です…。
初代家元の威厳に満ち堂々としたお姿と、周りを取り囲む高弟の先生方の張りつめた緊張の面持ちながらも、凜として清々しくも美しい居住いに心動かされる一枚です。
今年3月に「歴史を繋いで行こう」と言う高い志の下、東京・九段下にあります「靖国神社」へ、献茶式を奉納させて頂きました。現在の日本に於いては、「自虐史観」とも言われる自らの歴史を卑下する歴史観が教科書をはじめ、マスコミ・市民団体から流布され、自分達の歴史や祖先に誇りや敬意を持てず、胸を張って生きることすら否定された日本人が育っています。私は、この現実から逃げる事無く、綺麗事と言う名の偽善で隠したりせず、真実の歴史を学び祖先の汚名を晴らし名誉の回復に努めたいと願っています。
近隣諸国がどう言おうと、戦前戦後、そして明治維新と言う二つの壁を乗り越える事が出来れば、江戸時代の粋な文化、侘び寂びの茶文化が花開いた安土桃山時代、平安朝の雅な世界へと繋がり、振り返るほどに素晴らしい歴史と伝統を抱く国だと気が付くはずです。そして、漢字からひらがなを作り、更なる表現方法を手に入れた日本語。また、正倉院に今も残る御物が証明する様に、世界中の文化を取り入れ大切に育み、その上澄みを掬い取り、更なる高みへと昇華させてきた伝統を持つ国です。この根底に流れるオリジナルを「和」と呼ぶのだろうと考えています。そして、ここに至る「道」こそが、私達の愛する煎茶道の「ミチ」と信じるものです。
今年は、煎茶道の祖と呼ばれる高遊外賣茶翁の没後250年の節目の年にも当たりました。歴史とは、振り替えれば一本の大きな道です。そして、自らの人生が途切れた事がない様に、私達の祖国「日本」の歴史も途切れる事無く幾千年もの時を刻んで居ります。言い換えるならば、今を生きるものは、祖先や先輩方が築かれた道を歩ませて頂き、その諸先輩方と歴史にこそ守られて暮らして居ります。まずは、松月流の諸先輩方に感謝と憧れを以て目標として近づいていきたいと考えています。そして、賣茶翁の「清風の心」、いにしえの日本人から脈々と受け継がれた「和の心」へと繋いで行きたく願って居ります。
煎茶道松月流 三代家元 渡辺宗敬
大掃除の季節ですが、はかどってますか??
我が家では、こんな写真が出て来ました…。
この所、「歴史を繋いでいこう」と言う目標の下、様々な行事やイベントを開催させて頂いて居りますが、我が国には振り返れば振り返る程に素晴らしい歴史と尊敬出来る方々が居られます。その歴史を繋いく第一歩が、家族であり、先輩です。一昔前の写真ですが、僅か週十年前には、こんなにも凜とした日本人が沢山いらっしゃいました。この写真を見て、感動すると共に「自分自身、そして私の流派は、今一度こうありたい」と強く願いました。
年末年始に当たり、今年の反省と来年への抱負を兼ねて、この一文を掲載させて頂きます。過ぎゆく1年と又新たに始まる1年と歴史の1ページが開かれる瞬間です。大切なものは、いつまでも繋いでいきたいものですね。
今年1年間、本当にありがとうございました。又、来年も宜しくお願い致します!!…by so-kei♪ |
七夕祭り「星に願いを…」
この頃、「日本人って何なんだろう?」と言う疑問をいつも持ちながら過ごして居ります。
教科書を紐解けば、何でもかんでもお隣の支那・朝鮮から文化を貰ってきた事になって居ります。しかし、この「七夕祭り」にしても、「七夕」と書いて「たなばた」と読ませるところからしても、漢字伝来以前からのお祭りが大元にあり、そこに大陸からの新しい文化を取り入れ発展させて来たと見るのが自然ではないでしょうか?私自身は、そう解釈致しております。
漢字から「ひらがな・カタカナ」を作り、漢字かな混じりの文章へと発展させ表現の豊かさを獲得したのを初め、我が国は様々な文化を世界中から取り入れ、それを更に高い段階へと昇華させてきました。その根底にあるオリジナルを「和のこころ」と呼んでいます。これは、目に見えるものではなく、心の中に深く刻み込まれているものだと感じています。そして、目に見えないからこそ、見つけてみたいですし、感じてみたいといつも願っています。
しかし、そうやって思って居りますと、ところどころで姿を変えて、この「和のこころ」と言うものが現れて来ます。「和風」と呼ばれるものが有ります。これは、まさに他国の文化を日本風にアレンジしたものを指しますが、正しくは「和のこころを以って、他国の文化を成仏させる」と訳すのが正解だと思っています(笑)。
ところが、現在の日本に於いては、欧米は言うに及ばず、支那・朝鮮の悪い所ばかりを真似して優れた文化を破壊して居るだけの人が増えてしまいました。そこには、恐らく全てを覆い尽くしても余りあるであろうとする「大和のこころ」がスッポリと欠如してしまった人の大量発生が原因ではないだろうか?と疑っています。
日本人とは、何だろうと?問えば問うほど、この「大和心」に尽きると思います。日本列島に生まれたから「日本人」なのかも知れません。国籍が日本であれば、日本人だろうと考えるのは普通です。しかし、この「和のこころ」の欠如した日本人なんて、日本人と呼んでよいのでしょうか。お前は、何人だ?と言う話です。
この話を致しますと、「そもそも日本列島には人なんて住んでなかった」「大和民族なんて存在しなかった」「結局、古の日本人は混血を繰り返し現在に至った」と仰る方が居ます。私は、逆に言わせてもらえば、それならば如何なる人種をも取り込みまとめ上げてきた力の源こそが「大和心」であり、和の文化の証明と為るの筈です。
現在の我が国は、歴史を取り上げられ文化不毛の地へと成り下がろうとして居ります。しかし、学べば学ぶほどに、素晴らしい歴史と文化を持っているのが、私達の住む「日本」です。是非、この思いを繋げて、日本人の叡智の象徴であり、原点でもあります「和のこころ」へと至りたいものです。ここに至る過程を「道」と呼びます。
私は、煎茶道の家元をさせて頂いて居ります。この煎茶道の「道」も、この「和のこころ」へと至る道であると確信致すものです。情緒と風流を極めると共に、そんな心を思い起こさせる一煎のお茶を淹れて参りたいものです。
嘗て、七夕祭りにお供えしていた五色の糸が繫がる先は、ご先祖様であり、この「和の心へと」導いてくれるものだと信じて居ります。この「日本人らしさ」を取り戻した時にこそ、我が国は再び輝き始めるものと確信致しております。一煎のお茶は、心を清め曇りを掃います。是非、心に満点の星空を描いてみて下さい。
こんな願いを込めながら、今年の七夕祭りは夜空を見上げて居りました。この先、月遅れの七夕、旧暦でのお祭りも御座います。様々な願い事が有る事と思いますが、心の片隅に「日本の未来」を一緒に夢見てみて下さい。一杯のお茶が、歴史の縦軸を思い起こさせ、今を生きる私達一人ひとりを繋いでいく事を願っています。
…と言うよりも、繫がって居るんです!ここに気が付くか?どうかで、自らの「たましい」が輝いてきます!!
日本人とは、この「大和心」に至った者、又は至ろうとする者。なのかなぁ?と思う次第です。…by so-kei♪ |
一煎一話集「日々是好日」
今回から、新しくスタート致します「一煎一話集」。写真や画に、私の拙い思いをのせて茶話を綴っていこうと思っています。日本人の心、お茶の心、様々な角度からお話を進めて参りたいと存じます。第一回目は「日々是好日」から始めさせて頂きます。豪そうな事を沢山並べましたが、私も厄年・大殺界・天中殺・八方塞の最悪の雲気の中、グチグチと過ごしておりますが、笑って過ごしても一日・泣いて過ごしても一日!同じ一日なら元気一杯に過ごして行きたいなぁと、思いの丈を綴ってみました。
捨てる神ありゃ拾う神在りとも申します。厄年云々と宣伝しておりましたら、京都でご活躍の清川吉兆先生が、厄除けのお茶碗を贈って下さいました。何でも、御目出度い吉祥文様を茶碗の外にも中にも是でもか!と書き清め下さった一品だそうです。これでお茶を飲めば勇気100倍ですね!題字は、拙者so-kei♪によります筆汚しで御座いますが、皆さんの所にも幸せと元気が届きますように祈っております!!!
一煎一話集・・・一冊の本に纏めるのが夢です!ご意見・ご感想、参考にさせて頂きます。by so-kei♪ |
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