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菜の花畠に 入り日薄れ 見渡す山の端 霞み深し 春風そよ吹く 空を見れば 夕月懸かりて 匂い淡し 里回の火影も 森の色も 田中の小路を 辿る人も 蛙の鳴く音も 鐘の音も 宛ら霞める 朧月夜 なんて美しい言葉と情景だろう。 私はこの歌が大好きです。 私の知る限りですけれど、 この歌は中島美嘉も歌ってるし、 槇原敬之も歌っています。 この歌を聴くとき、 もちろん春の情景を思い浮かべるのですが、 しかしその情景は、現実に見たものではなく、 優しいメロディと言葉とが呼びおこす、 日本的な春のイメージが、ぼんやりと 形をとったもののように私には思われます。 またそれと同時に、一抹の喪失感を覚えるのです。 その喪失感は、春という季節の儚く過ぎ去って しまうもの、という印象と 過去、特に幼い頃に感じた美しい春の印象を 呼び起こすからかもしれません。 なので私にとって、その喪失感は郷愁を伴なうものなのです。 私は、朧であるもの、朧に見ゆるもの、 というのに日本的な美を垣間見る気がするのです。 何をもって「日本的」とするのか? きっとそれは、人それぞれです。 移ろいゆくもののある一瞬。 日常やたくさんの中に、穏やかにあるもの。 そういったものたちに、想いを馳せること。 そうできることが、「日本的」なことでは ないのだろうか?などと私は思ったりします。 書きながら、調和、という言葉が浮かんできたり。 水面に揺れる月影であったり、 しずしずと花を落とす桜の風情であったり、 頬を叩く夕立の雨粒の大きさであったり、 落ち葉を掃く竹箒の短さであったり、 ひとつだけ残った柿の実であったり、 霜柱を踏んだ音であったり..。 なんとはなく、朧に感じることに、 ふと、想いを呼び起こすこと。 ひどく抽象的なものに季節や宇宙を見てみたり。 緩やかで、曖昧で、奥ゆかしく、 外ではなく内に広がるもののようで、 瞬間のようで、連続するようで.. ああ、全然上手く説明できないなあ。 ひょっとしたら、 それは日本人がベースに持つ アイデンティティのひとつだったりして、 それが故に他の国の人たちに、 日本人は不可解だとか、はっきりしないとか 言われたりするのじゃないかとも思ってみたり。 そんなことを、ただなんとなく、
ぼんやりと思った、重たい春の一日なのでした。 |
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朧月、いいですねぇ〜 年月を重ねるごとに自然とか田舎の風景に想いを馳せます。 「緩やかで、曖昧で、奥ゆかしく…」日本人が永遠に求め続けているのかもしれませんねぇ〜 "^_^"
2006/4/15(土) 午後 9:13
大好きな歌の一つです。素敵な情景ですね。記事の内容にも共感できます。
2006/4/16(日) 午後 11:12 [ 隆太郎 ]
この歌は聞いた事がありますが、意味を知りませんでした。こうやって春の菜の花と漢字で改めて歌詞を見ると、雰囲気がうんと伝わってきますね〜。
2006/4/17(月) 午前 2:58
この童謡には思い出があります。転校してきたばかりの小学校の掃除の音楽がこれでしたし、田舎でしたので春になると通学路は菜の花畑が広がっていました。懐かしい風景、日本の原風景ですね。 ラフカディオ・ハーン著の「新編 日本の面影」いかがですか? ふらぐりさんにぴったりだと思います。
2006/4/18(火) 午後 3:36
>あぷてぃさん、私は田舎に住んでますけど、やっぱりだんだんと昔からの風景が少なくなってきています。それがいいことか悪いことかは分かりませんが、ちょっと寂しいことですね。
2006/4/18(火) 午後 8:47
>隆太郎さん、この歌も歌われますか。いい歌ですよね。記事は思ったことをつらつらなので、まとまりが無くってすいませんです〜。
2006/4/18(火) 午後 8:49
>まおさん、この歌の歌詞は柔らかく優しい感じですが、「荒城の月」とか「箱根八里」も実は好きだったりするんです。
2006/4/18(火) 午後 8:52
>やんさん、私が小学校の頃の掃除の曲は、なぜか「ビューティフル・サンデー」でした。いいこと教えていただきました。ラフカディオ・ハーン、読んでみます。
2006/4/18(火) 午後 8:54