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ふとぱらりらん、どんとこちゃ。

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二十四人の話者

わたりとりの書庫へようこそ。
全然ほっとできない栞 第十八弾です。
ブログ文化論争の一考察です(経緯の説明は面倒なので省略)



我らが言語と表現の神様(chargeupさんのこと)が命名した「説教族」。
連日のブログ文化論争に登場し、名脇役(?)を演じています。

説教族とはひらたく言えば、「あんたの言うことはおかしいよ、このままじゃ不幸になるよ、あんたの為を思って言うんだからね」と説教を垂れてゆく人達のことです。親分は細木数子大王様。(byちょっちぷんさん)。

説教族は「自分は良識人だ」とアピールしつつ獲物をギロチンに掛けるという離れ業をやります。その言語使用法はすばらしく婉曲的で、絶妙に押し付けがましい。具体例:「幻聴様ワールド」。

説教族が使用する文法には共通点があります。主語が必ず【あなた】なのです。【あなた(他者)】なしには成立しえない表現。私はこれを「他者依存表現」と名付けました。「【私は】あなたの記事を読んで不愉快になった、腹が立った」と自ら宣言できない、そこで「あなたの記事は人目に晒すもんじゃないよ」とばかりに他人を批評し自分の思想を伝達する表現。

異文化ブログ(批判を屁とも思わないタフなかたがたの議論系ブログ)でも、他者依存表現を見かけます。TB記事もコメントもあります。「あなたの主張は間違っている、論理に矛盾がある、文章が嫌味ったらしい」といった表現。「【私なら】こう考えこう表現しますがいかがですか」と書けないのか、この人は。切り込む手掛かりが情緒から論理に変わっているだけで、本質は説教族と変わらん。どの文化にもいらっしゃるのですな。

現実世界では、私は他者依存表現を常用しています。年賀状の発送が毎年31日なのも、目覚ましが毎朝鳴らないのも、全て他人のせいです。しかし、ことこの仮想世界では極力使うまいと努力しています。

さて、他者依存表現はやらんぞと決めている私の「表現」とは何か。はじめ「自己表現」と呼んでいたのですが、これは改めます。他者依存表現だって自己表現の一種ダス。そこで海風氏が出してくださった言葉を使います。「自己独立表現」。うむ、これでいこう。

ここまで考えて、私はある座談会を思い浮かべます。六人の話者が揃いました(敢えて「議論」ではなく「座談会」、「論者」ではなく「話者」と呼びます)。テーマはなんでもいいです。

【話者1】「私は正しい、私の話を聞け」
自分の意見は正しい、という絶対の自信がある。違う意見は拒絶する。「仰る通りですね」と同調を繰り返してくれる相手にしか、心を開いてくれない。

【話者2】「あなたは正しくない、あなたの話を撤回しろ」
他者の意見は誤っている、という妙な自信がある。そのわりに他者の話の本筋を理解しておらず、言葉尻や細部にこだわり批判する。座談会を空中分解させる恐ろしい存在。しかし本人は無自覚。「君の意見はもっともだね」と承認されるまで、軟化しない。

【話者3】「私の考えを話す、話ができればそれで満足」
自分の意見が一私見に過ぎないことを自覚している。意見を述べられればそれで満足。座談会のゆくえにはあまり興味が無い。問い掛けられないと発言しないこと多し。場が殺伐としてくると沈黙する。

【話者4】「あなたの意見には賛成できない、聞いてもらえればそれで満足」
自分の意見は一私見に過ぎないことを自覚している。他者に反対する形で自分の意見を整理する。座談会のゆくえにはあまり興味がない。誰かが話すとまずは突っ込む。場が殺伐としてくると活き活きする。

【話者5】「私の考えを話す、あなたの意見を聞く、共通点を探す、納得すれば同意する」
自分の意見を叩き台にし、他者に質問する。お互いの共通点を探す。納得できるだけの共通点が見つかれば同意する。座談会が成功するよう積極的に関与する。

【話者6】「あなたの意見を聞く、私の考えを話す、相違を照らし合わせる、納得すれば同意する」
他者の意見を叩き台にし、まだ場に出ていない意見を探す。お互いの相違を検証する。相違が納得できる小ささであれば同意する。座談会が成功するよう積極的に関与する。

それぞれの話者の表現に、流儀名を付けてみました。(命名は適当)
【話者1】自己陶酔表現| |【話者2】他者依存表現
【話者3】自己独立表現| |【話者4】他者利用表現
【話者5】自己開放表現| |【話者6】他者参画表現

さて、この六人の話者がテーブルを挟み他流儀試合をしたとします。左側が「私」主語-ざっくり言うと受容系話者、右側が「あなた」主語-ざっくり言うと批評・批判系話者。
このテーブルを挟んだやりとり、誰が誰に対しどうコミュニケーションすれば、成功するのか。もしくは、誰が誰に対しどうコミュニケーションしたとき、失敗するのか。(テーブルを挟んだコミュニケーションだけでなく、同じサイドの者同士のコミュニケーションも考慮します)

ここまでで既に阿鼻叫喚でしょうか。まだまだアマイぜベイベー。
この六人は「ものごとをロジックで語る」話者です。さらに六人、同じ構成の話者を追加します。ただし新規加入者は「ものごとを情緒的に語る」話者です。
この十二人は「自分の本心を率直に語る」話者です。さらにさらに十二人、同じ構成の話者を追加します。新規加入者は「婉曲表現を駆使し自分の本心を押し隠しつつ語る」話者です。(ex:説教族の言語体系)。

さてさて、この二十四人の混成座談会のゆくえはいかに。

・・・コミュニケーションが成功することって、ひとつの奇跡かもね ^^;

前回の栞で麦氏から「同じ言葉を持っていますからね」というコメントをいただきました(※だからお互い理解しあえるはず、という意味であろうと拝察します)。
己が内なる感情・思想を他者に伝えるとき、とても便利な共通の道具=「言葉」を持っているからこそ、私達は深くコミュニケーションできる。その点は私も同感です。だが私は、さらにその先を想うのです。同じ言葉だからといって、発話者と受け手が同じように使っているとは限らない、いやむしろ、そうでない可能性のほうがずっと高いのだ、と。「同じ言葉だから伝わるはず」という錯覚から抜け出す努力を、双方がしなくなったとき、コミュニケーションの崩壊が始まるのだ、と。

ここで異文化ブロガーとの交流の話に戻ります。(敢えて「彼ら」と表記します)
chargeupさんも記事で書いておられますが、こんな悩ましい混成コミュニケーション御免だわ、と感じる人は、しなくて良いと思うのです。自分と同じ流儀の内でコミュニケーションしていたほうが、絶対にラクだ。異文化者のやりかたを否定せず、棲み分ければいい。ROMの行き来は自由なのだから。

しかし、コミュニケーションできる「人」もいらっしゃるのではないか。

なぜならば。これは私の個人的な感覚ですが、そもそも日本の現実世界では「批評・批判」一辺倒の話者はごく少ない(ホントにいたら会議で爪弾きじゃ)。受容傾向が強いか、受容と批評・批判を適宜使い分けるタイプが圧倒的に多い。ネット上で「批評・批判系」話者だからといって、彼がそのスタイルしか取れないはずは無い。ネット上での自己同一性を保つため、そう振舞うよう努めているだけだと私は推測します。
※批評・批判【しか】できないかたは、流儀うんぬんではなく相手を嫌っているだけです(断言)。

ですから、彼らにこう希望することは無茶なお願いではないでしょう。もしこちら側の、特に批判慣れしていないブロガーを批判したくなったときには、ぜひ一時的にでも「現実のあなたの流儀」を思い出していただきたい。たったそれだけで乗り越えられる「壁」は、いくつもあるはずです。

* * *

・・・なんてことを書いていたら、海風氏が(私的には)極上の記事を上げられました。
この記事の主旨からは外れますが、興味のあるかたは、ぜひご一読を(読んだら戻ってきてね)。

記事にコメントしましたが、私は「プロ並みの情報力・表現力を持つブロガーがマスコミに影響力を及ぼすこと」には興味がありません。また、いわゆる「内部告発」がブログというツールを使って発信され現実世界に影響を及ぼすという現象にも、興味がありません(企業の危機管理問題としては興味アリ)

私は未来のブログ界をこう夢想しているのです。
ふだんは好き勝手に自分の書きたいことを書いている名も無きブロガー達。しかしひとたび目覚めれば、自分に密着した現実社会(地域社会、業界、科学分野など)に対して声を上げる。ゆるやかな匿名性に守られながら発信する「理性的で率直な主張」が、様々なブロガーの意見を取り込み大きな束となり、互いの主張の穴を検証しながらスパイラルアップして、現実世界へと波及していく。2chにも掲示板にもSNSにもできなかったこと、マスコミにすらできなかったことが実現する。

もしこんな時代が来たら、ブロガーにとって「混成コミュニケーション力」は表現力以上に大切かもしれません。
・・・こんな時代が来たらね。来ないかもね。(妄想ですってば・・・)

ま、混成コミュニケーションて、楽しいし、やる価値はありまっせ、という話でした(笑)



さて、年内に栞をあと2枚書いて、カピタルは来年 1月1日から。
実は・・・スランプです。深刻な危機です。ここ二週間ほど、まともに書けてません。
進行がこっちとシンクロしすぎ。気味が悪いです・・・(汗)

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閉じる コメント(27)

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【chargeupさん】ひぃ〜偏見強化のためには使わないでください。あくまでも相手を理解するための「集」考察ってことで^^; ちょっちぷんさんは確かに名通訳になれそうですね。同感です。

2005/12/28(水) 午前 8:52 [ わたりとり ] 返信する

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【海風さん】いらっしゃいますね。頑として我が道【だけ】を行くかた。地位のあるかただともう打つ手なし^^; 私の個人的な想いですが、そういうかたは何かしら強い怒り・恐れに支配されていて、感情レベルで「議論そのもの」を拒絶している。だから議論上でその姿勢を問いただしても逆効果になってしまうのだろうと感じます。

2005/12/28(水) 午前 9:01 [ わたりとり ] 返信する

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あ!なるほど〜!こういう繋がりを見せてもらうと、また違った読み方が出来そうです。そして「通訳」になれそう、というお言葉。これは、ものすごい嬉しいお言葉です。ありがとうございます(喜)まあ、私のことですから、いきなり途中で飽きてよそ見も充分しそうですが(笑)

2005/12/28(水) 午後 9:42 cho*chi*un 返信する

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わたりとりさん、ひとつ思いつきが。他者依存表現と自己独立表現て、核部分がジャーナリスティックとノベリスティックでもありますよね。

2005/12/30(金) 午前 0:04 cho*chi*un 返信する

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【ちょっちぷんさん】核部分がジャーナリスティックとノベリスティック>そう!私もそう思います。本来ブログは、機能的に見て前者の要素が強い(はず)ので、「批評・批判スタイルこそが王道」という人がいて当然です。小説を連載している私のほうが奇天烈なんです(笑)。ブログを「自分語りの場」として使っている人は、自分史(小説)の書き手ともいえる。前者と後者ではブログの捉え方が全く違うのですね。

2005/12/30(金) 午前 2:12 [ わたりとり ] 返信する

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【続き】批評・批判系ブロガーには、批判する相手がブログにどういう価値を見出しているかを読み取る力が必要ではないかと思います。同じ土俵で論じられる者を探してモノを言って欲しい、ということです。受容系ブロガーには、ジャーナリスティックな記事を書けば批評・批判されて当然だ、という自覚が必要なんでしょうね。「ブログは〜」などと「あるべき論」に逃げずにね。そこが他流儀ブロガーの妥協点ではないかな、と思います。

2005/12/30(金) 午前 3:03 [ わたりとり ] 返信する

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「誰が一番頭がいいチャンピオンシップ」の中では往々にして【話者4】が元気になっちゃうのかな……とか思ったりします。このタイプが議論の中でキーマンになってしまうと確実に議論が拡散してしまう、と感じました。ただこのタイプの人を制御できる話者がいるならばまた様相は変わってくるのかな、とも思います。議論全体を俯瞰する際のモデルとしてすごく参考になります。

2007/4/25(水) 午前 1:53 ナイジェル 返信する

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【ナイジェルさん】「誰が一番頭がいいか競争」って表現、こないだ初めて知りましたよ〜(笑)議論を拡散させちゃう人には二タイプありますね。(a)議論の主題を掴めない人と、(b)性癖として「まだ挙がっていない論点」を語りたがる人。批判力のある人・新しい視点を提示する人は、クレバーに見えますからね・・・【話者4】を制御するには、議論の「流れ」を読んで示す人が必要ですが。しかしブログ間の議論においては、参加者のロール(role)が合意されていないので、なかなか難しいことです。

2007/4/25(水) 午前 11:13 [ わたりとり ] 返信する

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magiと申します。突然、大分以前の記事に突然書き込むことをお許し願います。さて、記事を読んで、発話者と受け手が同じように使っているとは限らない言葉を使っているにも関わらず、コミュニケーションが成立するのは奇跡とする意見、また会話社同士が、言葉のもつ「不透明」さを自覚したうえで会話しようとする相互努力をしなくなった時、コミュニケーションの崩壊が始まるとする意見は、ごもっともだと思いました。 削除

2008/6/22(日) 午前 3:10 [ magi ] 返信する

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しかし【話者1】自己陶酔表現を「私」主語(受容系話者)、【話者6】他者参画表現を「あなた」主語(批評・批判系話者)とカテゴライズするのはざっくりしすぎだと思います。
なぜなら【話者1】が、コミュニケーションにおいて唯一心を開く、「仰る通りですね」と同調を繰り返してくれる相手は、「他人」ではあるが、言語行為論的意味における自分と異なる「他者」とは言えないからです。つまり【話者1】はその実「他者」を認めていない。よって、受容系話者ではない。
次に【話者6】は、まず他者の意見を聞き後に自分の考えを話すという点で順番的には批評的ですが、「他者の意見をたたき台にし、まだ場に出ていない意見を探す」という思考プロセスは、一度他者の意見を聞きいれ、またその意見を直接に批判するのではなく、別個の自分独自の意見を言おうとするわけですから、批評・批判系話者とは言い難いと思います。
言葉の不透明さについて語るのであれば、まず自らできるだけ言葉を透明にする努力をお願いします。 削除

2008/6/22(日) 午前 3:10 [ magi ] 返信する

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【magiさん】はじめまして。過去記事を拾っていただき、ありがとうございます。ご指摘に、順を入れ替えてお返事します。

【話者6】については、ご指摘を踏まえても「批評・批判系」と私は考えます。彼が話す「意見」は、彼自身が予め抱いていたもの、つまり、彼自身の背景・感情・立場から導いた「私の考え(私の価値観)」ではなく、より良い「合議の成果」に向かって自分の単独の意見を超えて編成されたものです。それが彼が予め抱いていた考えと一致することもあるでしょうが、基本的には、自分の価値判断をいったん棚に上げて【あなた】または【みんな】に対して有用な意見を提供するというスタンス、を【話者6】に託しています。【あなた】の意見を先に聞くが私も自分の価値観を話すよというスタンスならば、【話者5】に当たります。発話順の問題ではないのです。
自分ひとりの価値観の表明以上に、他者にとって共同体にとって有用な言論を指向すること、それが批評・批判行為の真価だと私は思っていますので、【話者6】はそのカテゴリーに居ないとダメでございます。ぜひ居て欲しいというか。

2008/6/22(日) 午前 11:53 [ わたりとり ] 返信する

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【話者1】について、magiさんが仰る
>「他人」ではあるが、言語行為論的意味における自分と異なる「他者」とは言えない
に同意します。他者の意見、他者の存在を自分のなかに通過させないという点で、【話者1,2】は双子みたいなものです。発話形態が違うだけで。

記事では、発話形態が「Iメッセージ」か「Youメッセージ」かで二分し、【話者3】〜【話者6】を焦点に【受容系】【批評・批判系】と仮の名を付けて話をどんどん進めていますから、ざっくりしすぎは仰るとおりです。この記事では「受容」に「他者の意見を否定しないで聞く」くらいの意味しか付していませんので、そこからしてざっくりしすぎというか、言葉の使い方が雑ですね。指摘いただいて、改めてわかりました。^^;
(「受容」の用法をmagiさんの定義に限定すると、【話者3】も対象外になり得ます。)

2008/6/22(日) 午後 0:19 [ わたりとり ] 返信する

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>言葉の不透明さについて語るのであれば、まず自らできるだけ言葉を透明にする努力をお願いします。
については・・・

カテゴライズするならば、よりニュートラルな名を付け、名の定義を明晰にするほうがベターです。他者との議論を前提に書くときには、私はよく「努力」するほうだと思っています。自己基準ですが(汗)。

が、この記事において使用した名が不適切であるとか、修正すべきであるとは思いません。
この記事には、書くに至った長い経緯があるのですが・・・私はまず、書くことによって、捉えどころのない現象を掴まえその輪郭を描くこと、そこから自分が何を感じ考えたかを整理することに集中します。不備の無い文章を書きたいという欲はありません。
また、不合理であったり不明晰であっても、その時点で自分の感覚に最も即した言葉を使い、自分の認識のありかたをそのまま書き表すことを重視します。他者にとって不合理不明晰ならば、私の認識のありようがそうだったというまでです。

2008/6/22(日) 午後 1:18 [ わたりとり ] 返信する

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wataridori novel様
しっかりしたご回答ありがとうございます。失礼ですがここまで謙虚な説明が頂けるとは思ってもおりませんでした。 【話者6】について、自分の考えを一度棚上げにしたうえで、他者と異なる意見を模索するという点から批評的とカテゴライズされたという意見は「なるほど」と納得致しました。また、「言葉を透明にする努力」は、私の方が一言多かったので気にしないでください。 削除

2008/6/22(日) 午後 2:18 [ magi ] 返信する

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ところで話は変わりますが、先ほど私が思わず「言葉を透明にする努力」と一言多く書いてしまったように「なぜブログのコメント欄のような、インターネット上のコミュニケーションでは、思わず挑発的な言葉を書いてしまうのか?」という点が気になります。(私個人だけの性格的問題かもしれませんが)
一番大きな理由は「相手の顔が見えないから」でしょうけど、そもそもブログの限られたコメント欄でやりとりできることなんて、たかが知れています。にも関わらず受け流せず過剰に反応し乱暴な言葉を書いてしまうのはなぜなのか気になるところです。 削除

2008/6/22(日) 午後 2:33 [ magi ] 返信する

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私個人的には、この問題はコメント欄が小さいからこそ、思わず暴言をはいてしまうのではないか?と思います。全面同意の場合は問題ありませんが、異論がある場合、限られた文字数でその思いを伝えなければなりません。しかし簡潔にしすぎると内容が変わってしまいます。異論といえどもキチンと書きたいものです。かといってコメントを文字数が足りないから途中でやめるのも気持ち悪いものです。結果、もともとキチンと書く気がない人は適当な異論を書いてまいコミュニケ―ション不全を起こす。またキチンと書こうと思っている人もかき切れずヤケを起こし、思わず辛辣な言葉を使いコミュニケーション不全を起こすということになってしまうのではないかと思うのです。後者は、例えば電波が途切れがちな携帯電話で話してイライラして口調が荒れるのと同じです。ご回答は結構ですが、こういう視点でもブログのコミュニケーションについて考えてはいかがでしょうか? 削除

2008/6/22(日) 午後 3:09 [ magi ] 返信する

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【magiさん】どうも^^

うーん、メラビアンの法則というのがありますけれど、テキストだけのコミュニケーションで情緒的な行き違いがあることは必然と思いますし、まして初見なら互いに身構えている(→防衛的反応を取りやすい)ので、無用にカドが立つということは、正直ありますね。
相手の文章を過度にネガティブに受け取らないように気をつけていますが、今回は失敗したかも。私のレス、magiさんの最後の一文に喰いつき過ぎでした。ごめんなさい(笑)

2008/6/22(日) 午後 11:30 [ わたりとり ] 返信する

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コメントって、字数制限以上に「ブログ主の領域」だという遠慮があるので、magiさんが仰るようなジレンマが確かにありますね。

私個人は、相手方がどのようなコミュニケーションを取りたいと望んでいるかは、相手方の一つの言葉・センテンス・コメントのみでは図れないと思っています。互いに率直であるか、相手に言葉を伝えたいのか、相手から言葉を引き出したいのか、一緒に何かを掘り下げ考えてみたいのか・・・このやりとりが良い例ですが、何度か互いの言葉を往復させて全体の流れから見えてくるものではないかと。
そういう意味では、ブログのコメント欄は、ジレンマを抱えてはいるが、良質な対話の可能性を開いている「場」ですね。私にとってはね。

2008/6/23(月) 午前 0:00 [ わたりとり ] 返信する

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せっかくご返事頂いていたのにコメント遅れましてすいません。「メラビアンの法則」
という名前初めて知りました。内容は既知のものでしたが、おかげ様で、この理論を
名称から調べることが可能になり、さっそく調べてみたところウィキペディアによると
この理論が通用するのは、感情的なコミュニケーションのみで事実確認のコミュニケー
ションにおいては必ずしもそうではないというオマケ知識まで得ることができました。
前々から面接アドバイザーが得意げに、なんでもこの理論を持ち出すことに対し、
「そんな単純なものなのか?」と胡散臭さを感じていたので謎が解けてよかったです。
それではありがとうございました。 削除

2008/6/29(日) 午前 1:47 [ magi ] 返信する

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【magiさん】御丁寧にどうも。私のレスへのお返事は気になさらず・・・エンドレスになってしまいますし。
拙宅で謎が解けてよかったですね。知ったかぶりした甲斐がありました。にゃは。

2008/6/29(日) 午後 8:06 [ わたりとり ] 返信する

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