1day,1page

ふとぱらりらん、どんとこちゃ。

全体表示

[ リスト ]

前回の記事で宣言した【魚のアタマ】考察第一弾です。異文化交流議論から派生したオマケシリーズくらいにかるーく流してお楽しみください。



10月まで連載していた創作小説「Capital Forest」で、私は主人公(14歳の少年)に、こう語らせました。

優しいに本当とか適当とか嘘とかあるんだろうか

あるんだろうか。仮にあったとして、はたして誰が何をもってそれを判定するのか。
似たようなモノに、思いやり、善意、愛・・・なんてのもあるが。わからん。謎です。

「優しさ」の「本当(理想?)」のカタチ。あくまでも理想、をいえば、
(a)相手のためになにかしたいという純粋な想いを(b)自分の望むカタチで外に表現し(c)歪むことなく受け手に届き受け止められ(d)受け手に良い変化をもたらし(e)儀礼的なお礼にとどまらず(f)こころからの感謝の言葉や手紙なんかが返って来て(g)世間様からも「よくやったね」なんて賞賛されれば・・・サイコーのカタチでしょう。たぶん。

図解。こんなカンジ。※クリックすると文字までキレイに読めます。

イメージ 1

が、理想はあくまで理想。そうそう上手くはゆきませんな。
送り手と受け手それぞれが、違う能力・価値観・美意識を備えている異なった人間だから。送り手の想いを受け止めてもらえるか、まして望んだとおりの結果が出て、期待したとおりの評価が返ってくるかなんて、わかりゃしない。バクチです、バクチ。

どうせバクチであるならば。自ら関わりたいと望んだ相手(受け手)からは、どのような反応が返って来ても、どのような評価を下されても、それはもういたしかたないと私は諦めますが。

ひとつ、厄介なヤツがありまして。「世間の目」というヤツです。
「世間の目」に見えているのは「優しさ送受信プロセス」のほんの一部、情報にも偏りがあるというのに、なんで彼らはあんなに自信満々で「あの優しさは適当」「その優しさは嘘」と決め付けるのでせうか。すっごく【魚のアタマ】臭くないですか。私だけですか? てことで、私の嗅覚に引っかかったヤツを並べてみます。

世間様で「適当」「嘘」と非難されやすい「優しさ」のカタチ

▼発作的で長続きしない「優しさ」 →(a)感情:恒常性が低い
▼えこ贔屓がひどい「優しさ」 →(a)感情:対象範囲が狭い
やりたくないことを努めてやリ続けることにこそ価値があると賞賛する世間様のお気に召さないパターン。恒常性が低かろうが対象範囲が狭かろうが「その瞬間その相手」に向けられた送り手の感情の純粋さが損なわれたわけではないはずだが。

▼自らアピールしすぎる「優しさ」 →(b)表現:文化的スタイル・美意識が非国民的
控えめ・さりげなさを尊ぶ世間様のお気に召さないパターン。日本の文化的背景・美意識をバックボーンとしており、他の要素がいくら良くても「うさんくさい」の一言で斬って捨てられる。自己アピールを積極的に評価する文化圏(国)に生まれられたら良かったのにね。

▼相手への配慮が薄い・無い「優しさ」 →(b)表現:想像力の不足・欠如
人間はみな似たようなものであり相手の立場になってみれば自ずと正解は見えると信じている世間様のお気に召さないパターン。そもそも「想像力(能力)」じたい個人差がはげしい能力だということが世間で認知されていないので、理解を求めるのは絶望的か。

▼礼・感謝の態度表明が無いと手の平を返す「優しさ」 →(e)(f)儀礼的フィードバック・成果フィードバックへの執着
徳は隠徳であってこそ徳であると自分たちができるかどうかも怪しい説法大好きな世間様のお気に召さないパターン。フィードバック(対価)を得ることで送り手の「優しさ」モチベーションが高められ次なる「優しさ」への活力となりひいては社会における「優しさ」全体量が増大する・・・という側面は、敢えて無視されている。


他のパターンもあるかも・・・うーん、こうやって見ると「世間の目」ってホントに(以下自粛)

まあ、いいんですけど。世間様があらゆるプレッシャーを掛けることで、世の「優しさ」が質量ともに高められているのかもしれないし。私に見えてないだけで。

ただ、猛烈に「それはちゃうやろ!」と思うことがある。
彼らは、自分達の目に映っている一部の「外界情報」だけをもって、送り手の「優しさ」の発生源=感情や動機そのものを「適当」だの「嘘」だのと決め付けたりする。他人の内界をそんなふうに断罪する権利が、誰にあるだろうか。断罪された人間がどれほどの精神的ダメージを受けるか、わからないのだろうか。
そんなヤツらめが「優しさ」をトクトクと語っている姿なんざ冗談を通り越して毒々しいわボケ〜、とこう私などは思うのでした。




蛇足ですが、掲げた図はあくまでも「優しさ」における異文化(者)理解・受容のための仮想モデルです。こんなヘボい図で「優しさ」の価値がわかってたまるか。そんなわかりやすいモノじゃないだろう。優しさとか、思いやりとか、善とか愛とかってモノは。

さらに蛇足。私は「優しい人間」ではないし、「本当に優しい人間」になりたいとも思いません。

本当に優しい人間になるか、そういうことはあきらめるか、どっちかにしたいのよ。つらいから

この記事に

閉じる コメント(26)

顔アイコン

【トンコさん】投げられた言葉がムクムクと黒雲のようにふくれた景色>それ、わかりますよ。私がはてな界隈との接触を自制したのも、そのあたりでした。「深い自省を経た自己矛盾のない言葉」を常に発することなど、誰にも不可能だと思う。ときには間違や軽率なことを言いながら、人は時間をかけてゆるやかに軌道修正していくものだと思う。

2006/12/24(日) 午後 3:31 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【続き】その「時間」を待たない・待てない、軽薄で冷酷な精神の群れがあのシステムの向こうに見えた。そこにいる人々がそうだというより、あの装置じたいに、そういう精神を産み育てる力があると感じた。私のなかにも芽生えました。それに気付いたとき、私は心底怖くなったんですよ。・・・私は環境に、とても流されやすいので。

2006/12/24(日) 午後 3:43 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【みつくるさん】なるほどなあ。内界を手にとって確認することが難しいからこそ(言葉という道具を使ってさえ)、お互いが外界で「一定の型」に則ることで「御気持ちは受け取りました」と伝えるのかもしれませんね。私は、形式ばった定型謝礼文とか贈答のやり取りとか、好かないタチなんですが・・・そういうことを軽視することは、もしかしたら、なにかを深く傷つけている行為なのかもしれない。トラックバック、楽しみにお待ちしてます。

2006/12/24(日) 午後 3:52 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【りヴぁさん】ひゃはは!確かにね〜。きっと「アタマ」と呼ばれるものはすべからく旧時代的で保守的なのです。記憶をつかさどっている部位ですから。なんちって(笑)

2006/12/24(日) 午後 4:00 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【ネタばらし】お気づきのかたもいらっしゃるでしょうが・・・この記事は「送り手の内界」を擁護する、その一点に焦点を絞って考察しています。だから「受け手(直接の受け手・副次的影響を受ける受け手)からの評価」という視点がスッポリ抜け落ちている。というより意識的に抜いた。【復路】の図解がアッサリしすぎているのも、割愛したのです。この点が納得できない読者様もいらっしゃるはず。コミュニケーション事象を一方向からのみ論じても不完全だ、ということは自覚しています。

2006/12/25(月) 午前 0:28 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【続き】もしかしたら「優しさ」における異文化(者)交流上の【断層】は、「送り手側の感情・動機を重視(優先)する」か「受け手側の成果・評価を重視(優先)する」か、そこの思想対立かもしれない・・・大多数の人は一方のみを重視することなく中庸を採ろうとする。だが稀に、このバランスが極端な人がいて、そういった「稀な人」の言説が公になると、それまで隠れていた【断層】が可視化されて、思想対立の凄まじい攻防戦の火ぶたが切って落とされるのだ。なーんてね。・・・これは考察の域か、妄想の域か、ちょっと自信なし。

2006/12/25(月) 午前 0:40 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

送受信者を同時に考察するのは、非常に難しいですね。二つの歯車が咬み合わなければ、歯車が壊れてしまう。どんな歯車にも柔軟に対応できる柔らかさがどちらかの歯車に備わっていれば、その歯車を持つ人は、万人と交流を持てる才能があるのでしょうね。そうありたいと願っても、何処かに必ず硬く脆い部分があるのだと思います。

2006/12/25(月) 午前 10:00 [ きーさん ] 返信する

顔アイコン

【きーさん】おぉ、すごいまとめコメント。ありがたい(-人-)その「柔軟さ」をぜひ身に付けたいものですが、個性(能力)差が大きい要素でしょうね。経験・訓練でも多少は変わるかな・・・。ただ私は「硬く脆い部分」にも、利得を超えた人間的魅力を感じますよ。たとえそれが、本人や周囲の人をひどく苦しめたとしても。・・・私の個人的な好みのハナシなんで、ボソッと呟かせていただきます。

2006/12/25(月) 午前 11:24 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【きーさんのコメントでひとつ思いついた】送信時も受信時も同じ歯車を使う人は「硬く脆い部分」があっても「そういう人(だから仕方ない)」と受容されると思うな。私なら受容したい。少なくとも、理解したいし、できると思う。しかし送信時と受信時で歯車をコロコロ変える人だと、厄介だな・・・理解する努力より嫌悪感が先走ってしまいそう(私だって人間だモノ)

2006/12/25(月) 午前 11:43 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【トンコさーん(と呼ぶ)】ごめん、<その「時間」を待たない・待てない、軽薄で冷酷な精神>はどこにでもあるのだな。ネットにかぎった話しでもない。と考え直しました。ただ、はてな(というより、はてブ)は<その精神>を加速度的に増殖させすいし、増殖している様が見えやすいシステムではあるかな。ツールの問題と人の問題は切り分けて考えないと・・・と誰かにも言われた。ということで、ひとつ偏見が拭えました。やれやれ。

2006/12/25(月) 午後 3:58 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

同感!歯車は送受信とも同じほうが付き合いやすいですね。それと、硬いく脆い部分、「こだわり」って言っても良いと思うけど、確かに僕も嫌いじゃないです^^何処かに柔らかさが少しでもあれば、相手の硬い部分に当たらなければ壊れたりしませんしね。僕の歯車は、送受信とも同じだけど、両方一緒にコロコロ変わるかもしれません^^;

2006/12/25(月) 午後 4:56 [ きーさん ] 返信する

顔アイコン

やっぱり表にするとわかりやすいですねぇ…私も「補論」で一本書こう…はともかくとして、「魚の頭」にとらわれない「優しさ」とはあるのか???と考えると訳分からなくなります(爆)。……私なりの言葉で表せば、それは相手(一瞬のつきあいしかなくても)を「ロングスパンで評価する」ということでしょうか、「検証可能性を残しつつ評価する」ということ。相手も自分も変わり得るし、現に変わるものだ…。つまり「待てる人」になれるかどうか。

2006/12/25(月) 午後 9:49 ナイジェル 返信する

ピントがずれてるって何かなと思いましたが、ずれてないです。というか、これはヤフー名物、コメントによる議論の豊富化でしょう?記事による発信が主となるのはもちろんですが、閃いた問題意識をコメント欄で提示しあうことも次の記事への種蒔きみたいに考えています。「コメント文化」と呼ばれるものがあるとするなら、それは単純に蔑むべきものとは思いません。ゆるやかな共同性・信頼関係が育つことをキモイとは思いません。

2006/12/25(月) 午後 11:02 トンコ 返信する

顔アイコン

【きーさん】そうそう「こだわり」、私は万人と無難に交流できる人より「こだわり」を残した偏屈人が好きです。ところで、「歯車が変わる」ってすごく面白いネタでは?コミュニケーション嗜好を意識的にシフトチェンジするってことっしょ?みつくるさん・きーさんが出されてた「知りすぎ線」を越えてしまった後の交流をどうするか、とか、Bステージに落ちている交流をAステージに戻せないかって話に、有効そうな匂いがするんですよ。私の嗅覚では。くんくん。

2006/12/26(火) 午前 0:12 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【ナイジェルさん】わかります!個々人が保持する「優しさの理想のカタチ」はすべからく魚のアタマになり得る。私が【魚のアタマ】と呼んでいるものの正体は、信奉者によって、信奉されているがゆえに、問われることなく磨かれることなくいつの間にか腐っていた旧い価値観、といったモノです。世の中にはくだらない価値観がある、と言いたいのではなく、信奉者によってスポイルされた腐った価値観がゴロゴロあるでよ、ということ。対抗策は「検証可能性を残すこと」。まさしく!全面的に賛成します。

2006/12/26(火) 午前 0:22 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【トンコさん】ひゃはは!私もこの「コメント文化」が病み付きです。ここ最近の記事、記事文よりコメント文総量のほうが質量上回ってるし。これが(特)異文化だというなら、胸を張って独自文化だと言いましょうぞ。ついでにいうと、私はY!Bコメントの文字数制限(250文字)のおかげで、思考を極限まで凝縮して短文に落とし込むことを覚えました。他サービスでコメントするときには意識しないのにな。厳しい環境は人を鍛えるのだ。不思議なものです(笑)

2006/12/26(火) 午前 0:31 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

ふ〜、いつもだけれど読み応えありました〜。私の永遠のテーマ「思いやりってなんだよ、オイ」ですよね。今私は猛烈に涙もろくなっているのですが、私を思い出してくれたことにポロリしました(笑)ヤフーでブログしていて一番の喜びですね。

2007/3/3(土) 午後 10:59 cho*chi*un 返信する

顔アイコン

自分の心から搾り出した言葉を、更なる未来と疑問、そして洗練された思考へと育ててもらえること。しかも結論を押し付けられるでなく。やさしさや思いやりを私は今のところ、他者からの評価や世間の目的な視点を排除したなかに価値をおいて考えていることを改めて考えさせてもらいました。やっぱり「わたしはね わたしのために やさしいの」これですね。は〜、私もリアルタイムで仲間入りしたかったなぁ〜…。しょんぼり。

2007/3/3(土) 午後 11:00 cho*chi*un 返信する

顔アイコン

【ちょっちぷんさん】お待ちしておりましたよ〜、えーん。またお話できて嬉しいです。そうなんです、この記事は「思いやり」の話しだから、ちょっちぷんさんにぜひ読んで欲しかったのです。宣伝みたいなことしてすみませんでした。・・・書きながら、ちょっちぷんさんの記事をいくつも思い出しました。読み返したものもあるよ。はなこさんとルパス教のこととか。この記事と「トリノカルマカタリ」を併せても、私にとっては、まだ序の口の入り口です。

2007/3/5(月) 午前 8:57 [ わたりとり ] 返信する

顔アイコン

【続き】私は利他の精神にひどく欠けている人間なので、思いやり(善意)を惜しみなく発現し行動する人をそれだけで尊敬してしまいます。すごいなぁと。しかし・・・「あなた(あるいは共同体・社会)のためにそうしてあげる」という思いやりは、怖いなと思う。利己の認識をまったく欠いた利他の精神。自己犠牲感を伴った奉仕の精神。といったところか。ちょっちぷんさんから評すれば「邪悪」かな?(笑)・・・chargeupさんの新記事、ここにリンク貼っておこう。http://blogs.yahoo.co.jp/chargeup2003/45146741.html

2007/3/5(月) 午前 9:57 [ わたりとり ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(2)


.


みんなの更新記事